死について(死生観)の補足

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今回は死に関するさまざまな問題を取り上げます。
① 自殺について
生命は神から与えられたもので、自分で勝手に捨て去ることは摂理違反となります。摂理に違反すると因果の法則が働き、それ相応の長い苦しみの中で罪の償いをすることになります。
② 死刑制度について
国家による公認の殺人行為であり摂理違反となります。神の分霊を宿している人間の命は神のものであり、死刑は大罪です。無期懲役にすべきです。死刑にすることで魂は低級界にて憎しみが増幅し、地上の人間に取り付いて(憑依)悪事を働くことになります。
安楽死について
治る見込みのない病人であっても医学的処置で死に至らせることは間違いです。あくまでもシルバーコードが切れて心臓の停止をもって死とすべきです。死の直後に影響します。霊は傷付きませんがショックで霊的目覚めが遅れることになります。
④ 延命治療について
死に至ることが明らかであっても寿命は決まっているので、死期を延ばそうとすることに意味がありません。無理に機械で生き長らえさせるのではなく、自然に死を迎えられる(尊厳死)ようにすることです。
脳死と臓器移植について
死の正しい判定はシルバーコードが切れる瞬間です。脳死状態でも霊的にいろいろな学びをしています。臓器移植自体が間違った医学です。人間にとって死は厳しく苦しい試練を卒業して、次の世界へ進級していくことです。生きる可能性がある限り相当の手当ては必要ですが、手段を尽くした後は医学で無理矢理、命を長らえさせることは間違いです。
⑥ 葬式について
時代によって、地域によって、宗教によって、さまざまな葬送儀礼が存在してきましたが、霊的観点からすればどれも的外れとなります。その多くに宗教が関係していますが、葬送儀礼の実態は人類の霊的無知を反映しております。人間は肉体の死後、霊界でいきいきと生きております。死は自由でありご褒美です。スピリチュアリズムの葬式とは、霊的事実に添った正しい葬式のあり方です。霊的事実に基づいて新しい人生の旅立ちを祝うときであり、この世的葬式の形式は一切不要となります。
⑦ 墓について
墓についても時代によって、地域によって、宗教によって、さまざまな埋葬形式が存在してきましたが、霊的観点からすればその多くが人類の霊的無知を反映しております。スピリチュアリズムの墓とは、この世の形式は一切不要であり、墓はあってもなくてもどちらでもよい…ということになります。

シルバーバーチの言葉を掲載して今回のテーマを終了します。次回は「死の直後」をお送りします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「大霊によって統制されている摂理の働きを妨げる権利を有する者はいません。もしあなたが、摂理に反して自ら命を絶つとするなら、その行為に対する代償を払わなければなりません。例えば、熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、あなたの霊に準備ができていないうちに霊界へ行ったなら、長い調整期間の中でその代償を払わなければなりません。愛する人々とも会えなくなります。自殺によって、あなたと周囲の人々との間に隔たりができてしまうからです。」(シルバーバーチ

——回復の見込みがない患者を安楽死させる権利を医者に与えるべきだ、という意見がありますが、どう思われますか。
「すべての生命は大霊のものだということです。肉体が衰えて霊がその肉体から解放される時がくれば、人間は自然の摂理に従って死を迎えます。(略)安楽死は、準備のできていない霊にショックを与え、影響を及ぼすことになります。それによって不要だったはずの調整を、いろいろとしなければならなくなります。」(シルバーバーチ
——人間には寿命を引き延ばす力が備わっているのでしょうか。
「延命のために努力することは間違っていません。しかし、霊が地上を去る時がくれば、あなた方はそれ以上何もできません。」(シルバーバーチ
——それでは、延命のための努力は無駄に終わるということでしょうか。
「あなたがおっしゃる医学的処置によって寿命を少しばかり引き延ばすことができたとしても、結局みんな死んでいくではありませんか。」(シルバーバーチ
——でも、患者は少しの間であっても生き続けることができます。
「患者が反応すればのことです。酸素を与えるという方法もありますが、それにも限界があります。魂が霊界へ行く準備が整えば、あなた方にはなす術はありません。」(シルバーバーチ

——移植手術についてはいかがでしょうか
「患者自身の身体の一部を他の部分に移植するのであれば、結構なことです。生理的要素も幽質的要素もまったく同一のものだからです。ですが、それを他人に移植するとなると、必ずしも感心しません。(人道上はともかくとして)その移植片そのものが問題を生み出すからです。肉体そのものには生命はなく、霊と呼ばれている目に見えない実在の殻または衣服にすぎないことを理解することが、この問題を解決するカギです。」(シルバーバーチ