守護霊との二人三脚の歩み
守護霊とはどのような存在で、何の目的で個人を守り導くのでしょう。物質の世界では見えず聞こえない守護霊を、人間はどのように認識できるのでしょう。地上で生きる人間は試練の大きさにうんざりし、孤独の中で生きています。次元の違う世界で生きる人間と守護霊との強い絆は、どのようにして築けばいいのでしょう。地上の人間は守護霊の援助で、スピリチュアリズムに「霊界の道具」として大きな貢献をなすことができるのでしょうか。
実は私と「守護霊」は、一対一の個人レベルにおける関係を持っています。誰もが地上に生まれてから今日に至るまで、ずっと一人の「守護霊」によって守り導かれてきました。そして私達が地上人生を終えるまでその関係はずっと続くことになります。守護霊は私達の性格・気質・前世の姿・霊的な因縁、さらには今後の人生行路から寿命に至るまで、当人に関するありとあらゆることを知り尽くしています。地上人生における隠れた行為についても一部始終知り尽くし、その上で私達の魂の成長にとって最も適切な導きをしてくれる、まさに完璧な教師的存在です。(人生の目的によっては背後霊の援助も受けることになります)
守護霊は私達の再生人生の、選択した試練の内容にも熟知しています。そしてその内容に基づき、私達がカルマを清算して霊的に成長していくための必要な状況をつくり出します。魂の成長をなすにふさわしい困難や厳しい道を用意するのです。その一方で私達がその困難を乗り越え成長できるように陰から応援し、私達の願いと祈りに耳を傾け、霊的摂理の範囲内で可能なかぎりの応援をしてくれるのです。又、睡眠中には、あの世のいろいろな所に連れ出し、さまざまな体験をさせ、死を迎えた時には真っ先に迎えに来て、新しい人生の手引きをしてくれる、「生涯の個人教師」「専属の霊的教師」なのです。
誰もが、そうした守護霊の愛と導きを得て個の地上人生を送っています。一片のエゴも含まない純粋な利他愛で包んでくれている存在を実感できるなら、今までの孤独感は消し飛んでしまうでしょう。守護霊の霊界からの働きかけ・指導は、すべて霊的摂理にそって進められていきます。しかし人間には‶自由意志″が与えられており、どこまでも地上人自身が自分の判断に基づいて行動します。その結果として魂を成長させることができるように導いていくのが守護霊の愛です。何の見返りも求めず、一方的に利他愛を与え続けるという、まさに労多く報われることの少ない奉仕を、この私一人のために継続してきてくれました。
守護霊の多くは、地上へ再生する霊の「類魂の一員」から選ばれます。魂の成長度が同じで、霊的な親和性によって結ばれている霊的兄弟の一人が「守護霊」となります。一方、霊的成長レベルの未熟さゆえに、幽界から直接、カルマの摂理・働きによって自動的に地上へ再生するケースも存在します。その際、守護霊となるのは、その再生する霊の霊的レベルに見合った低い霊です。(「類魂」ではなく、地上時代の血縁・先祖がなることが多い)一般的なケースは、類魂の中から一人の霊が中心霊から任命され、その役目を通じて守護霊自身も悪いカルマを清算し、同時に魂の成長をなす道を歩むことになります。守護霊の場合、再生とは違った形で「魂の成長」と「罪の清算」を果たすことができるのです。
同じ類魂の仲間であっても、地上人と守護霊では霊的視野・霊的真理の理解度、そして霊的純粋さにおいて、大人と赤ちゃんほどの違いが生じることになります。守護霊の実情を知り、その働きかけと導きを正しく受け止めるようになれば、守護霊と地上人の関係は、ずっと強固で緊密なものになり、霊界と地上をつなぐ霊的エネルギーのパイプは強く太くなり、守護霊からの導きや影響力をもっとストレートに得られるようになります。守護霊の導きを無にするのは、すべて地上人サイドの問題なのです。
そのために私達がなすべき努力目標は——守護霊が常に自分の背後に付き添い、愛し導いてくれていることを知ること。瞑想・祈りを通して受容的姿勢をとること。分からないことは守護霊に尋ねることで、インスピレーションで答えを得られること。守護霊のこれまでの守護と導きに感謝すること。——です。そして何よりも大切なことは、日々、霊的真理にそう努力をすることです。つまり心身を清らかに保ち、「良き霊界の道具」となれるよう努め、少しでも自分の人生を「霊的真理普及」のために捧げようとすることです。人間の力で及ばないことは、守護霊の援助で何倍もの力を得、スピリチュアリズムに貢献できるのです。そのおかげで私たちは、この地上人生を価値あるものにすることができます。
*守護霊の身元にこだわる行為は幼稚で愚かなことです。そのような程度の悪い好奇心に合わせて軽々しく守護霊の身元を教えるような霊は、全て低級霊のからかいです。
——シルバーバーチの言葉——
「母胎内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。」(霊訓 1)
「私も、人間が苦しむのを見て涙を流したことが何度かあります。でも、ここは絶対に手出しをしてはならない、と自分に言い聞かせました。それが摂理だからです。その時の辛さは、苦しんでいる本人よりも辛いものです。しかし、本人みずからの力で解決すべき問題を、私が代わって解決してあげることは許されないのです。」(霊訓 4)
「必ず任命によって行われます。こちらの世界にはこちらなりの法則があり、それは地上よりはるかに厳格です。守護霊と人間との関係がうまくいくのは、当初において霊の資質のすべてが知れているからです。学校と同じです。学校長はあずかった生徒の潜在的資質を知りつくし、教師の才能を知りつくせば、どの生徒はどの教師のクラスが適切であるかが適確に判断できます。」(霊性進化の道しるべ)
「各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚がなければ、無意識の心霊能力をもち合わせていないかぎり守護霊は働きかけることはできません。霊の地上への働きかけは、それに必要な条件を人間の方が用意するしかしないかに掛かっています。」(霊訓 2)
「両者の関係がどこまで親密になるかは、地上の人間の霊的成長しだいで決まることです。」(霊的新時代の到来)
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
幽体離脱体験
皆様、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今回のテーマは幽体離脱について掲載致します。これまでの宗教を捨て、真実探求のきっかけになった出来事です。
今から15年前の2月のことです。北国は12月から雪が降り積もり、晴れては雪の表面だけを溶かし、溶かしては降り……を繰り返し、それまでの積雪が氷のように固く締め付けられた極寒の最中の深夜のことです。私は初めて幽体離脱を体験しました。広大なパノラマの雪景色を見ているような感じでした。しかしすぐに気づきました。私は雪山の上空を飛行していたのです。雪に閉ざされた深い渓谷を眺め下しながら……暑くもなく寒くもなく心地よい飛行でした。
気が付くと緑の丘に囲まれた平地に立っていました。すると丘のあちらこちらから人が湧くように現れ、私の周りに集まりました。老若男女のその数50以上と思われます。その時私は「あぁ、私にはこんなに仲間がいたんだ」と喜びに満たされました。そして瞬時に場所が変わり、そこは何もない所で白い幕の前に立たされていました。幕は天高くから垂れ下がっているかのように感じました。影に誰かの気配を感じていると幕は一瞬にして消え、目前に若い男性が一人現れました。私はなぜか不覚にも、いきなりその男性に「戻りたくない‼」と言って縋り付こうとしたのです。途端に私は別の場所に移動されてしまいました。
次に立たされたのはきれいな緑の草木が茂る場所で、一本の木には4~5個の白い花が咲いていました。私は‶梅の花だ″と思いましたが、なぜ花が少ないのだろうとも思いました。そしてまた瞬時に移動され、そこは白い空間で、まるで雲の中にいるような感じがしました。近くに誰かがいる気配を感じましたが見えません。その場所でしばらく何かに腰掛けたり立ったりしながら一人待たされていました。長く待たされるなか、私は何かの審査を受けていて、その結果を待っているような気がしていました。そしてやっと結果が出たようで、私は‶合格した″と直感し歓喜したのでした。そして愛犬の吠える声で現実の世界に引き戻されました。とても清々しい目覚めでした。
<解説>
その後その夢のような、しかしハッキリ細部まで記憶している不思議な出来事の意味を考えました。幽体離脱で幽界を訪れたことは間もなく分かりましたが、そこで出会った人たちや梅の花や、最後に試験に合格したことの意味は想像の域を出ません。それからは、以前から気がかりになっていた「シルバーバーチの霊訓」を読み始め、さらに関連書を読み漁ることによって、幽体離脱で訪れた霊界での出来事の意味を知ることになりました。また内容については、歪な表現になっているところもありますが、真実のままにします。
霊界で会える人たちは、私と深い関係のある人だけです。それが分かると、緑の丘で私を囲んだ多くの人たちは私の類魂たちということになります。私は類魂たちの願いを背負って地上に誕生しました。苦難の人生を通して精一杯の霊的成長をして、多くの体験を類魂に持ち帰ることが目的です。地上で私は人間関係に辟易し、病気続きで身も心も疲れ果て、やっと生きている状態でした。そして家族に囲まれながらも、孤独という恐怖のただ中にいました。類魂たちはそんな私に‶一人ぽっちじゃないこと、仲間がいて常に応援を受けていること″を教えてくれたのだと思います。類魂とは、地上の家族よりも霊的親和性が深く、自分と共に霊的成長を続けていく仲間のことです。
若い男性との対面は、深い縁を考えますと私が流産した私の子供以外に考えられません。「ベールの彼方の生活」(オーエン著)の中で、受胎しながら誕生できなかった子供たちが、霊界人のお世話によって成長していく姿を描写しているところがありました。また私は若い男性との対面の時、冷静でいられたなら会話が出来、いろいろ聞けただろうとの思いで悔やまれてなりません。次の場所で、梅の木に4~5個の花しか咲いていなかったことの不思議は……私の霊的知識はほとんど無知に等しく、これから花が一つ一つ増やす如く知識を蓄え、いつか満開にするようにとの霊界の願いを表しているように思います。
最後に私は何に合格したのか?私の人生は酷いものでした。しかし地上人生の目的は、多くの試練を乗り越えることで霊的成長します。実はその酷い人生体験が幸いして、やっと霊的真理を手にすることができる時期に達したのだと思います。‶やっと学べるスタートラインに立てた、やっとそこに至る資格を得た″ことの‶合格″だったのだと思い至りました。私を幽界探訪に導いて、ずっと付き添ってくれたのは守護霊であることが分かりました。又霊界にて移動する時、いつも瞬時に行われていることは、霊訓の内容と一致しています。病気や苦難で体力が弱ると一時的に霊力が表面に出てきて、その結果幽体離脱体験に繋がることがあります。死んで霊界へ行ったら全てがもっと明らかに分かることになります。それが今から楽しみです。
幽体離脱体験は、昨日のことのように今でも細部にわたって覚えています。霊体験は自分の内で起こるもので、客観性がありませんので他人様には理解されません。が、私自身にとっては、霊界実在の確証を得るには十分すぎるほどの出来事です。この霊体験には少しの作り話も混入していません。が、信用できないという多くの人がいることを承知で書いています。しかし霊体験がなくても、霊的なことを信じられる人もまた、事実おります。霊体験や霊能力があることと、霊性の高低差には何ら関係ありません。(私は霊能力者ではありません)私がこの霊体験を書いたのは、‶霊的なことが信じられないのは、霊体験がないから知らないだけであって、知らないからといって霊界が存在しないことにはならない″ということを知っていただきたかったからです。
シルバーバーチは驚いたことに、「人間は誰もが毎晩のように霊だけが霊界を訪れ、さまざまな体験を繰り返している」と言っています。記憶がなくても誰もが幽体離脱をしているのです。その目的は死後に、見知らぬ環境に混乱しないようにとの霊界側の配慮があります。また、さまざまな娯楽施設を巡ったり、学びのため訪れます。あるいは霊界での仕事をするために訪れる人もいます。死後はそのすべてを思い出します。地上人生も死後の霊界人生も、目的は人間の「霊的成長」です。霊的成長は、正しい霊的真理・霊的知識に基づいて正しい生き方をすることでしか成立しません。霊的真理・霊的知識を受け入れられないうちは、霊的成長のスタートラインに立てないことになります。この体験が誰かの霊的覚醒のきっかけになれたら幸いに思います。私はやっと霊的成長のスタートラインに立ったばかりです。皆様と共に本当の幸福へ向かって歩んで参りたいと思います。
——シルバーバーチの言葉——
「実は、すべての人間が睡眠中に霊界を訪れています。これは霊的身体を死後の環境に適応しやすくするための大霊の配慮の一つなのです。その体験は、いよいよ肉体との縁が切れたときにショックを和らげてくれます。そして地上時代に霊界を訪れたときの記憶が徐々に蘇り、新しい環境への適応が促進されるようになるのです。それはちょうど地上生活の中で、子供の頃の体験を思い出すようなものです。」(教え上)
「物質界での生活のあとから始まる仕事にとって役に立つような勉強をするために、あちらこちら(幽界)へ連れて行かれるのです。そうしておかないと、いきなり次元の異なる生活形態の場へ来た時のショックが大きくて、その回復に相当な時間を要することになります。」(道しるべ)
*個人での学びには限界があります。もっと学びたい方のために全国に読書会が点在しています。「東京スピリチュアリズム・サークル」ホームページの「お勧めサイト」をご覧ください。
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
中村哲さんが銃弾に倒れました
日本人の医師、中村哲さんがアフガニスタンで銃撃を受け亡くなられました。中村医師は1984年ハンセン病治療のためパキスタンで医療活動を始め、1991年アフガニスタンで初めて診療所を開設して以来、今日まで人道支援に人生を捧げて来られました。現地は長年の戦争の影響で干ばつになり、水不足・栄養失調・感染症が急増し、多くの死者と病人が止まることがありません。裸の幼い子供が地面にうずくまって泥水を飲んでいるニュースの画面が脳裏に焼き付いて離れません。
中村医師は「薬だけでは人々の健康は守れない。清潔な水・十分な食べ物を確保するために灌漑事業が欠かせない。」と活動の意識を強調しました。そしてこれまでに飲料用の井戸1600本、灌漑用の井戸13本を掘り、27キロの用水路を通し、結果、福岡市の面積の半分に相当する1万6500ヘクタールが緑豊かな土地に生まれ変わりました。そして今では65万人の生活が維持されています。
緑が潤い作物が育つ環境が整うとその土地は、30倍40倍の地価が上がり、それに群がって利権争いがおきました。その争いの元を作った罪として、中村医師に一部の人間から憎しみの銃弾が向けられたのです。‶次世代の子供たちに潤った土地を残してあげたい″との中村医師の思いは、志半ばにして銃弾によって絶たれてしまいました。しかし中村医師の志は、現地の仲間によって引き継がれ、更に緑地は全土に広がっていくものと思われます。
物質至上主義・利己主義一辺倒の霊的未開地にては、神のご意思に添った行いも敵の如く扱われてしまうのです。霊的知識のないところでは軍事力・暴力が最大の力を持ちます。地上人類の霊的成長を阻んでいる地上の最大の‶ガン″とは物質主義と利己主義です。地上のすべての問題はこの二つに起因します。それを解決するには「霊的真理」の普及以外ありません。人類が霊的真理に添った生き方をすることでしか地上の惨劇を無くす方法はないのです。
中村医師はいつも「平和に武器はいらない」と言っていたそうです。真心が通じない物質世界が憂いてなりません。「霊的真理」の重要性にいち早く気づいた私たちスピリチュアリストは、地上の平和を願う霊界からの働きかけを受け、地上の捨て石としてスピリチュアリズムの最終目的である地上天国化に人生を捧げる活動をするものです。
——シルバーバーチの言葉——
「地球浄化の一環として私達が携わっているのは、物欲第一主義の打破です。これは言わば地球のガンです。利己主義・どん欲・強欲・暴力——これらはみな物欲第一主義の副産物です。これらを無くし、地上の子らが精神的にも霊的にも豊かさを享受して、互いに協調し合える世界を築くことが目的です。」
「地上人類が自らの力でみずからを救い、内在する神性を発揮するようになるためには、そうした単純な霊的真理を日常生活において実践する以外にないからです。」
「霊の大軍の一員なのです。私達の背後に、そしてさらにその向こうにも、たぶんあなた方には理解が及ばないほどの霊格を身に付けた高級霊の集団が幾重にも連なって控えているのです。あなた方も、この私も、そして大事業に参加している者すべてが、そうした霊団の援助を受けることができるのです。唯一それを制約するものがあるとしたら、それはその人の受容力、吸収力の程度だけです。」
「私達の説いている真理は人生のあらゆる面に応用が利くものです。宇宙のどこを探しても神の摂理の届かないところがないように、地上生活のどこを探しても、私達の説く霊的真理の適用できない側面はありません。」
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
実践項目3、苦しみへの正しい対処
(*スピリチュアリズム普及会ホームページ思想Ⅲより)
苦難との遭遇は地上人生にとっての宿命であり、それから逃れることは決してできません。地上人生における苦しみの意味を知ることは、スピリチュアリズムを正しく理解することであり、同時に「神の摂理」について知ることです。苦しみや困難から闇雲に逃れようとすることは、スピリチュアリズムの教えから外れることなのです。スピリチュアリズムは、他の宗教のように苦しみを敵視するのではなく、苦難に堂々と立ち向かい、それを克服する方向性を示しているのです。死んで霊界に行けば「霊的視野」が開かれ、誰もが地上での苦しみの体験の意味と価値を、実感を持って理解するようになります。苦しみは実は自分自身の「霊的成長」にとって不可欠なものであったことに気が付くようになるのです。
地上人生における苦しみの体験は、再生前の意識を覚醒させることになり、それまでの生き方に疑問を抱くようになり方向転換をはかることになります。あるいは再生前に望んだ方向に無意識のうちに心が惹かれ、自然とそれにそった歩みをするようになるのです。これが「再生前の意識の覚醒」の実情です。人間は地上人生の中で一度は「霊的成長」のための決定的なチャンスと出会うようになっています。その多くがこうした苦しみの体験を通しての「霊的覚醒」であり、それが霊的成長のきっかけをつくることになるのです。
苦しみを体験するだけでは霊的成長はしません。ここにさまざまな誤解が生じています。‶苦しみ″が霊的成長のきっかけとなるためには——「霊的真理に一致した歩みをする」「神の摂理にそって乗り越える」、ここに霊的真理を学ぶことの重要性があるのです。又、苦しみの体験以外に霊的成長を促すものもあり——「霊的真理を真剣に学ぶ」「霊優位の努力をすること」「他人に対して純粋な利他愛を実践すること」などです。地上を支配している「物質中心主義」と「利己主義」は、さまざまな‶悲劇″を発生させていますが、その苦しみには必ずしも霊的成長とは結びつきません。霊的成長を促さない‶無益な苦しみ″を地上から駆逐することもスピリチュアリズムの目的の一つです。一方霊的成長を促す‶有益な苦しみ″は地上に広まり悲劇が無くなった後も、依然として存在し続けます。‶地上天国″が実現しても有益な苦しみは無くなることはありません。
有益な苦しみとは——「肉体を持っているために発生する苦しみ」「人間愛から発生する苦しみ(愛に関する苦しみ)」「カルマによって発生する苦しみ」の3つに分かれます。無益な苦しみとは——「地上人類の霊的無知から発生する苦しみ」です。現在の地上世界にはこうした4つの苦しみ・困難が存在します。
<苦しみ・困難への正しい対処>
① 霊主肉従の闘いによる苦しみ・困難への正しい対処
霊主肉従の闘いによる苦しみは、「霊的成長」の道を歩んでいることであり、有意義な‶霊的人生″を歩んでいることの証と言えます。「肉主霊従」を克服するためには、霊的エネルギーを取り入れるための「霊的闘い」が不可欠です。そのための苦しみは、永遠の進化向上のプロセスの一コマであり、闘いを避けるのではなく、たとえ敗北することになったとしても、堂々と闘う道を選択することで「霊的成長」が叶うのです。諦めずに闘った回数、チャレンジし続けた回数が、死後にまで持っていける‶霊的宝″となるのです。‶肉体″という重くうっとうしい鎧(よろい)を身にまとって生きていくことで、‶善″を求める意思の力を強化し、「霊的成長」を効果的に促すことになります。地上世界が困難な環境として造られているのは、人間の魂をより早く成長させたいと願う、神の愛からの配慮なのです。
② 利己愛との闘いによる苦しみ・困難への正しい対処
人間は徹底した‶利他愛の訓練″を果たすために地球に再生してきました。敵をも愛する「真の利他愛の実践者」となることが求められています。それが‶愛″に関する苦しみや困難を乗り越えるための正しいあり方であり、摂理に一致した対処法と言えます。利己愛という間違った愛は‶寂しさ・孤独″を生じさせます。それは「もっと愛がほしい、霊的エネルギーが欲しい」という魂の叫びであり、同時に「心の持ち方が霊的真理からずれている、利己的な方向に傾いている、早く霊的エネルギーを補充して修正しなさい」という、霊的法則による‶警告″とも言えます。霊的人生を歩もうとする人間にとって、寂しさ・孤独の苦しみの克服は‶信仰の生命線″とも言えるほど重要な意味を持ち、霊的真理が‶霊的武器″としての機能を全く果たせなくなってしまいます。霊的真理を集中して読んだり、徹底して祈ることを通して霊的エネルギーを補充することが重要です。又、「神の愛を心の支え・拠りどころとして、自分自身を確立すること」と、常に寄り添う守護霊の愛を思い出し、‶霊的自立″を確立することです。‶愛の欲求不満状態″から生じる嫉妬も「神と守護霊の愛」を思い出し、先に愛を与えることで‶霊的エネルギー″を補充することが大切です。
③ カルマによる苦しみ・困難への正しい対処
「因果の法則に基づいて発生する悪い結果は、すべて本人の責任であり、そのツケ(悪い結果)は本人自身が負わなければならない」——これが「自己責任の法則」です。全ての結果は‶自業自得″であり、そこに不公平・不平等は一切ありません。どうしても避けられない、手の打ちようがない形で一方的に迫ってくる困難やトラブルの多くが、前世のカルマに関係しています。その苦しみを前向きに受け止め乗り越えようと努力するなら、結果的に償いがなされ、より高い世界を目指す準備が整えられることになります。この意味でカルマによる苦難は「霊的成長」のための一つのプロセスと言えます。「霊的視野」からの広い心・楽天的な心を持ち続ける努力が必要です。又、前世についての霊的事実は——「神の配慮によって地上人は前世を知ることができないようになっている」ということです。ニセ霊能者・ペテン霊能者の‶ニセの前世″の指摘に騙されてはなりません。「カルマ」により苦しみを体験することは、前世に摂理違反・利己的行為をしてきたことであり、地上人生は「カルマ」を償うためにあるということ以外について、あれこれ詮索する必要はありません。
④ 霊的無知による無益な苦しみ・悲劇への正しい対処
無益な苦しみ・悲劇のほとんどが「霊的無知」に起因しています。「正しい霊的知識の普及」こそが霊的無知を解消し、無益な苦しみ・悲劇を追放しようとする霊界主導の大プロジェクトなのです。「霊的知識には責任がともないます」真理を知ったスピリチュアリストはこの世の人々に、無益な苦しみとは無縁の生き方を示す立場・良き見本を示す立場に立っています。スピリチュアリストはこの世の富や名声・地位・職業や愛する人との死別や自分自身の死について、将来について思い悩むような、無益な苦しみに翻弄されてはなりません。又、神の造られた世界には「埋め合わせの摂理」が働いています。一方的に与えられた苦しみをそれによる損失(霊的成長のチャンスが奪われること)に対して、きちんと埋め合わせがなされるようになっています。人類の霊性の低さとそこから発生したエゴによって、非道な扱いを受けた動物たちにも埋め合わせ道が展開され、動物を虐待した人間には「カルマの法則」によって罰として苦しみが与えられることになるのです。
<遭遇する苦難を苦しみと感じない境地を目指して>
地上で遭遇する困難や障害の多くが、「肉体本能」や「前世のカルマ」によって発生します。しかし、自分の心の持ち方・考え方を「霊的真理」にそわせることで、難問を苦しみと感じない高い境地に至ることができるようになるのです。「霊的真理」はスピリチュアリズムが地球人類に与えようとしている‶霊的恩恵″の一つです。すべての問題の原因は自分自身にあります。原因を他人や環境のせいにする者は傲慢なのです。傲慢さを拭い去らないかぎり、苦しみから解放されることはありません。物質的価値観(物欲・名声欲・権勢欲)に対する執着がなくなって初めて、苦しみから解放されるのです。「霊的価値観」に立って物事を霊的視野から眺め、霊界人と同じ考え方ができるようになってこそ、苦しみと感じなくなるのです。苦しみを持つ人間は霊的未熟であり、霊的進化のレベルが低いということを意味しています。シルバーバーチは「苦しみを一切持たないようなレベルにまで、自分の心を引き上げなさい」と教えているのです。常に霊的真理を読み返し、目の前の出来事を真理に照らして判断し、広い心を取り戻すのです。それはまさに厳しい最高レベルの‶霊的修行″と言えます。それを習慣化することで霊的視野が身につき、真の悟りの境地に至ることができるようになるのです。
——シルバーバーチの言葉——
「痛みも苦しみもない人生、辛苦も悲哀もない人生、常に日向を歩き、日陰というものがない人生を送る人は、地上には一人もいません。少なくとも私は、そういう人を知りません。」(最高の福音)
「そのうちあなたも、地上人生を明確な視野のもとに見つめ直す時がまいります。その時、苦難こそ最も大切な教訓を教えてくれていることを、もしもあの時あれだけ苦しまなかったら、悟りは得られなかったであろうことを、しみじみと実感なさいます。」(最高の福音)
「地上人生での出来事は、時には辛さと絶望、痛みと悲惨さに満ちていることもあるでしょうが、そのすべてが、永遠の旅路に向かうための試練なのです。(中略)困難は魂が向上するための階段です。困難・障害・ハンディキャップ——こうしたものは魂の試練なのです。それを克服した時、魂はより強くなり、より純粋になり、より充実し、かくして進化が得られるのです。」(語る 98)
「往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生で最も暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはずです。いつも日向で暮らし、不幸も心配も悩みもなく、困難が生じても自動的に解決されてあなたに何の影響も及ぼさず、通る道に石ころ一つ転がっておらず、征服すべきものが何ひとつないようでは、あなたは少しも進歩しません。向上進化は困難と正面から取り組み、それを一つひとつ克服していく中にこそ得られるのです。」(霊訓 4)
「霊の大軍に所属する者は、いかなる困難にも耐え、いかなる障害にも対処し、あらゆる問題を征服するだけの強さを身につけなければなりません。(中略)最大の貢献をする道具は浄化の炎で鍛え上げなければなりません。それによって鋼鉄(はがね)の強さが身につきます。一見ただの挫折のように思えても、実際はみな計画された試練なのです。人を導こうとする者が安逸の生活をむさぼり、試練もなくストレスもなく嵐も困難も体験しないでいては、その後に待ちうける大事業に耐えうる性格も霊力も身につかないでしょう。」(霊訓 2)
「それはその人が(再生前に)覚悟していた挑戦です。それを克服することによって、それまで未開発だった資質が開拓され、霊性が一段と発現されるのです。しかもそれは、死後霊界において為さねばならない、より大きい仕事のための準備でもあるのです。」(新たなる啓示)
「問題は、生まれる前に自覚した決意が必ずしも誕生後にそのまま顕在意識にのぼってくるとは限らないということです。それが危機一髪とか、人生の逆境の中で万策つき果てた時などに表面に出て、一気に魂を目覚めさせることがあるわけです。啓蒙の波が一気に押し寄せ、誕生に際して決意した目的に目覚めるのです。」(最後の啓示)
「私は、苦しみさえすれば自動的に人間性が磨かれるとは決して申しておりません。苦難は地上にいるかぎり耐え忍ばねばならない、避けようにも避けられない貴重な体験の一つで、それが人間性を磨くことになると言っているのです。」(霊訓 8)
「それ(神の摂理)を知らないがために引き起こしている愚かしい過ちによる余計な苦しみ・無くもがなの苦しみが実に多いのです。」(霊的新時代の到来)
——場合によっては、苦しみの体験が性格をいじけさせることもあります。
「それは、その体験が魂の本性を引き出すまでに至らなかったということです。それまでに顕現していた側面が、苦難の体験後もまだ真実の自我とはなっていないということです。実在がまだ顔を出していないのです。」(最高の福音)
「同じく苦しむのでも、地上には無用の苦しみが多すぎるという事実を指摘したいのです。みずから背負い込んでいる苦しみ、みずから好んで無知と愚かさの道を選んだために引き起こしている苦しみ、偏見が生み出している苦しみ、迷信に捉われているために生じている苦しみ——私が取り除きたいのは、そうした無くもがなの苦しみです。」(最高の福音)
「要するに理解が行き届かないから苦しい思いをするのです。十分な理解がいけば苦しい思いをしなくなります。また、すべきではありません。」(霊訓 6)
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
霊的人生 実践項目2、利他愛の実践(霊的真理の普及)
(*スピリチュアリズム普及会ホームページ思想Ⅲより)
スピチュアリズムは「真の霊的同胞世界・一大霊的家族」の確立が目的です。そのためには地球上に「霊的真理」を行きわたらせ、「霊的無知」を克服し、物質至上主義と利己主義を駆逐して、地上世界から悲劇をなくすことです。霊的真理の伝道は、地上世界における最高次元の利他愛の実践です。「神の代理者として人類に神の愛を注ぐ」という崇高な行為なのです。マザーテレサは無私の精神から苦しむ人々のために人生を捧げましたが、「霊的真理」を知らなかったために、本来の霊的救いを直接人々に示すことはできませんでした。その点私たちスピリチュアリストは、本当に恵まれた立場に立ち、最高の宝を他人にもたらすことができるという特権が与えられているのです。
霊的真理の伝道は最高の人類愛の実践であり、最も次元の高い神への愛の行為と言えます。スピリチュアリストは、地上人に対して最高次元の奉仕と人助けをする特別な役割を担っているのです。真理の伝道とは関連性のないボランティア活動は、霊的価値がありません。他の人々よりも先に真理を知ったことの重大性を忘れず、一般の人々とは違った立場に置かれていることを自覚しなければいけません。高級霊たちの愛の姿勢に倣い、自分のすべてを真理普及のために捧げ、霊界の道具としての人生を全うすべきなのです。生計を立てるための仕事は、ライフワークではなく、‶真理普及のための手段″と考え、家族へのサービス・友人との付き合い・趣味などは後回しにし、「霊的真理の伝道」を人生の中心に位置づけし、最優先すべきです。
「霊的真理の伝道」という偉業を成し遂げるには、それに見合った準備が不可欠です。人々に働きかける前に、自己流・自己中心的になっていないかを確かめ、自分自身の「霊的新生」を心がけることです。霊的世界との交わりを強固にするため、瞑想・祈りで神に語りかけます。そして徹底した真理の学習を心がけ、真理の核心部分を正しく理解しておくことです。また霊的真理の実践にて日常生活を正します。そして、今日まで陰から献身的に導いてくれた指導霊への絶対的信頼と、スピリチュアリズム人生への強固な決意が大切です。
伝道への準備が整ったらいよいよ奉仕活動(真理普及)の実践です。実践には重大な2つの原則があります。それを無視すると利己的行為になってしまいます。
<霊的真理の普及活動を進めるうえでの2つの大原則>
① 道具意識に立った伝道——霊的真理普及の‶主役″は霊界の人々です。スピリチュアリストは「地上の道具」として、霊界の人々に協力する立場にあります。「道具意識」に立った伝道でこそ最高の実績を上げることができるのです。伝道における動機の純粋性は、「人のため」という利他愛でなければなりません。高級霊の「見返りを一切求めない」「自分のことを忘れてただ相手の霊的成長と幸せを願い、できる限りのことをする」「相手が誰であれ差別をしない」「相手の態度に感情的な反応をしない」「分かってくれたら喜び、拒否されたら相手に同情し哀れに思う」——という伝道姿勢を手本にすることです。
② 時期のきた人に伝える——「カルマ」が切れ一定の霊的レベルに至らない限り、霊的真理を受け入れることはできません。時期のきた人だけを伝道対象とするということです。相手に時期がきていれば、ほんの少し霊的真理を語るだけで、こちらに関心を向けるようになるのです。時期がきていなければ必死に働きかけても、結果的に時間とエネルギーの浪費に終わってしまいます。スピチュアリズムの伝道は地上の宗教とは違い、一時的な感動や洗脳とは無縁です。一般大衆を対象とした布教ではなく、時期のきた一人一人を対象とする個別的な伝道方法です。
普及活動の実際は‶種蒔き″に徹することです。霊的真理を示して時期のきた人がスピチュアリズムに触れることができるようなチャンスを提供すること——これが「種蒔き伝道」です。霊的真理の所在を示すことによって、霊界からの導きが実を結ぶように仕向けることが、スピリチュアリストの役目です。又、スピリチュアル・ヒーリングも‶種蒔き″の一つです。病気が治るかどうかではなく、ヒーリングによって相手の魂が目覚めるかどうかが重要です。伝道については、「スピリチュアリストの責任の範囲は、時期のきた人に霊的真理を手渡すまで」ということです。
又、霊的真理を中心とする少人数のサークルや読書会などの集まりは、‶霊的人生″を歩むうえでとてもプラスになります。こうしたサークル活動は、伝道の一環と言えます。スピリチュアリストは、普及活動の進展がなかなか得られなくても、霊界からの働きかけに注文をつけたり、疑問を抱くようではなりません。「今そのための準備が霊界で着々となされ、ベストの道が進行している」と信じることです。霊界の人々の導きを信頼して忍耐できるかどうかが試され、それが魂を鍛えるチャンスであると同時に、霊界の人々との絆をより強固なものにするチャンスでもあるのです。大切なことは目に見える実績ではなく、スピリチュアリズムのため、人類のためにどれだけ真剣に誠意を尽くしたかということです。結果よりも、人々の救いを願って誠意を尽くしたプロセスこそが重要なのです。
——シルバーバーチの言葉——
「つまり皆さんは物質界で最大の栄光——霊的知識を人のために役立てることができるという栄光に浴していらっしゃるのです。」(霊性進化の道しるべ)
「地上には、自分を変えようとせずに世の中を変えようとする人が多すぎます。他人を変えようと欲するのですが、すべての発展、すべての改革はまず自分から始めなくてはなりません。(中略)地上人類の霊的新生という大変な事業に携わっていることは事実ですが、それにはまず自分を霊的に新生させなければなりません。真の自我を発見しなければなりません。心を入れ替え、考えを改め、人生観を変えて、魂の内奥の神性を存分に発揮しなければなりません。」(霊訓 1)
「教えを説く者には深刻な責任があることは、ここにおいでの皆さんがご存知ないはずはありません。知識には責任がともなうことを何度申し上げたことでしょう。自分を他の人たちより高め、人を教え導きたいと思うのであれば、まず自分自身が拠って立つ足場をしっかりと固めないといけません。徹底的に探求し試してみることを怠り、批判に身をさらすこともせずに自己満足し、本当かどうかの確信もないまま人に教えを説くようなことをしていると、その怠慢と軽率さに大きな代償を払わされる時が必ずきます。」(不滅の真理)
「それを利用したり広めたりする上において、そこに不純な思惑が絡んではいけないということになります。純粋で、最高で、至聖なる形で扱われねばならないのです。そうとは知らずに行っている人はまだしも、問題は、中途半端な理解で終わっている人たちです。根本原理を良く理解せずに、自己顕示欲に動かされ、混乱と迷惑のタネをまき散らします。」(新たなる啓示)
「私の世界には大霊の使者の大軍が控え、いつでも地上世界のために手助けをする用意を整え、あなたのような‶道具″が‶私はいつでも用意ができております。どうぞお使いください″と言ってくださるのをお待ちしている事実を、この目で見て知っているのです。」(霊性進化の道しるべ)
「真理というものは受け皿が用意されて初めて受け入れることができるのであって、それ以前は知らん顔をしているものです。精神が受け入れる気になったときに、真理の方からやってくるのです。」(霊性進化の道しるべ)
「忘れないでいただきたいのは、あなたのもとを訪れる人、あるいは、あなたの方から出向いてあげる人はみな、肉体の奥に埋もれている魂が自由を求め、無知と迷信から脱け出ようとしている人々であるということです。その牢獄の扉を押し開けて魂を解放してあげるのが、あなたの仕事です。」(新たなる啓示)
「集団的暗示や熱狂的説教による陶酔ではいけません。理性と叡智と論理と常識、そして何よりも愛をもって、真実を説くことによって一人ひとり得心させていかねばなりません。結局はそれしかないのです。」(霊訓 7)
「あなたが精いっぱいの努力によって、かりに成果をあげることができなくても、それはあなたが悪いのではありません。その人がまだ霊的な用意が十分でなかったということです。そんな時、せっかくのチャンスが実らなかったことに、ひそかに涙を流してあげて、またいつか、チャンスが巡ってくることを祈ってあげることです。」(最後の啓示)
「たった一人でいいのです。(中略)この地上において元気づけてあげることができれば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。」(霊訓 1)
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
霊的人生 実践項目2、利他愛の実践(周りの人々に対して)
(*スピリチュアリズム普及会ホームページ思想Ⅲより)
地上人は「霊優位」を確立したうえで利他愛を実践するとき、霊的成長を達成することができるようになります。愛が本物となるためには、具体的な人間関係を築き、実際に周りの人々に愛を与えるという現実の行為・行動に至らなければなりません。‶霊的人生″とは利他愛を実践する生き方であり、心の霊主肉従から発生する愛です。心の肉主霊従からは利己愛が発生し、したがって利他愛の実践は心が霊主肉従であることが絶対基本となります。シルバーバーチは「宗教はサービス(無償の奉仕)です」と言っています。利他愛・無償の奉仕によって人間は霊的成長という宝を手にし、自力救済するとともに他者の救いが実現し、これこそが‶本当の宗教″なのです。
<利他愛を実践するためのポイント>
① 先に与える——与える(愛する)ことを、与えられる(愛される)ことよりも優先する。
相手や全体の幸福を、自分の幸福よりも優先する。見返りを期待せず与え続けることが「利他性(利他愛)の法則」です。愛の世界(愛のサイクル)は、自分が霊的上位者になり先に愛を与える中で相手がその愛を受け入れ、愛を返すようになって初めて築かれるものです。そして与えるものが大きければ大きいほど、自分の霊的成長が進むことになります。その際、何を与えたら相手の霊的成長と幸福にとってプラスになるかを知る必要があります。
② 与え続ける——与え続けることの困難を克服する。
見返りを一切期待することなく地上人の救いのために献身的に働いてきた高級霊の純粋な愛を見倣うことです。愛の実践の第一歩が「先に与えること」であり、次に「与え続けること」で‶愛のサイクルを維持・強化″されます。「霊的価値観」に立って見るなら失うものは何もないどころか、人間にとって一番大切な霊的宝(神の愛・霊的成長・霊的幸福)が、ますます与えられるようになるのです。ゆえに相手の反応とは関りなく、与えることだけに意識を向ければよいのです。
③ 相手を選ばない——‶好き嫌い″という人間的感情を乗り越える。
イエスは「与えることを優先する愛」「愛しがたき者をも愛する愛」の見本を示しました。又、イエスの教えは‶敵をも愛せ″という、相手を選ばない愛の重要性を訴えたのです。家族も他人も外国人も同じ「神の子供」であるという「霊的同胞意識・霊的家族意識」を持ち、すべての人を別け隔てなく愛することなのです。「霊的視野」に立ってこそ感情や好みを乗り越えて人類愛を実践することができるのです。
利他愛の実践には必ず自己犠牲がともないます。相手に対する愛が本物であるなら、必然的にそれに見合った自己犠牲を払うことになります。真の利他愛なら、喜んで自己犠牲を受け入れるようになるものです。すなわち「自己犠牲の多寡によって利他愛のレベルが決まる」ということです。地球人類救済のために働いている高級霊たちは、喜びに満ちた霊界での生活・霊的進化の歩みという最大の霊的宝を犠牲にして献身しています。「最高の利他愛」とは、人類の霊的進化と真の幸福のために、自分が持っているもののすべて、人生のすべてを捧げる愛のことなのです。それは愛を最高の形で表現しているということです。
<利他愛の具体的な実践内容>
① 最低限の利他愛実践のラインを守る
●利他愛実践の前に「霊主肉従」の努力をする——自己の‶内面の敵″としっかり闘って、これをコントロールするという基本を確立する。
●人を非難したり、けなしたり、攻撃しない——「霊的真理」を知ったスピリチュアリストには、真理を知らない人々とは異なる重大な責任を背負っているのです。
●他人に迷惑をかけない——周りの人々への気配り・配慮は、利他愛実践の大前提であり出発点です。‶自己コントロール″のできない人間は利他愛を持つことはできません。
●‶スピリチュアリズム″を利用して人々を騙さない——スピリチュアリズムの「霊的真理」を利用して、富や名声を得ようとすることは、「霊的法律(神の摂理)」から見た時、最も悪質な行為・最大の利己的行為と言えます。
② 自分への避難や攻撃に対して、同情心と寛容さを示す
「スピリチュアリズムの普及」は、これまでになかった霊的世界の開拓です。当然周りの人々からの反発や迫害は避けられません。そういう相手に対して、スピリチュアリストは「霊的視野」からの同情心を持ち、寛容な見方をすべきです。真理にそった祈りの心で相手を包むことができれば、それは利他愛を実践していることになるのです。
③ 可能なかぎり、人々に手を差し伸べる
●自分より恵まれない人々に手を差し伸べる——親切心・優しさ・思いやり・励まし・協力・援助等
●奉仕のチャンスは、無限にある——里親としての奉仕・障害者のための奉仕・動物愛護のボランティア・環境問題のボランティア等
●犠牲を厭わない——「相手は自分と同じ神の子供であり、霊的兄弟(姉妹)である」という真理に立った深い平等意識を持ち、「自己犠牲」は当然のこととして望む
●人目につかないようにこっそりと——人々の評価を求めず、誰にも気づかれないところで、相手のために誠心誠意を尽くす。神と霊界の人々は正しく判断してくれている
●時間とともに広がっていく利他愛実践のチャンス——霊界の人々は、地上人を道具として用いて「もっともっと人類のために愛を実践したい」と願っているのです
●人を選り好みしない——どのような奉仕・ボランティアをするのが重要ではなく、どんな人に対しても分け隔てなく与えることができるかどうかが問われるのです
④ 周りの人々の霊的成長を祈る
相手への手助けは、相手の「霊的成長」という地上人生の目的にそって考える。本当の愛の示し方とは、‶苦しみには大きな意義があることを教え、耐えて苦しみを乗り越えられるように励ましてあげる″ことです。試練に打ち克つことができるように祈ってあげるべきです。「霊的視野に立って相手を眺め、霊的成長を祈る」これこそが真実の利他愛の実践なのです。
⑤ 周りの人々に対して「霊的真理」との出会いを祈る
‶一刻も早く真理を受け入れられる時が来て、霊的人生を歩めるように″と祈ることは、高級霊と同じ視点に立って本当の愛を実践していることになるのです。
⑥ 時期のきた人々に「霊的真理」を伝える(霊的真理の普及活動)
普遍的な叡知の霊的真理を教えてあげることは相手の‶霊的救い″につながり、「霊的成長」に直結する最高の利他的行為と言えます。
⑦ 子供を正しく育てる(霊性教育)
親は育児を通して「霊的成長」がもたらされるようになっています。自分の子供に真理を教え霊的人生を歩ませようとすることも伝道の一部と言えます。
⑧ 他の生命体を慈しみ愛する(動植物への利他愛の実践)
人間には、霊的進化の道の先輩として他の生命体を愛し慈しみ、ともに進化・発展する環境をつくっていく使命が与えられています。愛によって他の生命体の進化を促すということです。
利他愛を実践するためには‶新鮮な霊的感性″と‶奉仕に対する情熱″を持ち続けることが必要となります。利他愛の実践を継続するためには、霊的エネルギーの補充が重要になります。霊的エネルギーの枯渇は‶霊的マンネリ(霊的ボケ)″となり、利他愛継続するうえで最大の障害です。そのためには、日頃から「霊主肉従」の努力をしていることが不可欠です。霊的真理を繰り返し読み絶えず祈り、高い霊的意識を持った友人と交わり、肉体の管理を心がけるといった「霊優位(霊主肉従)の闘い」が必要とされます。
*利他愛の実践には2つあります。次回は2つ目の‶霊的真理の普及″について掲載します。
——シルバーバーチの言葉——
「最高の徳は愛他的です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。」(霊訓 1)
「我欲を棄て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だといっているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等のものと下等のもの、明るい面と暗い面があるものです。
家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残である防衛本能によって支配されていることがよくあります。」(霊訓 1)
「自我を発達させる唯一の方法は自我を忘れることです。他人の事を思えば思うほど、それだけ自分が立派になります。」(霊訓 9)
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。
霊的人生 実践項目1、霊優位(霊主肉従)の努力
(*スピリチュアリズム普及会ホームページ思想Ⅲより)
スピリチュアリズム人生(霊的人生)の第一歩は、霊優位のための闘いから始まります。「霊優位(霊主肉従)」は、霊的成長のための絶対条件・必須条件なのです。霊界人は肉体がないため、「肉優位(肉主霊従)」の状態になることはありません。内面の闘いを通して霊的成長し‶真の信仰者″となり、それから人々のために働くのがスピリチュアリストとしてふさわしい道なのです。「霊肉の闘い」を真剣にしている人間、心の清らかさを熱心に求めている人間は、肉体の力をコントロールすることの難しさを否(いや)というほど味わうことになります。そして肉体が重苦しい覆いとなって魂の自由を奪い去り、失敗と敗北の連続といった体験を余儀無くされることになります。
「霊優位の闘い」を通して霊的力・心の力が鍛えられ、霊的成長という宝を手にすることになります。人間に物質の身体を付与され、わざわざ不自由な環境に誕生することについては、こうした深い神の愛があったのです。「霊肉の闘い」の厳しさに打ちのめされ、肉欲の強さに辟易(へきえき)するようなことがあっても、嘆き悲しみ、絶望する必要などありません。人間は肉体の死とともに霊界入りしてからは、肉体を持ったかつての地上人生の意味がよく分かるようになり、霊的成長にとって本当に必要なものであったことを実感するようになるのです。
地上人は「霊優位」の状態を永続きさせることができず、すぐに「肉主霊従」に引き戻されてしまいます。「肉主霊従」という摂理に反した不調和な状態が続くと、やがて心身に苦しみや痛みを感じるようになり、否応なく「霊優位」の方向を目指すようになります。こうして地上人は「霊優位」の状態と「肉優位」の状態を行ったり来たりする中で、少しずつ霊的成長をしていきます。地上世界は失敗から学ぶように造られているため、挫けずにチャレンジするかぎり、スパイラルを描きながら少しずつ進化の道をたどるようになっています。
<霊優位のための具体的な実践内容とは>
① スピリチュアリズムは、厳格な欲望抑制主義——霊的コントロールの努力は、各自の‶自由意志″のもとで実行され、克己の闘いによって霊性が高められていきます。地上人はその苦しい闘いを自分に強いることで、地上人生を価値あるものにするように運命づけられているのです。地上世界は‶物質主義″に覆いつくされ、霊的成長にとって最も困難な状況が展開しています。その最大の原因は、地上人の「霊的無知」にあります。そのためほとんどの地上人が本能的欲望に支配されて、快楽を追求するようになっています。
② 肉体本能からの3つの欲望——「金銭欲・物欲」「性欲」「名誉欲・支配欲(権勢欲)」これらの物質欲を抑制する日々の努力の積み重ねが必要です。すべての本能的欲望を霊的にコントロールする歩みです。物質中心主義によって引き起こされた大量生産・大量消費・贅沢志向の風潮は今や地球全体を覆いつくし、本能的欲望をよりいっそう追い求める社会をつくり上げてしまっています。同時に、人間にとって最も大切な「霊的幸福を奪い取る」という結果を生み出しています。そして経済的に豊かになり、生活が保証されるようになった人々は次に追い求めるのが‶セックス″の快楽です。肉体本能の趣くままセックスに走ることで人間は「霊性」を曇らせ、ますます欲望のとりこになっていきます。十分なお金を手にし、物質的に恵まれた人間が最終的に追及するのが‶名誉欲″であり‶支配欲(権勢欲)″です。他人から称賛され、他人を意のままに動かしコントロールすることが快感になってくるのです。
③ 健全な禁欲主義的生き方
●質素な生活——衣食住には、必要最低限あれば事足りるものなのです。「生活できればそれでよし」といったところで線を引くべきです。お金があってもそれに翻弄されることなく、お金を自分の意思でコントロールし、質素な生活をすることです。余分なお金は人助けのために使うべきであり、使い方によってスピリチュアリストとしての資質が試されているのです。
●貞節を守る生活——「スピリチュアリストは性欲をコントロールし、清らかな生活を心がけなければならない」女性・男性ともに貞操が要求されます。‶性欲″との闘いは、「霊主肉従」の努力の中でも厳しいものの筆頭にあげられます。何百年、何千年後には‶霊中心主義″が人類の常識となっており、醜悪な欲望追求の風潮は跡形もなくなっています。今の時代は暗黒の環境の中で‶理想の光″を目指して最大限の努力をして行くことしかできませんが、苦労した分だけは、摂理の働きによって必ず霊的恩恵がもたらされるようになります。
●謙虚な道具意識を持った生活——名誉欲や支配欲を追求するほど、他人からの裏切りや孤独・寂しさという形で自分の身に返ってきます。その間違いに気づき、見返りを一切求めない無償の愛・無私の奉仕の尊さを知った人は幸いです。霊界の道具としての純粋な奉仕精神を持ち、自分を忘れてひたすら他人に尽くすことだけが、私たちのなすべき道なのです。
*まとめ・・・金銭欲・物欲・性欲・名誉欲・支配欲(権勢欲)は、いずれも物質主義に発するエゴイズムから生じたものです。そうした本能的欲望は「神の摂理」からずれたものであるため、いつか必ず病気や孤独という苦しみ・痛みとなって自分に返ってきます。スピリチュアリズムにたどり着いた者の生き方は、物欲に対しては「質素」、野放しのセックスに対しては「清らかさと貞節」、名誉欲・支配欲に対しては「霊界の道具としての謙虚さ」を常に心がけなければなりません。スピリチュアリズムに導かれて霊的人生を送るチャンスを真っ先に与えられた私たちが、生涯を通して実践すべき内容です。
「霊的エネルギーを高める努力のプロセス」——これがスピリチュアリストにとっての霊的修行であり霊的訓練です。その霊的修行を成功に導くためには霊的な武器・手段が必要となります。それが「霊的真理」「祈り」「一時的な禁欲」「スピリチュアリストとの霊的交わり」です。
●霊的真理——霊的真理に深く感応できる人は、多くの霊的エネルギーをすばやく取り入れることが可能です。
●祈り——「霊的エネルギーが満ちていなければ深い祈りはできない」そのため「霊的真理」をじっくり読むこと。運動や労働によって汗を流し、肉体の調和を取り戻す(入浴も効果的)。自然の中に身を置いて、気分をリフレッシュする。良い音楽を聴く。等
●一時的な禁欲——節食や短期の断食。等
●スピリチュアリストとの霊的交わり——信仰仲間との霊的交わりを持つ。
こうした‶霊的武器″を上手に活用することで、霊的エネルギーが「霊の心」に流れ込み、そこが充電されます。そこから霊的意識が活性化され、心全体が霊優位の状態に変化するようになるのです。
——シルバーバーチの言葉——
「霊が主人で物は従僕です。常に霊に係わることを優先させなさい。」(霊訓 12)
「霊的知識を有する者はそれを正しく運用して、物的要素に偏らないようにしなければなりません。霊的要素の方に比重を置かなければいけないということです。」(霊訓 1)
「私は決して肉体ならびにその必要品をおろそかにしてよろしいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。一人でも多くの人に、正しい視野を持っていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい、霊をそなえた肉体だと思い込んでいる人が、まだまだ多すぎます。本当は肉体をそなえた霊的存在なのです。それとこれとでは、大違いです。」(霊的新時代の到来)
「一般的に言って人間は、肉体にかかわることはおろそかにしておりません。むしろ甘やかしすぎです。必要以上のものを与えています。(中略)肉体にとってなくてはならぬものと言えば、光と空気と食べ物と運動と住居くらいのものです。衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません。慣習上、必要品となっているだけです。」(霊的新時代の到来)
「精神的にも霊的にも自己を厳しく修養し、生活のすべての側面を折り目正しく規制し、自分は本来は霊であるという意識をもって、行動のすべてに霊の優位性を反映させなさい。霊の優位性の自覚にもとづく修養的生活——これが最高の生き方です。」(最高の福音)
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。