霊的人生 実践項目2、利他愛の実践(周りの人々に対して)

(*スピリチュアリズム普及会ホームページ思想Ⅲより)
地上人は「霊優位」を確立したうえで利他愛を実践するとき、霊的成長を達成することができるようになります。愛が本物となるためには、具体的な人間関係を築き、実際に周りの人々に愛を与えるという現実の行為・行動に至らなければなりません。‶霊的人生″とは利他愛を実践する生き方であり、心の霊主肉従から発生する愛です。心の肉主霊従からは利己愛が発生し、したがって利他愛の実践は心が霊主肉従であることが絶対基本となります。シルバーバーチは「宗教はサービス(無償の奉仕)です」と言っています。利他愛・無償の奉仕によって人間は霊的成長という宝を手にし、自力救済するとともに他者の救いが実現し、これこそが‶本当の宗教″なのです。

<利他愛を実践するためのポイント>
① 先に与える——与える(愛する)ことを、与えられる(愛される)ことよりも優先する。
相手や全体の幸福を、自分の幸福よりも優先する。見返りを期待せず与え続けることが「利他性(利他愛)の法則」です。愛の世界(愛のサイクル)は、自分が霊的上位者になり先に愛を与える中で相手がその愛を受け入れ、愛を返すようになって初めて築かれるものです。そして与えるものが大きければ大きいほど、自分の霊的成長が進むことになります。その際、何を与えたら相手の霊的成長と幸福にとってプラスになるかを知る必要があります。
② 与え続ける——与え続けることの困難を克服する。
見返りを一切期待することなく地上人の救いのために献身的に働いてきた高級霊の純粋な愛を見倣うことです。愛の実践の第一歩が「先に与えること」であり、次に「与え続けること」で‶愛のサイクルを維持・強化″されます。「霊的価値観」に立って見るなら失うものは何もないどころか、人間にとって一番大切な霊的宝(神の愛・霊的成長・霊的幸福)が、ますます与えられるようになるのです。ゆえに相手の反応とは関りなく、与えることだけに意識を向ければよいのです。
③ 相手を選ばない——‶好き嫌い″という人間的感情を乗り越える。
エスは「与えることを優先する愛」「愛しがたき者をも愛する愛」の見本を示しました。又、イエスの教えは‶敵をも愛せ″という、相手を選ばない愛の重要性を訴えたのです。家族も他人も外国人も同じ「神の子供」であるという「霊的同胞意識・霊的家族意識」を持ち、すべての人を別け隔てなく愛することなのです。「霊的視野」に立ってこそ感情や好みを乗り越えて人類愛を実践することができるのです。

利他愛の実践には必ず自己犠牲がともないます。相手に対する愛が本物であるなら、必然的にそれに見合った自己犠牲を払うことになります。真の利他愛なら、喜んで自己犠牲を受け入れるようになるものです。すなわち「自己犠牲の多寡によって利他愛のレベルが決まる」ということです。地球人類救済のために働いている高級霊たちは、喜びに満ちた霊界での生活・霊的進化の歩みという最大の霊的宝を犠牲にして献身しています。「最高の利他愛」とは、人類の霊的進化と真の幸福のために、自分が持っているもののすべて、人生のすべてを捧げる愛のことなのです。それは愛を最高の形で表現しているということです。

<利他愛の具体的な実践内容>
① 最低限の利他愛実践のラインを守る
●利他愛実践の前に「霊主肉従」の努力をする——自己の‶内面の敵″としっかり闘って、これをコントロールするという基本を確立する。
●人を非難したり、けなしたり、攻撃しない——「霊的真理」を知ったスピリチュアリストには、真理を知らない人々とは異なる重大な責任を背負っているのです。
●他人に迷惑をかけない——周りの人々への気配り・配慮は、利他愛実践の大前提であり出発点です。‶自己コントロール″のできない人間は利他愛を持つことはできません。
●‶スピリチュアリズム″を利用して人々を騙さない——スピリチュアリズムの「霊的真理」を利用して、富や名声を得ようとすることは、「霊的法律(神の摂理)」から見た時、最も悪質な行為・最大の利己的行為と言えます。
② 自分への避難や攻撃に対して、同情心と寛容さを示す
 「スピリチュアリズムの普及」は、これまでになかった霊的世界の開拓です。当然周りの人々からの反発や迫害は避けられません。そういう相手に対して、スピリチュアリストは「霊的視野」からの同情心を持ち、寛容な見方をすべきです。真理にそった祈りの心で相手を包むことができれば、それは利他愛を実践していることになるのです。
③ 可能なかぎり、人々に手を差し伸べる
●自分より恵まれない人々に手を差し伸べる——親切心・優しさ・思いやり・励まし・協力・援助等
●奉仕のチャンスは、無限にある——里親としての奉仕・障害者のための奉仕・動物愛護のボランティア・環境問題のボランティア等
●犠牲を厭わない——「相手は自分と同じ神の子供であり、霊的兄弟(姉妹)である」という真理に立った深い平等意識を持ち、「自己犠牲」は当然のこととして望む
●人目につかないようにこっそりと——人々の評価を求めず、誰にも気づかれないところで、相手のために誠心誠意を尽くす。神と霊界の人々は正しく判断してくれている
●時間とともに広がっていく利他愛実践のチャンス——霊界の人々は、地上人を道具として用いて「もっともっと人類のために愛を実践したい」と願っているのです
●人を選り好みしない——どのような奉仕・ボランティアをするのが重要ではなく、どんな人に対しても分け隔てなく与えることができるかどうかが問われるのです
④ 周りの人々の霊的成長を祈る
  相手への手助けは、相手の「霊的成長」という地上人生の目的にそって考える。本当の愛の示し方とは、‶苦しみには大きな意義があることを教え、耐えて苦しみを乗り越えられるように励ましてあげる″ことです。試練に打ち克つことができるように祈ってあげるべきです。「霊的視野に立って相手を眺め、霊的成長を祈る」これこそが真実の利他愛の実践なのです。
⑤ 周りの人々に対して「霊的真理」との出会いを祈る
‶一刻も早く真理を受け入れられる時が来て、霊的人生を歩めるように″と祈ることは、高級霊と同じ視点に立って本当の愛を実践していることになるのです。
⑥ 時期のきた人々に「霊的真理」を伝える(霊的真理の普及活動)
  普遍的な叡知の霊的真理を教えてあげることは相手の‶霊的救い″につながり、「霊的成長」に直結する最高の利他的行為と言えます。
⑦ 子供を正しく育てる(霊性教育)
  親は育児を通して「霊的成長」がもたらされるようになっています。自分の子供に真理を教え霊的人生を歩ませようとすることも伝道の一部と言えます。
⑧ 他の生命体を慈しみ愛する(動植物への利他愛の実践)
  人間には、霊的進化の道の先輩として他の生命体を愛し慈しみ、ともに進化・発展する環境をつくっていく使命が与えられています。愛によって他の生命体の進化を促すということです。

利他愛を実践するためには‶新鮮な霊的感性″と‶奉仕に対する情熱″を持ち続けることが必要となります。利他愛の実践を継続するためには、霊的エネルギーの補充が重要になります。霊的エネルギーの枯渇は‶霊的マンネリ(霊的ボケ)″となり、利他愛継続するうえで最大の障害です。そのためには、日頃から「霊主肉従」の努力をしていることが不可欠です。霊的真理を繰り返し読み絶えず祈り、高い霊的意識を持った友人と交わり、肉体の管理を心がけるといった「霊優位(霊主肉従)の闘い」が必要とされます。

*利他愛の実践には2つあります。次回は2つ目の‶霊的真理の普及″について掲載します。
——シルバーバーチの言葉——
「最高の徳は愛他的です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。」(霊訓 1)
「我欲を棄て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だといっているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等のものと下等のもの、明るい面と暗い面があるものです。
家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残である防衛本能によって支配されていることがよくあります。」(霊訓 1)
「自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人の事を思えば思うほど、それだけ自分が立派になります。」(霊訓 9)

*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
 

霊的人生 実践項目1、霊優位(霊主肉従)の努力

(*スピリチュアリズム普及会ホームページ思想Ⅲより)
スピリチュアリズム人生(霊的人生)の第一歩は、霊優位のための闘いから始まります。「霊優位(霊主肉従)」は、霊的成長のための絶対条件・必須条件なのです。霊界人は肉体がないため、「肉優位(肉主霊従)」の状態になることはありません。内面の闘いを通して霊的成長し‶真の信仰者″となり、それから人々のために働くのがスピリチュアリストとしてふさわしい道なのです。「霊肉の闘い」を真剣にしている人間、心の清らかさを熱心に求めている人間は、肉体の力をコントロールすることの難しさを否(いや)というほど味わうことになります。そして肉体が重苦しい覆いとなって魂の自由を奪い去り、失敗と敗北の連続といった体験を余儀無くされることになります。

「霊優位の闘い」を通して霊的力・心の力が鍛えられ、霊的成長という宝を手にすることになります。人間に物質の身体を付与され、わざわざ不自由な環境に誕生することについては、こうした深い神の愛があったのです。「霊肉の闘い」の厳しさに打ちのめされ、肉欲の強さに辟易(へきえき)するようなことがあっても、嘆き悲しみ、絶望する必要などありません。人間は肉体の死とともに霊界入りしてからは、肉体を持ったかつての地上人生の意味がよく分かるようになり、霊的成長にとって本当に必要なものであったことを実感するようになるのです。

地上人は「霊優位」の状態を永続きさせることができず、すぐに「肉主霊従」に引き戻されてしまいます。「肉主霊従」という摂理に反した不調和な状態が続くと、やがて心身に苦しみや痛みを感じるようになり、否応なく「霊優位」の方向を目指すようになります。こうして地上人は「霊優位」の状態と「肉優位」の状態を行ったり来たりする中で、少しずつ霊的成長をしていきます。地上世界は失敗から学ぶように造られているため、挫けずにチャレンジするかぎり、スパイラルを描きながら少しずつ進化の道をたどるようになっています。

<霊優位のための具体的な実践内容とは>
スピリチュアリズムは、厳格な欲望抑制主義——霊的コントロールの努力は、各自の‶自由意志″のもとで実行され、克己の闘いによって霊性が高められていきます。地上人はその苦しい闘いを自分に強いることで、地上人生を価値あるものにするように運命づけられているのです。地上世界は‶物質主義″に覆いつくされ、霊的成長にとって最も困難な状況が展開しています。その最大の原因は、地上人の「霊的無知」にあります。そのためほとんどの地上人が本能的欲望に支配されて、快楽を追求するようになっています。
② 肉体本能からの3つの欲望——「金銭欲・物欲」「性欲」「名誉欲・支配欲(権勢欲)」これらの物質欲を抑制する日々の努力の積み重ねが必要です。すべての本能的欲望を霊的にコントロールする歩みです。物質中心主義によって引き起こされた大量生産・大量消費・贅沢志向の風潮は今や地球全体を覆いつくし、本能的欲望をよりいっそう追い求める社会をつくり上げてしまっています。同時に、人間にとって最も大切な「霊的幸福を奪い取る」という結果を生み出しています。そして経済的に豊かになり、生活が保証されるようになった人々は次に追い求めるのが‶セックス″の快楽です。肉体本能の趣くままセックスに走ることで人間は「霊性」を曇らせ、ますます欲望のとりこになっていきます。十分なお金を手にし、物質的に恵まれた人間が最終的に追及するのが‶名誉欲″であり‶支配欲(権勢欲)″です。他人から称賛され、他人を意のままに動かしコントロールすることが快感になってくるのです。
③ 健全な禁欲主義的生き方
●質素な生活——衣食住には、必要最低限あれば事足りるものなのです。「生活できればそれでよし」といったところで線を引くべきです。お金があってもそれに翻弄されることなく、お金を自分の意思でコントロールし、質素な生活をすることです。余分なお金は人助けのために使うべきであり、使い方によってスピリチュアリストとしての資質が試されているのです。
貞節を守る生活——「スピリチュアリストは性欲をコントロールし、清らかな生活を心がけなければならない」女性・男性ともに貞操が要求されます。‶性欲″との闘いは、「霊主肉従」の努力の中でも厳しいものの筆頭にあげられます。何百年、何千年後には‶霊中心主義″が人類の常識となっており、醜悪な欲望追求の風潮は跡形もなくなっています。今の時代は暗黒の環境の中で‶理想の光″を目指して最大限の努力をして行くことしかできませんが、苦労した分だけは、摂理の働きによって必ず霊的恩恵がもたらされるようになります。
●謙虚な道具意識を持った生活——名誉欲や支配欲を追求するほど、他人からの裏切りや孤独・寂しさという形で自分の身に返ってきます。その間違いに気づき、見返りを一切求めない無償の愛・無私の奉仕の尊さを知った人は幸いです。霊界の道具としての純粋な奉仕精神を持ち、自分を忘れてひたすら他人に尽くすことだけが、私たちのなすべき道なのです。

*まとめ・・・金銭欲・物欲・性欲・名誉欲・支配欲(権勢欲)は、いずれも物質主義に発するエゴイズムから生じたものです。そうした本能的欲望は「神の摂理」からずれたものであるため、いつか必ず病気や孤独という苦しみ・痛みとなって自分に返ってきます。スピリチュアリズムにたどり着いた者の生き方は、物欲に対しては「質素」、野放しのセックスに対しては「清らかさと貞節」、名誉欲・支配欲に対しては「霊界の道具としての謙虚さ」を常に心がけなければなりません。スピリチュアリズムに導かれて霊的人生を送るチャンスを真っ先に与えられた私たちが、生涯を通して実践すべき内容です。

「霊的エネルギーを高める努力のプロセス」——これがスピリチュアリストにとっての霊的修行であり霊的訓練です。その霊的修行を成功に導くためには霊的な武器・手段が必要となります。それが「霊的真理」「祈り」「一時的な禁欲」「スピリチュアリストとの霊的交わり」です。
●霊的真理——霊的真理に深く感応できる人は、多くの霊的エネルギーをすばやく取り入れることが可能です。
●祈り——「霊的エネルギーが満ちていなければ深い祈りはできない」そのため「霊的真理」をじっくり読むこと。運動や労働によって汗を流し、肉体の調和を取り戻す(入浴も効果的)。自然の中に身を置いて、気分をリフレッシュする。良い音楽を聴く。等
●一時的な禁欲——節食や短期の断食。等
●スピリチュアリストとの霊的交わり——信仰仲間との霊的交わりを持つ。

こうした‶霊的武器″を上手に活用することで、霊的エネルギーが「霊の心」に流れ込み、そこが充電されます。そこから霊的意識が活性化され、心全体が霊優位の状態に変化するようになるのです。

——シルバーバーチの言葉——
「霊が主人で物は従僕です。常に霊に係わることを優先させなさい。」(霊訓 12)
「霊的知識を有する者はそれを正しく運用して、物的要素に偏らないようにしなければなりません。霊的要素の方に比重を置かなければいけないということです。」(霊訓 1)
「私は決して肉体ならびにその必要品をおろそかにしてよろしいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。一人でも多くの人に、正しい視野を持っていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい、霊をそなえた肉体だと思い込んでいる人が、まだまだ多すぎます。本当は肉体をそなえた霊的存在なのです。それとこれとでは、大違いです。」(霊的新時代の到来)
「一般的に言って人間は、肉体にかかわることはおろそかにしておりません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています。(中略)肉体にとってなくてはならぬものと言えば、光と空気と食べ物と運動と住居くらいのものです。衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません。慣習上、必要品となっているだけです。」(霊的新時代の到来)
「精神的にも霊的にも自己を厳しく修養し、生活のすべての側面を折り目正しく規制し、自分は本来は霊であるという意識をもって、行動のすべてに霊の優位性を反映させなさい。霊の優位性の自覚にもとづく修養的生活——これが最高の生き方です。」(最高の福音)

*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

霊的人生とは

(*スピリチュアリズム普及会ホームページ[思想Ⅲ]より)
シルバーバーチの霊訓」に代表される高級霊訓との出会いは、「霊的成長」という魂の救済に至る最も優れた手引書・案内書を手にしたということを意味しています。ただし霊訓は、どこまでも霊的成長のための‶道しるべ″であって、それを理解しただけでは霊的救いを得ることはできません。霊的成長という人間にとっての最高の宝は、「霊的真理の実践」を通してもたらされるものです。霊的真理に基づく信仰生活、霊的真理を指針とした日常生活を営むことは、物質世界に身を置きつつも、霊性人間性を高める‶霊的人生″を歩むことであり、「霊的成長」という地上人生の目的を実現する道そのものなのです。

スピリチュアリズム人生とは‶霊的人生″のことであり、それは「神の摂理」に一致し、宇宙・自然界と調和しようとする努力のプロセスとも言えます。摂理から外れた行為は「カルマ」となり、苦しみの体験によって償うことになります。摂理に一致し、神に近づいた分だけ、魂の幸福・魂の喜びを得られるようになります。‶スピリチュアリズム人生″とは——霊的真理の実践によって「神の摂理」に調和し、神に近づき、人間としての真の幸福に至る道と言えます。

スピリチュアリズム人生=霊的人生(地上にいながら霊界人に近い歩みをすること)>
●霊的真理を忠実に実践する生き方
●霊的真理に基づく信仰生活
神の摂理に一致して霊的成長をする道
●神に近づき本当の幸福に至る道

私たちが‶スピリチュアリスト″として霊界から認められるかどうかは、日々の生活の中で霊的真理を実践しようとしているか否かで決まります。真理を手にしながらも知的好奇心のレベルにとどまっている人間は、本物のスピリチュアリストとは認められません。スピリチュアリストは、徹底した‶実践主義者“であり、真理を知っている分だけ自分自身に厳しい内容を課さなければなりません。スピリチュアリズム人生とは、真理を実践するための苦しみや困難・障害との絶え間ない闘いの道なのです。「苦しみつつ実践の努力に励む者だけが本当の宝を手にすることができる」——それが神の摂理なのです。スピリチュアリズムは決して、安易な生き方も安っぽい幸福論も説きません。

では、霊的人生(スピリチュアリズム人生)とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。霊的人生を歩むうえでの実践内容は、最も重要な「3つの柱」と「基本的な実践4項目」から成り立っています。
<実践項目3つの柱とは>
1、霊優位(霊主肉従)の努力
2、利他愛の実践——隣人への利他愛
2、利他愛の実践——霊的真理の普及活動(伝道) *利他愛の実践は二通りあります
3、苦しみへの正しい対処
  *利他愛実践の延長として「サークルづくり」と「霊性教育」があります
<高次の霊的人生を歩むための秘訣、3つの柱を強化するための4つの項目とは>
1、 道具意識
2、 犠牲精神
3、 霊的視野
4、 祈り

「霊的真理の実践」というスピリチュアリズムの‶霊的人生″は、厳しい内面の闘いを乗り超えていくプロセスでもあります。真の勇気と忍耐が要求される克己の歩みです。スピリチュアリズム人生の障害や困難は、外部からの敵対・妨害という形で迫ってくることもあり、霊的人生を歩むうえでは、こうした敵対勢力との戦いは避けられません。正々堂々と敵対勢力を迎え撃ちこれを克服していくことは、スピリチュアリズム人生の一部分と言えます。(以上が学習内容です)

シルバーバーチの霊訓」と出会った時がスピリチュアリズム人生の出発点であり、最高の宝である「霊的成長」は、「霊的真理の実践」にまで至って初めて目的を達成することができます。つまり「霊的真理」を‶正しく理解″し、‶正しく実践″することが最大の条件ということです。それが出来たなら、地上にいながら霊的人生を歩めることであり、地上人生中に「霊的成長」が可能になります。一人一人の霊的成長が地球規模で広がることで、スピリチュアリズムの最終目的である、神を人類の‶霊的親″としての「地上天国化・霊的同胞世界」が実現することになります。

スピリチュアリストは霊界の道具として、スピリチュアリズムに貢献できる立場にあります。そして自己救済ができるとともに、真の幸福への道のレールに乗ることができます。まさに霊的人生は、地上人生を最高に価値あるものにすることができるのです。それが、自己犠牲を払い幾多の困難を乗り越えて地上に「霊訓」を降ろしてくださった、高級霊たちの‶真の願い″なのです。シルバーバーチは、「あなた方のような道具がなくては、私たちは何もなし得ないのです。」と申しております。私たちは霊界に導かれて「霊訓」と出会いました。決して偶然ではないことを心して、高級霊の手足となって‶道具″としての役割を果たしてまいりましょう。

次回からは、霊的人生を歩むための実践項目3つの柱と、それらを強化するための4つの項目を順次8回にわたって掲載します。

——シルバーバーチの言葉——
「大切なのは行いです。行為です。つまり各人の毎日の‶生活″そのものです。」(霊訓 3)
「神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。霊格の高さは信仰心の多寡(たか)で測れるものではありません。行為によって測るべきです。」(霊的新時代の到来)
「要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。大切なのはそれだけです。知識は、ないよりはあるに越したことはありません。が、その人の真価は毎日をどう生きたかに尽きます。」(語る 219)
「苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わなければなりません。」(霊訓 1)
「価値ある賞ほど手に入れるのが困難なのです。容易にもらえるものはもらう価値はないことになります。簡単に達成したものほど忘れやすいものです。内部の神性の開発は達成困難なものの中でも最も困難なものです。」(霊訓 1)
「魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、なにも、苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって一番の薬なのです。」(霊訓 1)
「もしも私の説く真理を聞くことによって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださることが私どもの真の目的なのです。」(霊訓 1)

*詳しくはスピリチュアリズム普及会ホームページの思想〔Ⅲ〕をご覧ください。
*なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

 

宗教の観点から見たスピリチュアリズムの全体像

(*2018年5月読書会の学習内容です)
スピリチュアリズムは「霊界主導の人類史上最大の宗教革命」「霊的真理による地球上最大の宗教革命」です。霊的真理の普及によって、地上のすべての宗教を、霊界の宗教に置き換えようとする宗教の大革命のことです。霊的真理を知らない地上の宗教は全て失格です。人間の魂を間違った教義でがんじがらめにして、人間の目的である霊的成長を妨害し、地上人生を無駄なものにしてしまいます。また組織エゴによる宗教戦争やテロなど、地上に悲劇をもたらしています。地上の宗教は人類にとって害以外の何ものでもなく、存在しない方がよいのです。

スピリチュアリズムの目指す世界は「霊的同胞世界」「正しい宗教の確立」です。霊界ではすべての霊が「唯一・共通の宗教」を信じています。信仰対象は大霊である「神」と神が造った「摂理」であり、すべての霊が神の摂理による支配を認識しています。摂理にそう生き方が常識であり、絶対忠誠を捧げるべきは「神」と「摂理」であることが当たり前となっています。摂理に一致した生き方は、そのまま信仰実践となり、霊的成長していくことになります。霊界人はすべて「大霊」の深い信仰者であり、感謝と祈りを捧げるのが日常です。スピリチュアリズムは地上の宗教とはあらゆる面で正反対であり、超宗教と言えます。
    真の宗教=霊界の宗教=スピリチュアリズム(超宗教)

霊的真理の普及にともない、地上の間違った宗教は消滅していきます。スピリチュアリズム(霊界における唯一の宗教)が地上に確立するには、長い期間(数百年~千年)がかかります。スピリチュアリズムによる宗教革命の成功はすでに確定していますが、革命が完全に達成されるまでは悲劇・不幸・苦しみが続くことになります。今までもたくさん改革がありましたが、その度人間の手あかで汚されてきました。スピリチュアリズムは今始まったばかりです。一瞬で変わるものに本物はありません。

スピリチュアリストは犠牲を強いられる覚悟が必要です。革命が早まるも遅れるもスピリチュアリストによります。高級霊と苦労を共にし、道具としての責任を果たす義務があります。スピリチュアリストは70数億の霊的革命の先頭に立ち、道を踏み固めていく必要があります。そして「霊的真理」を武器にし、バックに高級霊団の支援・守護を得て、前進しなければなりません。スピリチュアリズムの目指す最終目的は地上を霊界の宗教に変え、霊的同胞世界・霊的一大家族・地上の天国化の実現です。

真の宗教(正しい宗教)の定義は、信仰対象が「神」と「神の摂理」であることです。他のどの人間も、リーダーも、教祖や教義も、動物や自然界のどれをも信仰対象とするのは間違いです。イエスは信仰対象ではなく、地上人の良き手本とすべきです。摂理に一致した生き方(摂理にそった日常生活での実践)とは、「霊主肉従の努力」「利他愛の実践」「苦しみの甘受」です。間違った理解では組織や形式・布教活動・施設等ができてきます。真の宗教(スピリチュアリズム)では、小さなグループやサークルにて学びの場を得ることになります。自らの努力によって自分自身を救う、自力救済的生き方が正しいと言えます。一人一人の霊的成長と、霊的同胞世界の確立を目的とした生き方をし、それが全人類に拡大していくべきです。  (以上が学習内容です)                 

宗教は太古の昔、アニミズムとして存在しました。今ではキリスト教イスラム教・仏教を代表として多くの宗教と宗派があります。しかし依然として戦争や飢餓・環境破壊・動物虐待といった悪幣はなくなりません。文明が高度になるごとに違った形での凶悪犯罪が増え、心の休まることがありません。その現状を見ますと学校教育・宗教の役割は何だろうと思います。霊界の霊は、‶地上は地獄のようだ″と言います。

スピリチュアリズムは「霊的真理」によって‶霊的無知を霊的知に変える宗教革命″です。地上の人間が作った宗教ではなく、「神」と「神の摂理」を信仰対象とする霊界の宗教です。間違いだらけの地上の教義を一掃し、‶利他愛″一色の「霊界の宗教」に取って替える‶宗教革命″なのです。数百年後、人類はやっと「霊的真理」を土台とした道徳教育を、宗教や学校・親から伝授されることと思います。それは、これまでの血で血を洗うような革命ではなく、「霊的真理」の普及により、長い時をかけてゆっくりと確実に進行することでしょう。

——シルバーバーチの言葉——
「私たちはあなた方に、いかなる教義も儀式も作法も要求しません。ただひたすら、大霊の愛がその子供たちを通して顕現するように努力しているだけなのです。そのためには、いかなる書物にも、いかなるドグマ(教義)にも縛られてはいけません。いかなるリーダーにも、いかなる権威にも、いかなる学識にも、また崇敬の対象とされるいかなる聖遺物にも縛られてはいけません。あなた方はひたすら、大霊の摂理に従うようにしてください。大霊の摂理こそが宇宙で最も偉大なものであり、唯一最高の権威あるものなのです。」(教え上)

「宗教の教義(信条)による束縛は、地上界の悲劇の一つです。それは重い疫病よりも悪質で、肉体の病気の苦しみよりも、はるかに酷い苦痛をもたらします。なぜならそれは「魂の病」を生み出し、霊に目隠しをしてしまうからです。」(教え上)

「教義は必ず魂の足かせになるということを忘れないでください。教義を重んじることで立派になれるのではありません。教義を無視しても立派になれるのです。キリスト教では教義の名のもとに、殺し合いと火刑を行ってきました。魂を縛るもの、魂を閉じ込めるもの、魂の自由な顕現を妨げるものは排除しなくてはなりません。」(教え上)

「しかし間違いなく言えることは、新しい世界の種子がすでに地上界に根付いているということです。既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄しても、それは功を奏さないでしょう。」(教え上)

*詳しくはスピリチュアリズム普及会ホームページをご覧ください。また、東京スピリチュアリズムサークルでは読書会を開催しています。
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

救済の観点から見たスピリチュアリズムの全体像

(*この項目は2018・4・14東京スピリチュアリズムサークル読書会にての学習内容です)
スピリチュアリズム運動とは、霊界主導の地球人類救済計画(スピリチュアリズムの定義)のことを言います。地球人類が悲劇の中で苦しみ、不幸に喘いでいるのを見かねて、人類救済の目的でスピリチュアリズム運動が興されました。救済の方法は「霊的真理」を地上に降ろし、‶人類がその「霊的真理」にそって生きることで人類を救う″というものです。従来の宗教は霊的に無知であり、間違いだらけの教義では人類は救われません。地上のすべての宗教はその意味で失格と言えます。スピリチュアリズムの主役は、高級霊団でありその中心が、かのナザレのイエスです。地上の人間は霊界の道具であり、シルバーバーチは‶地上の道具がなくては何もなし得ない″と語っています。

<地上を覆っている6つの悲劇>
① 戦争・紛争——無理やり肉体から切り離され、霊的成長のチャンスを失わせる。生きる希望を失わせます。霊的観点から最大の悲劇と言えます。
② 貧困・飢餓——生き延びるだけで精一杯であり、戦争と同じく霊的成長のチャンスを失うことになります。
③ 間違った宗教による霊的牢獄化——間違った教えに魂ががんじがらめになり、同じく霊的成長のチャンスを失います。
④ 精神の堕落・退廃——戦争の無い国は精神的地獄であり、何のために生きているのか分からない状態になっています。精神は人間の本質(魂)に関わることであり、肉体の衰弱より重大です。
⑤ 動物虐待・環境破壊——人間には霊的に低い動物・植物を可愛がり指導する義務があります。環境破壊により人間が住めなくなり、命にかかわる災害・天候不順による作物の不作などに陥ります。
⑥ 霊界下層の地獄化——霊的成長できずに他界した地縛霊が、霊界下層にて地上に悪影響を及ぼします。

全ての悲劇の原因を突き詰めると、たった一つの「霊的無知」という原因にたどりつきます。地上はモノやお金だけに価値があるという唯物主義に支配され、そこから物質的価値観・物質的幸福感が発生します。人々はこの世だけしかないと思うと、できるだけ楽しまなければ損と思います。死は最大の恐怖であり、限られた人生を、本能的快楽を追求して生きるようになります。そこからモノやお金を奪い合い、自分さえ幸せであればよいという「物質中心主義・利己主義」が人間の心を支配します。それがさまざまな悲劇をもたらし、地上は地獄化し、暗黒の世界となります。

人類救済のためには「霊的真理・霊的知識」が必須であり、それがなければ人類救済という大計画は果たせないことになります。霊的真理にそって生きることで霊的価値観・霊的幸福感を実感し、「霊中心主義・利他主義」が人類の心を支配するようになります。死ねば物質的な物には一切の価値がなくなり、唯一霊界に持っていけるのは、決して奪われることのない霊的成長という最大の宝物です。地上人生は霊界へ行くための準備の場所です。人間は死によって少しも変わりません。性格も考え方も霊性も地上にいた時のそのままをたずさえて霊界にいきます。地上にいるうちに「霊的真理」にそった正しい生き方をすることによって霊的成長を果たし、その成長度に見合った霊界層に行くことになります。

「霊中心主義・利他主義」が地球規模で広がることで地上天国化(霊的同胞世界)が実現し、個人の救済ばかりでなく、地球規模での人類救済大計画が成就することになります。それがスピリチュアリズムの最終目的です。地上で「霊中心主義・利他主義」で生きるには厳しい奮闘努力が必要とされますが、自分で自分を救う(自力救済)というのが摂理なのです。自力救済のプロセスは人間の霊的成長のための正しい生き方であり、神の願う「霊的人生」を歩むことです。霊的人生は「霊的真理」を受け入れるところから始まります。

<自力救済のプロセス>
① 霊的真理の正しい理解——一部分・自己流の理解は価値がないばかりでなく弊害を引き起こします。真理の重要な知識を関連づけて全体を正しく把握(真理の体系的理解)し、そして何を実践するのかの内容を正しく理解します。
② 霊的真理の正しい実践——霊的成長のための実践内容「霊主肉従の努力」「利他愛の実践(周りの人や動植物)」「利他愛の実践(真理の伝道)」「苦しみの甘受」、これらの実践によって霊中心主義・利他主義が実現します。
③ 神と摂理への絶対信頼——正しい信仰心に至ることで自力救済が果たせます。その自力救済こそが霊的成長することなのです。

霊界では地上人類のため大軍団が組織され、大変な困難・犠牲のもと人類の指針とすべき「霊的真理・霊的知識」を降ろしてくださいました。あとはそれを受け取った地上人にかかっています。霊的真理に価値を見い出せるのはそれなりの霊性に至った人間に限ります。そしてそういう人間はほんのわずかなスピリチュアリストだけです。霊的に目覚めたスピリチュアリストは、道具として生きることが最も価値ある生き方であることを認識しています。

——シルバーバーチの言葉——
——今日の地上世界で要請されている最も急を要する改革は何だとお考えでしょうか。
「これは難問ですね。と言いますのは、いま地上全体には、改善が叫び求められている不公正、矯正が叫び求められている間違い等々、どこから手を付けたらよいか分からないほど沢山の、悪疫ともいうべき文明の汚点が存在するからです。しかし、その中でも一ばん急を要する改善は、わたしに言わせれば、数え切れないほどの人間を苦しめている無くもがなの貧困、悲惨、窮乏です。全体としては十分なものが用意されているのに、物的生活の基本的必需品にも事欠く人がいるということは間違ったことです。有り余るほど持っている者と不足している人たちとの間の格差を修正すること、これこそが現在の地上の焦眉の急です。内部の神性を発揮しようにも、肝心の身体が惨めなほど疲弊し衰弱している魂に対して、いったい自我の発見などということが説けるでしょうか。私たちは決して人間の身体上の必需品について無関心でいるわけではありません。身体と精神と霊とが自然の状態で生活する上で、‶本当に大切なもの″を見い出すことができるような、そういう生活環境を築くことこそ私たちに課せられた使命なのです。」(霊性進化の道しるべ)

「これまで私たちが成し遂げてきたものは、これから成就可能なことに比べれば、ほんのささやかなものでしかありません。大霊の働きに‶限界″というものはないのです。地上の道具(霊媒)が私たち霊界の者に正しい通路を準備してくれるならば、地上界へ届けられる叡知にも、インスピレーションにも、霊的真理にも、限りはありません。地上界を満たすべく用意されている強大な霊力にも制限というものはないのです。」(教え上)

「いつの日か、地上のすべての人種が差別なく混じり合うようになるでしょう。どの人種にも、果たすべき役割があるからです。それぞれが人類に役立つものを持っているために、全ての人々が混じり合うようになるのです。霊眼を持って見れば、すべての人々がそれぞれの人種の長所と、独自の文化と、独自の知恵を持ち寄って調和のとれた生活を送るようになる日が、しだいに近づきつつあることが分かります。」(教え上)

「私たちは、何ひとつ見返りを求めてはいません。栄誉を欲しているわけではありません。ただ、皆さん方のお役に立ちたいと思っているだけです。忘れられてしまった霊的真理を改めて啓示し、それによって地上の人間が物質界にも存在する霊力を再発見し、新たな希望と新たな生命を呼び覚ますことになればと願っているのです。」(教え上)

*詳しい内容を知りたい方は、スピリチュアリズム普及会のホームページをお読みください。
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

摂理観(霊的成長に関する摂理)

霊界・宇宙・万物のマクロからミクロに至るあらゆる存在物が「神の摂理(法則)」の間接支配のもとに置かれています。摂理を理解することは「真実の神の姿を知る(認識する)」ことになるのです。「神の摂理(法則)」は永遠・不変であり、これから何万年・何十万年後も変わりません。また遠い将来において新たに摂理が付け加わることもありません。全知全能の神によって造られ、ありとあらゆる状況に完全に適応できるように造られているからです。

神が造った「摂理(法則)」にはさまざまな次元のものがあります。無数ともいえる摂理の一つ一つは合目的性をもち、常に機械的正確さをもって働き、それらのすべての摂理を支配するより大きな摂理(神の叡智としか言いようのない)のシステムの中に置かれ、秩序と調和をつくり出すようになっています。人間を支配している摂理もさまざまで重複・重層構造をなし、それらが表になり裏になりさまざまに絡み合って機能するようになっています。

人間に関する摂理には、「創造に関する摂理」があり、「存在させる摂理」があり、「霊的成長のための摂理」等、さまざまあります。ここでは「霊的成長のための摂理」を掲載します。「摂理」は人間の霊的成長を願う‶神の愛″から造られました。摂理にそって生きることで人間の霊性は磨かれ向上し、一歩ずつ神に近づいてまいります。ですが最終的に神との融合はありません。人間はどこまで行っても永遠の進化向上の道を歩むことになります。

<人間の霊的成長に関する摂理>
① 「永遠の霊的進化の法則」——‶神の分霊″を宿した人間は地上に誕生した時から個的存在となり、永遠に進化向上の道を歩みます。地上人生だけでなく死後霊界に行ってからも、終わりのない進化のプロセスをたどります。シルバーバーチの言葉に「進化が永遠に続くという、なぜそういうおしまいのない計画を大霊(神)がお立てになったのか、そこのところが分かりません。いろいろと私なりに考え、また助言も得ておりますが、正直言って、これまで得たかぎりの解答には得心がいかずにおります。」とあります。「永遠の霊的進化」という法則については、シルバーバーチのような高級霊でさえ理解できないほどの深い謎であるということです。しかし摂理は「神の愛」の反映であり、それに従えば従うほど人間にとっていっそう幸福が得られるようになります。
② 「霊優位(霊主肉従)の法則」——地上人は肉体に包まれて物質世界に住んでいるため、自動的に物質中心の状態に陥ってしまいます。単なる肉の塊、動物と大差のない本能の奴隷・物質的欲望の家来となり、霊的存在としての最低ラインにも至っていないのが実情です。意識的に霊的要素を心の中心に据えようとしないなら、霊的成長は望めません。これが、「霊優位(霊主肉従)の法則」です。最小限の物質で満足し、本能的欲望に流されない生き方・本能の奴隷にならない生き方をするということです。質素で無欲の清らかな毎日を送るということです。この法則は物質界だけに適応されます。
③ 「利他性(利他愛)の法則」——利他性を発揮する努力によって人間は、霊界・宇宙と一体化し調和状態に置かれます。人間の霊的成長の度合いは、この利他性をどのくらい多く体得しているか、ということで決定されます。心が「霊主肉従」であってこそ、純粋な利他愛を持つことができます。霊主肉従は地上人が利他愛を持つための‶前提条件″となります。
④ 「自由意志の法則」——人間の霊的進化は「霊主肉従(霊優位)の努力」と「利他愛の実践」を通じて達成されます。人間は、自ら霊的成長のための道を選択することも、反対に霊的成長に反する道を選択することもできます。これを霊的成長に関する「自由意志の法則」と呼びます。神が人間だけに自由意志という特権を与えていると言っても、それはどこまでも摂理の一定の制限(枠)内に置いての自由であるということです。この枠から外れようとすると、摂理によって苦しみ・痛みという警告が発せられ、歯止めがかけられるようになります。あくまでも「制限つきの自由」であるということです。
⑤ 「因果(カルマ)の法則」——神が造られた霊界と宇宙は、因果関係という神の定めた法則によって支配されています。この「因果の法則」の外に出られるものはありません。マクロの宇宙全体の運行も、ミクロの物質世界の運行も、すべてが因果の法則のもとに置かれています。地上人が摂理に合った歩みをすれば、それが「善い原因」となって「善い結果(霊的成長)」がもたらされ、反対に「悪い原因(肉主霊従と利己的行為)」をつくれば「悪い結果(霊的成長のストップと霊的苦しみ)」がもたらされるようになります。これが「因果の法則(カルマの法則)」です。
⑥ 「自己責任(自業自得)の法則」——「因果の法則」に基づく悪い結果は、すべて本人の責任であり、そのツケ(悪い結果)は本人自身が負わなければならない。これが「自己責任の法則」です。今直面している苦しみは、これまでの人生で自らがつくった悪い原因が結果となって現れたものです。その意味で、あらゆる苦しみは‶自業自得″ということになります。生まれつきの心身の障害・ハンディキャップも、そのほとんどが前世におけるカルマが原因となっています。
⑦ 「償い(苦しみによるカルマ清算)の法則」——摂理に背いた結果は‶苦しみ″として自分自身に返ってきます。実はその苦しみは、罪の償い・罪の清算プロセスとなっています。人間はかつて自分が犯した「摂理違反(肉主霊従・利己的行為)」を、それに等しい苦しみをもって償うようになっています。これが「償い(苦しみによるカルマ清算)の法則」です。苦しみの体験を通して罪が償われると人生がリセットされ、霊的成長に向けて再出発できるようになります。
⑧ 「自己犠牲の法則(代価の法則)」——人間の霊的成長は、霊主肉従と利他愛という摂理に一致した実践によってなされます。その際「自己犠牲」が大きければ大きいほど、結果的に大きな霊的成長がもたらされるようになります。正しい目的のために自分を犠牲にすれば、より多くの霊的宝を手にすることができます。どこまでも「摂理にそって犠牲を払う」ということが肝心なのです。
⑨ 「苦難の法則(光と陰の対照の法則)」——人間は「霊主肉従の努力」と「利他愛の実践」を通して霊的成長がもたらされますが、その際、実践にともなう困難・苦難を克服すればするほど、霊的成長が早く促されることになります。これが「苦難の法則」です。神は地上世界を、光と陰の対照的な体験を通じて霊的成長を達成する厳しい訓練場として創造されました。地上人はその体験によって霊的視野を広げ、魂を磨くことができるようになります。両極の体験によって霊的成長が促されるのです。これを「光と陰の対照の法則」と言い、「苦難の法則」を別の角度から言い表したものです。
⑩ 摂理全体のまとめ——これまでのいくつもの法則は複雑に絡み合い、組み合わさって運行されていきます。一つの法則に別の法則が加わって展開したり、大きな摂理の中に小さな摂理が含まれる形で進展していきます。こうして多次元的な摂理と摂理の関係が成立します。

以上で摂理についてのテーマを終わります。最後にシルバーバーチの言葉を掲載します。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「私が摂理の存在を口にする時、たった一つの摂理のことを言っているのではありません。宇宙のあらゆる自然法則を包含した摂理のことを言います。それが完璧な型(パターン)にはめられております。ただし、法則の裏にはまた別の次元の法則があるというふうに、幾重にも重なっております。」(シルバーバーチ

「摂理の裏側に別の次元の摂理があります。大自然の成育、国家ならびに民族の進化をつかさどる摂理とともに、一人一人の人間を支配している摂理があります。これらが裏になり表になりながら働いているのです。無限の叡知というカギを手にしないかぎり、その全体に完全な調和が行き渡っていることを悟ることはできません。が、間違いなく調和が行き渡っているのです。」(シルバーバーチ

「神を人間の都合の良い方向へ向けさせようとしても無駄です。神の摂理は、計画通りに絶え間なく作用しています。賢明なる人間——叡智を身につけたという意味で賢明な人間は、摂理に文句を言う前に、自分から神の無限の愛と叡智に合わせていくようになります。」(シルバーバーチ

「いくら誠心誠意の祈りであっても、それだけで摂理が変えられるものではありません。いかなる教義を忠実に受け入れても、摂理を変えることはできません。」(シルバーバーチ

 

摂理観(さまざまな摂理と特徴)

神は摂理を造り、摂理を通して被造世界(霊界・物質界)と被造物(全存在物・全生命体)の存在を支配し、維持・管理しています。摂理は不変であり、人間の感情が入り込む余地も、例外も一切なく、永遠に存在し続けます。永遠の霊的真理とは、神が造った摂理のことを言います。摂理の完璧性は、神の完全性と全知全能性の反映であり、人間はその摂理を通して神を知ることになります。それが「摂理としての神」であり、シルバーバーチの神観の最大の特徴となっています。

神と人間は、摂理を介した間接的な関係であり、これがシルバーバーチによって知ることになった画期的事実です。人間サイドから見ると神は常に「摂理」として現れ、それが人間を機械的に支配する‶冷たい神″として映ることになります。しかし冷たい摂理の背後には、人間の霊的成長を願う神の愛が存在しています。神はご自分の造られた摂理を通して被造世界・被造物のすべてを把握しているため、誰一人として神の認識から外れたり、忘れ去られることはありません。神と人間の正しい関係(間接的関係)を理解して初めて、正しい信仰をなすことができます。

「摂理としての神」とは「大霊としての神(遍在する神)」のことであり、神の摂理による支配と影響力は、霊界・宇宙とそこに住むすべての意識体(宇宙人も)・生命体に及んでいます。「摂理としての神」は「大霊としての神(遍在する神)」と表裏一体と言えます。神の造った摂理(法則)には、さまざまな次元のものがあります。人間を支配している摂理もさまざまで、それらが重複・重層構造をなし、絡み合って存在しています。大枠となる一つの大きな摂理の内側に別の摂理があり、全体として大きな摂理を形成しているのです。

<人間を創造し、存在させる摂理・法則>

    ・物質的法則(物質次元の摂理)
 ・生命法則(生命体・生物を支配する摂理)
 ・サイキック法則(サイキックレベルを支配する摂理)
 ・精神的法則(精神的レベルを支配する摂理)
 ・霊的法則(霊的レベルを支配する摂理)

「摂理」とは、神が人間を幸せにするために設けた仕組みであり、それに一致した生き方をすることで調和状態に置かれ、最高レベルの幸福感が得られることになります。人間の幸・不幸は摂理に一致するかしないかで決定するのです。摂理と人間の幸福は、表裏一体の関係にあります。つまり、「摂理(真理)とは何か」を知らずに、摂理に一致した生き方はできないことになります。

神の摂理にそうための忠実な努力が「正しい信仰」です。人間の幸せを願う神の配慮から定められた摂理を無視しては、幸せは得られません。「正しい信仰」とは摂理に自分を合わせていく努力(自力信仰)をすることであり、それによって霊的成長が達成されるようになっています。従来の宗教「神にすがれば、神が救ってくれる」という他力信仰は間違っています。

又、摂理による支配を踏まえた上での神への語りかけが「正しい祈り」です。「祈り」とは、神に語りかけるという、人間にとって重要な信仰的行為であり、重要な霊的実践内容です。摂理にそっていない祈りは、どれほど真剣であっても意味のない行為です。自分自身の願い事を訴えることは、正しい祈りではありません。従来の宗教の願い事信仰・ご利益信仰の原因は、「摂理」に対する霊的無知によるものです。

シルバーバーチの言葉を掲載して終わります。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「物的世界は、他のすべての世界と同じく、絶対不変の摂理によって支配されております。その摂理は無限の過去から存在していましたし、これからも無窮の未来まで存在し続けます。予期しなかった事情が生じて改めざるを得なくなることはありません。これまでの摂理では間に合わない新たな事態が生じるということも絶対ありません。その作用は完璧であり、停止することも、無効になることもありません。無限の知性によって考案されたものだからです。」(シルバーバーチ
「すべての人間、すべての事柄が自然の摂理によって規制されております。それには手落ちというものがなく、数学的正確さをもって働き、絶対に間違いを犯しません。宇宙間のありとあらゆる存在がその中に包摂されていますから、何一つ、誰一人として排除されたり忘れ去られたり無視されたりすることがないのです。壮大なものから微細なものに至るまで、単純なものから複雑なものに至るまで、あらゆる存在を自然の摂理が支配し支え規制しているのです。」(シルバーバーチ
「宇宙は、誤ることのない叡智と慈悲深い目的をもった法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは、間違いない事実です。このことは、慈悲の要素が摂理の中に配剤されていることを意味します。ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。」(シルバーバーチ
「今あなたは神を大自然の法則と同一視しているとおっしゃいました。しかし神は大自然の法則よりもっと大きい存在です。なぜなら、その法則を支配しているのが神だからです。」(シルバーバーチ
「大霊による直接の関与などというものは絶対にありません。」(シルバーバーチ
「地上界のすべて、霊界のすべて、宇宙のすべて、そしてまだあなた方に知らされていない世界のすべてが、大霊の法則の絶対的な支配の中にあるのです。その法則から離れては何ひとつ生じません。すべてが法則の範囲内で発生していますから、大霊はすべてを知っていることになります。」(シルバーバーチ
「私が摂理の存在を口にする時、たった一つの摂理のことを言っているのではありません。宇宙のあらゆる自然法則を包含した摂理のことを言います。それが完璧な型(パターン)にはめられております。ただし、法則の裏側にはまた別の次元の法則があるというふうに、幾重にも重なっております。」(シルバーバーチ
「摂理の裏側に別の次元の摂理があります。大自然の育成、国家ならびに民族の進化につかさどる摂理とともに、一人一人の人間を支配している摂理があります。これらが裏になり表になりながら働いているのです。無限の叡智というカギを手にしないかぎり、その全体に完全な調和が行き渡っていることを悟ることはできません。が、間違いなく調和が行き渡っているのです。」(シルバーバーチ
「神(大霊)の摂理はそのようにして働くのです。摂理に順応した生活を送っていれば、望み通りの結果が生じるようになっています。結果が出ないということは、摂理に一致した生き方をしていないことを示しています。」(シルバーバーチ
「神を人間の都合の良い方向へ向けさせようとしても無駄です。神の摂理は、計画通りに絶え間なく作用しています。賢明なる人間——叡智を身につけたという意味で賢明な人間は、摂理に文句を言う前に、自分から神の無限の愛と叡智に合わせていくようになります。」(シルバーバーチ
「いくら誠心誠意の祈りであっても、それだけで摂理が変えられるものではありません。いかなる教義を忠実に受け入れても、摂理を変えることはできません。」(シルバーバーチ