幽界について

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●人間観…人生観…死生観…死の瞬間…幽界…霊界…再生観(人間が今後たどる道筋)の
「幽界について」をお送りします。

霊的世界は一つですが霊性レベルによって無数の界層ができ上っていて、幽界はその中で最も地上に近いところ(物質要素を最も多く残している)です。他界者が最初に生活する場所であり、次のより高い界層に行くための準備をする場所でもあります。しかしイエスのように特別に優れた霊性の持ち主は幽界を素通りして高級霊界へ行き、霊性の低い霊は幽界の最下層へ留まることになります。ここでは普通の人がたどるプロセスについて述べます。

幽界には地上のように山・川・湖・海があり、田・畑・街並みがあります。ただし全体的に地上よりずっと明るく美しく輝いています。幽界が地上に似ているというのは、神(大霊)のあたたかい配慮です。死の目覚めが起きた時、地上と全く異なる環境だとするなら大変なショック・衝撃を受け、大混乱を引き起こします。又多くの他界者が幽界に入ると景色も人間も見覚えがあるものばかりです。それは地上にいた時、睡眠中に「幽体離脱」をしてたびたび幽界を訪れていた経験があるからです。

幽界に入ると、地獄やサタンは存在しないことに気づきます。キリスト再臨の真の意味が、スピリチュアリズム(地球人類救済大計画)による霊的知識の降下であることを知ることになります。その大計画の総指揮官がイエスであることを知り、地上の全宗教の教義の間違いを悟ることになります。それでも信仰の間違いを悟れなければ‶地縛霊″として幽界の最下層界で、同じような狂信者の集団とともに信仰を続けることになります。が、いつかは間違いに気づき目覚めていくようになります。

幽界では物的肉体は無いので、肉体を維持するための飲食も寝る必要もありません。肉体の死とともに苦痛・病気も無くなります。そして意念を集中させるだけで、欲しいものが何でも手に入り、やりたいことも何でも出来るようになります。好みの家や庭も手に入り、それらに関心が無くなればいつの間にか消え去ります。又地上のような時間や空間がないため、朝昼夜がなく、行きたいところには意念で瞬時に行くことができます。朝昼夜があると思い込んでいる者には朝昼夜が展開し、電車や車で移動することもできます。本人の意識の問題です。

幽界ではお金が必要ないため辛い仕事から解放され、学問・音楽・芸術・旅行・スポーツなど夢や希望が完璧に実現するところです。まさに楽園・極楽浄土のようなところです。又地上時代に動物を愛し可愛がった人は幽界で再会し共に暮らすことも叶います。「神の分霊」を宿した人間には、霊的に劣る動物を愛し指導し、霊的成長を助ける義務があります。ペットとの再会同居は動物を愛した人間への神からのご褒美です。

いずれ何でも叶う幽界の生活に飽き・嫌悪感が生じてきます。すると精神的なものを求める(霊的目覚め)ようになり、霊界へと進入していくことになります。幽界とは純粋な霊的世界へ行くための準備をするところということです。

又幽界には地上のように人間の作った法律や規則がありません。霊界・宇宙・全生命体を支配し、維持・管理するための「神の摂理自然法則)」があるだけです。神の愛と叡知から造られた完全平等・完全公平な「摂理」があるだけです。地上のような冤罪や間違いや特別配慮などない、完璧な摂理です。

幽界についての説明を終わります。次回は霊界についてお送りします。最後にシルバーバーチの言葉を掲載いたします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「こちらへ来て、まだ霊的バイブレーションに順応していないうちは、地上時代と同じパターンの生活を営みます。低級界、いわゆる幽界は、いろいろな点で地上とそっくりです。これは、新参者にショックを与えないようにとの神の配慮なのです。いきなり環境が変わると、順応が難しいからです。
そこで、今おっしゃった方のように、こちらへ来てからも引き続き朝と夜の生活を営む者がいることになります。そういうものという固定観念を抱いているために、そうなるのです。こちらは、思念が実在となる世界です。意識の変化が生じないかぎり、その状態が続きます。それとは別に、地上に残した愛する者の面倒を見たくて、より高い世界への向上を望まない者もいます。
こちらにも庭があり、家があり、湖があり、海があります。それぞれに実体があります。実在なのです。フワフワとした、形態のない世界ではありません。住民はやはり人間的存在です。ただ、物的身体がないというだけです。霊界の自然環境は芸術的な美しさにあふれ、とても言語では表現できません。
家屋に住まうということは自然なことです。こちらでも家の中での生活がありますが、こちらの家は、地上時代にその人が培った霊性が反映して自然にこしらえられているという点が、地上と違います。その家に庭があるのも自然なことですが、庭木の手入れは、しなければならないと思えば、すればよろしいし、特に手をいれなくても、その人の霊性に応じて手入れがなされます。そのように霊の世界の仕組みができているのです。だからこそ、新参者もショックを受けずに霊的環境に適応していくのです。」(シルバーバーチ

「私の世界の言語は、思念の言語です。つまり、心と心の直接の交信によって通じ合い、地上時代の習慣から抜けきると、言葉は使用しなくなります。したがって、言語の違いによる混乱が生じないわけです。地上でフランス人だった人がスウェーデン人と、エスキモーだった人がイタリア人と、気軽に通じ合います。地上のように、思ったことをいったん言葉というシンボルに置き換えることなく、そのまま通じ合えるのです。」(シルバーバーチ