「地縛霊の救済はスピリチュアリズムの使命」を読んで

(8月2日インフォメーションより)

今地上は、かつてないほどの混乱状態・惨劇状態にあります。コロナウイルスは増々変化を遂げ、変異株は脅威を増すばかりです。世界の独裁者による人類への抑圧も脅威です。また宗教の極端な教義によって女性の人権を無視する勢力が、政権を握るという世界の動向があります。スピリチュアリズムの最終目的である「地上天国化・霊的同胞世界」の実現に、本当に向かっているのだろうかと思ってしまいます。地上の情勢とは逆に、今回のインフォメーションを読んで、スピリチュアリズムの使命は地球人類救済だけではなく、霊界下層の地縛霊にもおよび、大々的に懸命な救済活動が行われていることが分かりました。霊界では、地上人には想像もつかないような形で‶霊的大変革″が起きているとのことです。その重要な計画の一つがキリスト教聖職者の地縛霊の救済です。

 霊界下層(幽界)には、地上時代に同じ宗教を信じてきた者たちが集まって、地上時代と同じ信仰生活を送っています。間違った教義を信じ、説き、賛美歌づけの日々です。それは「永遠の霊的成長の摂理(法則)」に反しているため、地縛霊となって神の光が届かない霊的暗闇で絶望的な生活を送っているのです。こうした宗教がつくり出す‶霊的牢獄″についてシルバーバーチは、「彼らにとって相応しい場所」と言っています。そこでの聖職者たちの‶魂の苦しみ″は筆舌に尽くしがたいもののようです。そうした地縛霊本人が教義の間違いに気づき、地縛状態から脱け出したいと思わないかぎり、霊的牢獄から解放されません。そのような救済困難極まる地縛霊は、地上人以上の数があると言います。

 地上時代に間違った教義を信じることの恐ろしさが分かります。教義の洗脳から抜け出すためには、大変な勇気が必要となります。肉体の無い霊界では自殺という逃げ道がないため、地縛霊たちの苦しみと恐怖の悲惨な状況に涙がこみ上げてくると言います。そのような地縛霊にも苦しみの体験を経て「霊的覚醒の時期」がおとずれるのです。スピリチュアリズム普及会では交霊会の催しによって、その多くの聖職者たちの救済が行われています。本物の交霊会はシルバーバーチによる啓示が最後と思っていただけに、驚きと感激とで心が躍るようです。そして多くの地縛霊が救われていくその描写に‶素晴らしい″と思いました。指導霊と地上の霊媒、そして参加者メンバーの霊的融合が最高の域に達していたのでしょう。‶少しでも霊的に雰囲気を乱すものがあればできない″といった内容のシルバーバーチの言葉が思い出されます。スピリチュアリズム普及会の、霊界からの信頼度・純粋性が示されているように思います。

 長い間、霊的暗闇の中に置かれた地縛霊にとって、スピリチュアリズムは‶救いの光・希望の光″です。時期のきた地縛霊は交霊会に導かれ、霊的エネルギーに満たされた中で「霊的真理」を伝えられ、霊的牢獄からやっと解放されることになります。そのように交霊会によって救われた霊は多大な数にのぼるといいます。地上に残る人間も地上で展開するスピリチュアリズムの信奉者によって救われていかなければなりません。霊界の神庁から届けられた‶霊的真理″こそがスピリチュアリストの武器です。霊的真理の知識が、いかに重要かが分かります。霊的真理を徹底して学び、それにそって実践努力し自らを霊的に高め、同時に真理普及に邁進しなければなりません。スピリチュアリズムの最終目的である「地上天国化・霊的同胞世界」は霊的真理を手にしたスピリチュアリストにかかっています。

 イエスを頂点とした「地球人類救済計画」に参画できることは、人間にとって最高に価値ある生き方です。それは自分の霊的成長という人生の目的を達成することでもあります。苦しく・痛く・辛く・困難だらけの地上人生ですが、スピリチュアリストはその価値をよく知っています。男女共同参画を推進する日本にいて、自由に真理を学べる環境に身を置いていることに感謝の思いです。救済霊たちの苦労を少しでも減らすため、地上での真理普及に役立ちたいと思います。未熟で足りない分は霊界からの援助を得て、自分は出来る限り精一杯の奉仕をしたいと思います。

*9月読書会ではこの度のインフォメーションの内容について詳しい説明があります。インフォメーションだけでは得られない情報・感動が得られるものと思います。

 ——シルバーバーチの言葉——

「地上の宗教家は、死の関門をくぐった信者はただちに、言葉では表現できないほどの喜悦に満ちた輝ける存在となって、一切の悩みと心配と不安から解放されるかに説いていますが、それは間違いです。」(The Seed of Truth)

「宗教的頑迷さにおいて程度が同じであることから、彼らは引き合ってグループを形成することになるのです。」(The Spirit Speaks)

「私たちにとって大きな困難の一つは、多くの者が死後についての強い先入観を持ったままこちらへ来るということです。自分が想像していた世界だけが真実であり、それ以外はないと思い込んでいます。ひたすらそう思っているため、彼らは自分自身がつくり出した世界の中で生きることになるのです。」(The Seed of Truth)

「私はこちらの世界で、後悔している多くの牧師に会っています。彼らは地上人生を振り返り、自分が霊のメッセージを説いてこなかったこと、バイブルの言葉や教義だけにこだわって実践を疎かにしてきたことを後悔しているのです。彼らは、できればもう一度地上へ戻りたいと望んでいます。」『シルバーバーチの教え(下)』(スピリチュアリズム普及会)

「宗教の教義(信条)による束縛は、地上界の悲劇の一つです。それは重い疫病よりも悪質で、肉体の苦しみよりも、はるかに酷い苦痛をもたらします。なぜならそれは‶魂の病″を生み出し、霊に目隠しをしてしまうからです。」『シルバーバーチの教え(上)』(スピリチュアリズム普及会)

 *普及会インフォメーションからの抜粋と、シルバーバーチの言葉の引用に関しては普及会の許可を得ています。意見感想は私個人の見解です。

人生の目的とは

長い雨期が終わり夏本番に入りました。コロナ感染が爆発的に激増しています。皆様ご無事でありますように。コロナ非常事態宣言中に国民の声を無視して五輪オリンピックの開会式が行われました。今でも、五輪にかけるお金を中小個人企業のコロナ倒れの救済のために使われたら良かったのに…との声が多いと思います。民主主義の日本のはずなのに‶自由民主党の弱独裁化″と思うのは私だけでしょうか。しかし開会した以上、感動で世界を一体化できる成功の五輪であって欲しいと思います。これはあくまで私個人の意見です。世界の動向、日本の行方が気になります。

 パンデミックの最中、一部の世界の覇権を狙う影響力による混乱や、どの国も経済のどん底で苦しむ中、何ひとつ解決策を見出せないでいます。なぜ人間は国・民族・肌の色・宗教の違いによって差別をするのでしょう。一部の特権階級による豪華絢爛な生活と、多くの貧困階級の悲惨な生活。独裁によって少数民族への人権侵害やヘイトクライム等、文明が高度に発展しても人間の精神は進化発達の感が見えません。今こそ人間は何のために地上に生まれてきたのかを問い、精神を人生の根幹に向かい合う時と思います。

 人間は霊・霊の心・霊体という霊的要素と、肉の心・肉体という物質的要素を合わせ持った存在です。霊が主で物質が従です。その中で「霊」は人間だけに与えられた「神の分霊(ミニチュアの神)」であり、人間の構成要素の中で最上位を占めています。それゆえ地球上の生命体の中で人間は霊的に頂点に位置しています。霊的次元の長となっている以上、それなりの責任が付与されます。それは‶人間より霊的に低い生き物を愛し導く″という使命があるということです。ペットとして人間の家族の一員として生きた動物は、野生の動物より穏やかで優しく、時には人間を守ろうとします。その動物は人間の愛によって霊的に成長したことを意味します。

 この霊的知識が世界中に広まれば、かつて地上にいたナザレのイエスの言葉通り‶野獣も子羊も仲良く寝そべる世の中になる″ということです。それはシルバーバーチの言う「世界の天国化・神を親とする霊的同胞世界の実現」に他なりません。東京スピリチュアリズムサークル読書会では、『シルバーバーチの霊訓』を基にした「霊的真理」を学んでいます。「人間観」の学びを終えて、6月、7月は「人生観」を学びました。人生観は‶人間は何のために地上に生まれてきたのか″の疑問を明らかにする学びです。人間は霊的親である神より「神の分霊」を与えられているため、永遠に霊的成長をし続け、「神」に近づく努力をする存在です。しかしどこまで行っても神とは合一を果たせない永遠の進化向上の道を歩むことになります。

 霊的成長のための実践項目として、①霊主肉従の努力、②利他愛の実践、③苦難の甘受があります。①霊主肉従の努力は、お金や地位・名誉・権力という物質を中心とした生き方より、魂の向上を重視する努力を成すことで、②利他愛の実践が可能になります。物質中心主義では利己愛しか生まれないからです。利他愛とは自分より他人や動植物を思いやる心です。そして多くの苦難の体験を乗り越えることで精神は、忍耐力・寛容心・正しい生き方の方向性を身に付けることになります。それが③苦難の甘受です。その3つを実践し続けることで霊的成長が可能になり、それこそが地上人生の目的(霊的成長至上主義)です。それは次の世界(霊的世界)に渡る準備が整ったことを意味します。

 地上の宗教教義とは比べものにならない位、高度な教えです。地上にある教義の中で魂から納得できる唯一の教えです。神に祈るだけ・多くの布施を奉納し・信仰を誓い・罪を告白することで全てが許され、死後天国行きが約束される…など、霊的無知から生まれた人工の教えで魂が救われるはずがありません。自らを苦難によってカルマを清算し、多くの体験によって‶魂の琴線″に触れる生き方でしか霊的成長は叶いません。自力救済という克己努力によってのみ神の願う霊的成長が可能になります。「霊訓」に出会えた人は本当の幸せ(霊的成長)という人間の宝を手にしたと言えます。しかし霊訓はあくまで手引書です。手引書にそって実践努力という終わりのない永遠の進化向上の道を歩むのが人間の使命です。

 シルバーバーチは「神はなぜ、永遠の進化向上という終わりのない道を人間に与えたのか、今も納得できていない」と告白をしています。人間は神によってそのように創造されたということしか分かりませんが、霊的成長の階段を一歩ずつ登るごとに幸せを感じることは間違いありません。それは「霊訓」と出会う数年前の自分と、今の自分を比べてみると一目瞭然です。自分の幸せは奮闘努力して自力で達成するしかありません。地上の宗教のように他力本願では達成できないのです。「霊訓」を理解できるということは、苦難の人生こそが本当の幸せに至る道であることが納得できます。納得できるからこそ他人に「霊訓」を勧めることができます。それが霊的成長の実践項目④真理の伝道です。

 2千年前イエスは「物欲にとらわれない生き方」と「隣人愛」を説きました。それはシルバーバーチの教えの実践項目、「霊主肉従の努力」と「利他愛の実践」と同じものです。当時の人々はそれが理解できず、間違った人工の教義を作ってしまいました。それが人間の魂を霊的牢獄に閉じ込めることになったのです。そして宗教戦争や魔女の火刑という悲惨なできごとを引き起こしました。近代にいたっても戦争・飢餓・環境破壊・人権侵害・動物虐待など悪癖がおさまりません。今こそイエスが願った教え、シルバーバーチの教えを一人でも多くの人に伝えたいと思います。それが霊界の願いでもあります。

 *読書会の学習内容の詳細は東京スピリチュアリズムサークルのホームページと他のスピリチュアリストのブログをご覧ください。感想と意見はあくまで私個人の見解です。

「イエスの復活の真実」を読んで

私は若いころからイエスに関心があり、図書館で小学生向けの「聖書物語」をよく読んでいました。「聖書」そのものは難し過ぎたので理解しやすいものを選んだのです。生前のイエスが起こした奇跡や磔刑という悲劇、そして復活の物語に感動したものでした。誰もいない教会に一人で入り、十字架のイエスに手を合わせたものでした。別にクリスチャンでも何でもないのにです。イエスに何か偉大なものを感じていたのです。そして今、シルバーバーチによってイエスについての詳細を知るという幸運に恵まれました。

 キリスト教はイエスの復活から始まりました。「復活」という奇跡は、イエスが‶唯一神の子″であった証であり、それを信じた者だけがクリスチャンと認められました。聖書には、復活の他にもイエスによるさまざまな奇跡が記されています。その中で‶イエスの復活″を最大級の奇跡と考えます。しかしイエスの弟子やほとんどの人達には内心、信じられないことでした。弟子達は、イエスが生前の姿を取って現れ、直接対面し、言葉を交わして初めて「復活」が事実であることを認めました。その後2千年間にわたってキリスト教の歴史を刻むことになりました。

 現代の‶聖書学研究″の見解は、「聖書は多くの矛盾を含む人工的な書物」であることを明らかにしました。事実、歴史的事実の証拠と言える内容に乏しく、神話や他の宗教から取り入れられた記述が多く、実際には人間の手でつくられた人工の書物・後世の人間によって創作された書物であることが知られるようになりました。現代科学は、イエスの復活について「超常現象や臨死体験は脳内における主観的現象であって、実在しない」との立場に立っています。それから2千年後の現在、「シルバーバーチ」の出現によって真実が明らかになりました。シルバーバーチは「イエスの復活は事実である。復活は実際に発生した出来事である」と言っています。

 イエスの復活は、エクトプラズムによる「物質化現象」でした。スピリチュアリズムの心霊実験において、次々と他界者(死者)の生前の姿が再現されたことを考えると復活という現象は、イエスに限った現象でないことが分かります。シルバーバーチは「イエスの復活は‶心霊法則″を熟知していたイエスがそれを駆使して起こした心霊現象である」と言っています。当時イエスの弟子たちはイエスの復活が‶メシア″であることの証明と考え、弟子の一人であるパウロは、「イエスは人類の罪を背負い、十字架で死ぬことで贖罪を可能にした」としたのです。そして復活したイエスを、人類を救うメシアであると信じることによって、罪人である人間は救われるという「キリスト救済論」が形成されることになりました。

 イエスの真意は復活の事実によって、「自分は今も生きている。肉体の死後も生命は続く」ということを示そうとしたのでした。しかしイエスの願いに反して、「イエスの贖罪によって人類は救われる」という間違った考え方(贖罪説)がつくられ、それがキリスト教の正統な教えとして広まっていくことになりました。イエスは死後も霊界からの働きかけを続けますが、事態はイエスが思ってもみなかった方向に進んでいき、それがイエスに深い悲しみをもたらすことになったのです。

 イエスの本当の使命は、ユダヤ教の中に埋もれていた「基本的な霊的真理」を人々に示して、正しい生き方を促すことでした。「基本的な真理」とは「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」という利他的精神、すなわち‶黄金律″のことだったのです。そしてもう一つが「物より心(魂)を重視し、物的富より霊的富を優先する」というものです。これはシルバーバーチの教えの「利他愛の実践」と「霊主肉従の努力」と同じものです。

 イエスが示そうとした「神の国」は、人間の心の向上にともなって現れる内面世界(霊的世界)のことです。イエスの生前の教えは実にシンプルなものでしたが、当時の人々は「霊的無知」が過ぎたため、イエスの真意を理解できなかったのです。イエスが説いた‶愛の教え″は、イエスの死後、‶贖罪による救済論″によって片隅に追いやられ、その間違った教義が人々を‶霊的牢獄″に閉じ込めて、宗教戦争魔女狩りなどの凄惨な出来事を引き起こすことになったのです。

 現代に至ってシルバーバーチの出現により、イエスの復活の真意が明らかになりました。幸いなことに私達は、霊訓本や普及会ホームページや読書会によって2千年前イエスが示そうとした「霊的真理」を間違うことなく、正確に、詳細に学ぶことができます。私達は霊的真理を正しく学ぶことによって霊的成長が可能になります。この特権を無駄にすることなく、価値ある地上人生を歩み、イエスの願う「真の霊界の道具」を目指して参りたいと思います。

 ——シルバーバーチの言葉——

「イエスは霊界へ戻った後、再び同じ姿を取って地上で縁のあった人々の前に現れました。これをキリスト教では‶復活″と呼んでいます。イエス以前にも死者が生前の姿で現れた例はたくさんありますし、イエス以後にも数えきれないほどあります。」(教え上)

——イエスの言葉と思われる——

神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなた方のただ中にあるのだ。」(ルカ17章20節~21節)

 *「イエスの復活の真実」はスピリチュアリズム普及会ホームページのインフォメーションに詳細が掲載されています。なおこれら引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

イスラエルとハマスの戦闘の真実

日本は島国であるゆえに他国からの侵略から逃れてきました。しかし今後は分かりません。尖閣諸島や沖縄の領土を狙い、北海道の水資源を狙う中国があります。そして北方領土に関しては、ロシアは実効支配を強め、もはや日本に返す気はないようです。日本は礼儀を重んじ、外国人にも思いやりを持って接する国です。霊的にも良質な日本人ですが、他国の凶暴で強大な軍事力に勝てるとは思えません。アメリカとの安保条約に期待を寄せるのが唯一生き残る方法かと思います。しかし約束事にも変化が伴うのが人間の宿命です。日本にとって地理的に重要なのが韓国ですが、そこのトップ・指導者・有識者は愚です。そんな中、日本の国民性を高く評価し日本に接近してくるイギリスがあります。日本の同盟関係はどう変わるのでしょう。

 中東に目を向けますと、パレスチナ問題が長い間戦争に向かう危険のタネとなっていま す。この度のイスラエルとテロ組織ハマスの衝突は、トランプ大統領が聖地エルサレムイスラエルの領地として断言したことに発します。今年5月7日イスラムラマダン最後の金曜日のことでした。礼拝のため聖地に集まったパレスチナ人とイスラエル警察が衝突したのです。東エルサレムパレスチナ人が裁判所から、聖地からの立ち退き命令が出たのが原因です。その衝突でパレスチナ人200人以上が負傷しました。そして5月10日からハマスによるイスラエルに向けてのロケット砲撃が始まったのです。

 パレスチナハマスが支配するガザ地区と、アッバス議長代表のファハタ(穏健派)が支配するヨルダン川西岸との2つに大きく分けられます。地図を見ますと2地区は飛び地になっています。5月7日のイスラエル警察との衝突が発端でハマスイスラエルへの攻撃が始まりました。中東で一番の軍事力を持つイスラエルに攻撃を仕掛けたハマスの狙いは何だったのでしょう。この度の戦争はイスラエルハマスとの戦いです。ファハタ派の関与はありません。ハマスとはテロ組織です。中東最大の軍事力にハマスは正当な手段で勝てるはずがありません。

 ハマスは子供の遊び場や病院を発射台にしてイスラエルに砲撃をしたのです。イスラエルは民間人の犠牲を恐れ、反撃の5時間前に民間人に砲撃の通告をしました。しかしハマスは女性・子供が逃げられないように人間を拘束してイスラエルに攻撃を続けました。イスラエルは攻撃を受けるばかりなので反撃をするしか方法がなかったのです。そのためイスラエルの犠牲者は20人、パレスチナの犠牲者は218人との報道です。パレスチナの犠牲の多くが女性と子供でした。そうです、ハマスは女性と子供を「人間の盾」にしたのです。

 国際的に報道される内容は「イスラエルの犠牲者は20人、パレスチナの犠牲者は218人でその多くが女性と子供」ということになり、イスラエルは国際的非難を浴びることになりました。世界の人々は「人間の盾」については知ることはありません。当然イスラエルは悪者にされてしまいました。私自身はどちらの国が悪いとの判断ができるほど知識がありません。ただハマスの卑劣な手段に強い反発を覚えるのです。幸いにも5月20日、エジプトの仲裁を得てイスラエルは無条件で停戦を受け入れ、ハマスもそれに合意したということです。しかし本来の領地問題が解決しないかぎり、本当の平和はあるのでしょうか。

 人間を、それも女性と子供を盾にするとは、さすがテロ組織所以のなせる業です。しかもイスラエルを悪者に仕向けたのです。そのハマスの真の狙いは、イスラエルの残虐性を国際社会に訴えて、全パレスチナ人の指示を得ることでした。アッバス議長率いるファハタを倒し、ハマスパレスチナの実権支配を握るためです。ファハタは穏健派でありイスラエルと裏でつながりを持っていました。ハマスは汚い手段を使って実権を握ろうとしたのです。内情の核心部分を知れば、テロ組織の残虐性が浮き彫りになります。

 資源も食料も、知識も分け合い互助の精神が行き渡った世界となるためには、スピリチュアリズムの霊的真理の普及以外に方法がないことを改めて認識させられます。スピリチュアリズムの最終目的は、世界の天国化・霊的同胞世界の実現です。そのためには政治・経済・宗教・教育の全てに霊的真理を適用するしかありません。私は安全地帯に身を置いて、せめて真理を語ることしかできません。シルバーバーチの願う「たった一人の人に霊的に目覚めてもらう」ことを目標に、スピリチュアリズムに人生を捧げたいと思います。

 ——シルバーバーチの言葉——

戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。(教え下)

人間には大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残も留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです。動物性をむき出しにすると、戦争や紛争や殺し合いなどが起こります。反対に内面の神性を輝かせ互いに助け合うようになれば、平和と調和と豊かさがもたらされます。(教え下)

霊界側から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。戦争は、人間は地上界を離れる時期がきたときに肉体から去るべきであるという摂理に反することになるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。(教え下)

私たちのように地上圏に降りて仕事をしている者は、地上人が救われるためには、私たちがお届けしている霊的真理を受け入れる以外にはないことを痛感しています。(教え下)

霊的真理を知り、それを実行しようと決意したとき、そして日常生活においてあらゆる問題に奉仕と無私の精神で臨むようになったとき、地上界に平和と調和が訪れます。それはいかなる党派の主義・主張からも生まれるものではありません。大霊の子供たちが霊的真理を理解し、それを日常生活に、そして政治や経済や国際問題に適用していくことから生まれるのです。(教え下)

あなた方は国や民族の概念で考えますが、私は大霊とその子供という概念で考えることを、これまで何度も申し上げてきました。破壊のための兵器をいくら作っても、平和はもたらされません。平和を希求する声が高まり、人々が愛の奉仕にのっとって生きるようになったとき、平和が訪れるのです。私は、一つの国、一つの民族という概念はとりません。全人類が大霊の一部であり、大霊の子供であると考えているのです。大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争と破壊、混乱と破綻が尽きることはないでしょう。(教え下)

 *このブログの内容は私個人の見解によるものです。なお「シルバーバーチの言葉」の引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「イエスの本来の使命と、生前のイエスの教え」を読んで

桜が花吹雪となって見事に空中を舞い、そして道路のチリとなってしまいました。代わりにさまざまな花が形と色を競っています。それとは反してコロナ変異株の勢いが増々威力を増して世界を混乱と恐怖に陥れています。皆様どうかご無事でこの難局を乗り越えていただきたいと思います。今回のブログは普及会ホームページのインフォメーションを読んで、イエスの本来の使命と教えに感動し、魂から納得できたことを取り上げました。

 キリスト教はイエスの真実を捻じ曲げ、人工教義によって人類を‶霊的牢獄″に閉じ込め、地球上にさまざまな悲劇を引き起こしてきました。聖書はイエスの死後につくられたものです。イエス使徒たちがイエスの教えを正しく理解できなかったことに加え、当時の聖職者たちの権力による聖書の書き替えが行われたため、聖書そのものの価値を失ってしまいました。つまり聖書を通してイエスの教えや使命を知ることはできないということです。

 イエスの本当の使命が明らかになったのは、シルバーバーチによってでした。イエスが人々に教えたかった「基本的真理」は、「神への愛」と「隣人への愛」でした。イエスは‶愛の実践″を最重視することで、民族宗教から人類普遍の世界宗教という領域に進んでいたのです。それを表しているのが「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」です。まさに民族を超えてすべての人間に対する人類愛の教えです。イエスのもう一つの使命に「物欲にとらわれない霊中心の教え」がありました。「物質中心の生き方」から「霊的真理(摂理)に一致した生き方」を説いたのです。このイエスの使命の2つはシルバーバーチが説いたのと同じ、「利他愛の実践(利他愛の摂理)」と「霊中心の生き方(霊優位の摂理)」に合致します。

 読書会に参加する人は皆、真実の探求者です。厳しい試練に耐え抜いて霊訓にたどり着いた求道者です。求道者が教えの中にラクなもの、欲望を叶えてくれるもの、一生不安のない人生を生きるための教えを求めるはずがありません。魂を磨き、霊性を高めるための教えにラクなどあるはずがありません。この物質世界で霊性の向上を求めるには当然、この世の宗教とは相たがえる教え、当然、厳しく苦しい教えになるはずと思います。今地上に「霊界主導の地球人類救済計画」が展開しています。その発祥元はイエスです。そのイエスが2千年前に人類に示した教えと、現在地上に展開しているスピリチュアリズムの、発祥元であるイエスの教えと違うはずがありません。摂理に変更などあり得ないからです。言葉の表現は違っていても内容はシルバーバーチの教えと同じであることが分かります。

 厳しい教えを、自己を高めていくための知識であると悟った者にとってはありがたい光明であり、人生の指針として厳しい道と知りつつ納得し、喜んで自分を律し克己努力するに違いありません。「霊中心の生き方」と「利他愛実践の生き方」によって霊的成長という宝を手にすることができることを知っているからです。——後に続く人たちのために少しでも道を平らにしてあげることができたら、地上人生は最高だったと言えます——これはシルバーバーチの言葉です。「シルバーバーチの霊訓」を学んでいるスピリチュアリストから見て、インフォメーションの内容に一つとして不信に思うもの、反発心を抱かせるものはありません。このたびのインフォメーションも霊界からの通信と思われます。疑う余地のない内容に普及会の信頼性も深まるばかりです。普及会とのご縁を得たことに感謝し、ますます自己の霊的成長を目指し、道具として精一杯働いてまいりたいと思います。

 ——イエスの教え——

「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなた方の聞いているところである。しかし、私はあなた方に言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなた方の父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからである。あなた方が自分を愛する者を愛したからとて、何の報いがあろうか。」(マタイ5章・43節~46節)

「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなた方は、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ6章・24節)

 ——シルバーバーチの言葉——

ナザレのイエスは、そんな目的(贖罪)のために降誕したのではありません。人間はいかに生きるべきか、いかにすれば内部の神性を顕現させられるかを教えるために地上へ降りてきたのです。キリスト教の神学は、地上世界にとってまさしく‶災いのもと″です。」(教え下)

「イエスには使命がありました。それは、当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説のがれきの下に埋もれて無視されていた基本的な真理のいくつかを掘り起こすことでした。」(The Seed of Truth)

「愛を最高のものとした教えは立派です。それに異議を唱える人間はおりません。愛を最高のものとして位置づけ、ゆえに愛は必ず勝つと説いたイエスは、多くの人生の師が説いているのと同じシンプルな真理を説いていたのです。」(The Seed of Truth)

「イエスには使命がありました。それは、当時の民衆が陥っていた物質中心の生き方の間違いを説き、真理と悟りを求める生活へ立ち戻らせ、霊的法則の存在を教え、自己に内在する永遠の霊的資質についての理解を深めさせることでした。」(Wisdom of Silver Birch)

 *なおこれらの引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

思念の現実化について

3月読書会では今期、2度目の「語る」の練習が終わりました。「語る」の発表のために参加者は、レジメやパネル作りに奔走され、日々語る練習に心血を注がれてきたと思います。その成果は発表当日の発表内容の濃さ、表現の豊かさで聞く人の心を虜にしました。まさにこれから霊界の道具として役立ちたいとの思いがいっぱいに込められた発表だったと思います。この企画はもちろん伝道に役立てるためです。今回発表を見送られた新参の方は次回の機会のために真理を引き続き学ばれていきますが、新参者といっても読書会とご縁を得る前にかなりの霊訓を読んでいる方ばかりです。それ相当の力を持っていることは霊界の導きによって証明されています。次回の「語る」の発表が楽しみです。

 こうして読書会を訪れて学びに参加されるということは、真理をかなり理解された上での道具意識の強さを表しています。今回の読書会で学んだシルバーバーチの言葉があります。「真理の理解を深めるごとに霊界からの影響力が増してくる」・・・道具を目指す者の魂を喚起し燃え上がらせる最高の言葉です。読書会参加者は道具意識への思念も強烈と思います。人間は思考が発端で思念が強まり、それが行動に移すことになります。思念の強さが現実化することになります。今回のブログは「思念の現実化」について書きたいと思います。

 10年ほど前、私は思念が現実化する現象を体験しました。テレビ番組で放送された内容に疑問を抱きながらも私自身が試してみたことです。——正座をして心を落ち着けて深呼吸を数回し、その後目を閉じて10秒位瞑想します。そして正座のまま人差し指をだけを立てて、人差し指で天を貫く思いでその腕を天に向けて突き刺します。人差し指に思念の思いのたけを集中して、天に向かう人差し指を凝視しながら「人差し指伸びろ、伸びろ、伸びろ・・・」と10秒位渾身の思いを込めて祈るのです。そして一気に気を抜いて間髪を入れずに正座の膝の上に両手を並べて人差し指の長さを比べました。念じた方の人差し指が別の手の人差し指より4~5センチ長くなっていました。私自身にその力はありませんので、当然霊界の影響があったものと思います。

 数秒後に元の長さに戻りましたが、比べた瞬間は本当にビックリしました。そして思念は現実化するということを自ら実現させ証明させてしまったこと、確信が得られたことに、私の後の生き方を変えるのに自信を持つことができました。霊は物質に優り、霊こそが思考を生み出し、その内容によって人間性を高めていくことも低めることもできるのです。私には多くの心霊体験があり、この思念の現実化の証明も他の霊的なことのすべて、シルバーバーチの霊訓が証明してくれていました。当然私は「シルバーバーチの霊訓」を人生の指針とし価値ある人生を歩むことに何の躊躇もなく突き進むことができました。真理を自分のものにしたいと強く思えば行動に表れ学び、自分のものになります。道具になりたいと祈念すれば道具としての行為に表れます。

 言動は思念から生まれます。善い思念は善い言動として、悪い思念は悪い言動として現れます。思念の内容によって魂の成長として現れる場合、あるいは病気や精神的苦しみとして現れることもあります。怒り・恨み・嫉妬という感情は相手を傷つけるとともに自分の霊性をも汚します。また人間は霊的存在である以上、善い思念は高級霊界につながり高級霊の援助が得られます。悪い思念は低級界とつながり低級霊の障りを受けます。それが摂理だと思います。人間は霊として物質の世界で生きています。肉体に覆われて思考は見えませんが、すべての思考も万物も神の摂理の支配によって管理統制されています。人間は摂理から誰も逃れることはできません。とすれば人間はおのずとどのような生き方がベストか、得なのか、が分かります。

 スピリチュアリストは恵まれました。永遠の進化向上の道を知っているからです。この世で霊的真理を実践努力した分、真の救いである霊的成長が叶うことを知っているからです。「霊界の道具として生きることは最も価値ある生き方です」・・・これもシルバーバーチの言葉です。スピリチュアリストは皆、強い道具意識を持って真理を実践し魂を磨いています。道具意識を持ち続けているゆえに読書会とのご縁を得、「語るの練習」という行動に結びついていると思います。そして思念が強い分、霊界の強い影響力を受けて確実に道具の道を歩んでいます。「霊的真理を説き聞かせることは神の愛を注ぐこと」というシルバーバーチの言葉通り、道具として奉仕の道を歩めることを誇りに思い、同志とともに利他愛を実践してまいりたいと思います。

 ——シルバーバーチの言葉——

「霊的真理を説き聞かせることは、神の愛を注ぐことです。その愛が魂の琴線にふれると、まず精神の視野が開けて人生観が変わり、あなた方が説く霊的知識のかけがえのない価値に気付くようになります。」(新たなる啓示)

「あなた方としては、1人ひとりが、できうる範囲内で霊的知識を広めることを心がければよろしい。自分自身が光明を見出したように、今度は、誰か自分以外のたった1人に光明を見出させてあげることができたら、それだけでこの地上生活は有意義だったことになるのです。」(新たなる啓示)

「ここに集まっている皆さんは、教義の牢獄から脱したことを喜んでください。そして、喜ぶだけでなく、今なお隷属状態にある人々を解放してあげるために努力してください。」(教え上)

「霊的真理を1つでも多く理解していくことが、あなた方の魂と霊的身体を霊界からのエネルギーを受けやすい体質にしていきます。これは地上と霊界を結ぶ磁気的な絆なのです。」(霊訓1)

*なおこれらの引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

霊訓を受け入れる時期

私は50代半ばで霊訓と出会いました。そしてシルバーバーチの言葉に惹かれ夢中で霊訓を学ぶようになりました。霊訓を目にして気に掛ける人と無関心の人がいます。その差は何でしょう。私は高齢者です。当然高齢者同士の付き合いが多くなります。誰もが長い人生を生きている間には、大変な苦労心労があったはずです。命にかかわる病気をしたり、経済的困窮に陥ったり、人間関係で裏切られたり、死にたいと思うことは1度や2度はあったと思います。そういう人生の中で「人間はなぜこんな苦しい世界に生まれてくるのか」「人間は死んだらどうなるのか」「あの世はあるのか」と疑問を抱く人と、何も考えない人がいます。その差はどこで別れるのでしょう。

 考える人は知りたいとの欲求によって本屋や他の宗教を探し回ります。そして霊訓と出会った時(実は偶然に出会うのではなく霊界の導きがあるのです)、感動を覚え、霊的に目覚めるキッカケになるのです。時期がきていれば夢中になって霊訓を学びます。そして更なる向上を願って、ネットを調べて読書会に導かれることになります。すべては霊界の導きであり配慮があったのです。しかし人生について深く考えない人が多いということは、大して苦労がなかったのでしょうか。知り合った人の話を聞くと、何度かの大きな手術を乗り越えたり、伴侶のDVから逃げてきた人、いまだに生活に支障をきたす難病を患ったり、家族に障害者がいたり、大変な苦しい人生が聞かれます。聞く側の私が苦しくなるくらいです。

 去年は伝道を意識した年でした。私は高齢者が何の備えもなく無知のまま次の霊界に渡るのが不憫でなりません。親しくなった数人に、救われるチャンスと思って「シルバーバーチの霊訓」の存在を、あるいは「人生について」「死について」「死後の世界について」話すことがありました。また私のブログを教えることもありました。殆どの人が一旦は興味を示し、話を聞いてくれたりブログを読んでくれたりしましたが、「良い話を聞いた」あるいは「信じられない」と思うだけでそれ以上の関知は望みません。なぜもっと知りたいと思わないのか不思議でした。ずっと考えていました。そしてやっと分かった気がします。

 皆長い人生の中での大変な苦労があっても、誰かがお世話してくれたり、相談に乗ってくれたり、頼れる人が傍にいたのです。また宗教に依存することで心が軽くなるのです。そのため魂の琴線に触れるところまで落ちることがなかったのです。幸いにというか、霊的には残念なことにどん底を経験する前に精神(心)が物質的次元で救われてしまったのです。その人は大変な苦労の人生だったと思っていても、霊的次元でのどん底まで落ちなかった・・それが人生の究極の探求心の芽を摘んでしまったのだと思います。そもそも宗教教義は間違いだらけであり、深刻な魂の病を引き起こします。そういう人たちは地上人生を台無しにし、霊的無知のまま次の世界へ赴くことになります。そういう意味でどん底まで落ちなかった人を気の毒に思います。

 地上人生において不幸のどん底を経験することは霊的覚醒に至るキッカケの一つです。大病にて、あるいは大事故で危篤状態に陥った時、昏睡状態になった時、誰もがその人間の精神(心)に関与することができません。本人の肉体能力は失っています。体力が落ちた時に霊能力が表面に表れ心霊体験をすることがあります。心霊体験は霊的なことに確信を持てる最大のチャンスです。この世的には不幸現象でも霊的には霊的成長の道に踏み入るチャンスを得たことになります。アメリカの脳神経外科医エべン・アレグザンダー氏は多くの患者の心霊体験を聞いて‶脳の錯覚“と思っていたことが、自ら大病を患い危篤になり昏睡状態に陥ります。そして幽体離脱体験をすることになるのです。氏は確信を得た霊的事実について本を書き、各地を講演して回ることになります。(プルーフ・オブ・ヘブン早川書房出版)要するに魂の窓が開くには並みの辛苦では達成できないことを証明しています。

 半面、若くして人生の半分に満たないうちに霊訓を手にする人もいます。しかし若くして霊訓にたどり着けたとしても、この世ならではの試練は当然あります。そういう人たちは前世の経験があと一歩で霊訓にたどり着けるまでの深いものだったのだろうと思います。そしてこの世で霊訓にたどり着くまでのあと一歩を、今世の試練によって達成することになったのだと思います。地上人生における苦難が魂の目を開く起爆剤になるのです。苦難の乗り越え方が霊的目覚めに繋がるかどうか、それが重要であることが分かります。前世・今世を通してすべての人に霊的覚醒のチャンスが訪れますが、霊訓を手にする人はほんの一部の人、時期のきた人に限られるということです。その現実を目の当たりにして、伝道に対する焦りを止めることができました。でも「シルバーバーチの霊訓」という重要題名だけは記憶に残って欲しいとの思いで、必ず手紙の中に記し、あるいはブログの題名「シルバーバーチの霊訓に学び価値ある人生を歩む」をお教えしています。

 また、この世の老若年齢で霊的成長度は測れません。霊的年齢は見た目では分からないということです。読書会の参加者の感想を聞いていても素晴らしく、全てのスピリチュアリストに対してレベルの高さを感じています。その中に私もいられることに感激と感謝の思いでいっぱいになります。「霊界の道具として生きることは、最も価値ある生き方です」というシルバーバーチの言葉があります。また「もっともっと多くの人材——これが私たちの大きな叫びです。いつでも自我を滅却し、犠牲を払う用意のできた、勇気と熱意と誠実さにあふれた男女が欲しいのです」とも言っています。読書会に導かれた人たちは霊界によって選ばれた人たちです。同志とともに道具の資質に磨きをかけて、ハイレベルスピリチュアリスト目指し、霊界の願いに応えてまいりたいと思います。

 *なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。