幽体離脱体験

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皆様、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今回のテーマは幽体離脱について掲載致します。これまでの宗教を捨て、真実探求のきっかけになった出来事です。

今から15年前の2月のことです。北国は12月から雪が降り積もり、晴れては雪の表面だけを溶かし、溶かしては降り……を繰り返し、それまでの積雪が氷のように固く締め付けられた極寒の最中の深夜のことです。私は初めて幽体離脱を体験しました。広大なパノラマの雪景色を見ているような感じでした。しかしすぐに気づきました。私は雪山の上空を飛行していたのです。雪に閉ざされた深い渓谷を眺め下しながら……暑くもなく寒くもなく心地よい飛行でした。

気が付くと緑の丘に囲まれた平地に立っていました。すると丘のあちらこちらから人が湧くように現れ、私の周りに集まりました。老若男女のその数50以上と思われます。その時私は「あぁ、私にはこんなに仲間がいたんだ」と喜びに満たされました。そして瞬時に場所が変わり、そこは何もない所で白い幕の前に立たされていました。幕は天高くから垂れ下がっているかのように感じました。影に誰かの気配を感じていると幕は一瞬にして消え、目前に若い男性が一人現れました。私はなぜか不覚にも、いきなりその男性に「戻りたくない‼」と言って縋り付こうとしたのです。途端に私は別の場所に移動されてしまいました。

次に立たされたのはきれいな緑の草木が茂る場所で、一本の木には4~5個の白い花が咲いていました。私は‶梅の花だ″と思いましたが、なぜ花が少ないのだろうとも思いました。そしてまた瞬時に移動され、そこは白い空間で、まるで雲の中にいるような感じがしました。近くに誰かがいる気配を感じましたが見えません。その場所でしばらく何かに腰掛けたり立ったりしながら一人待たされていました。長く待たされるなか、私は何かの審査を受けていて、その結果を待っているような気がしていました。そしてやっと結果が出たようで、私は‶合格した″と直感し歓喜したのでした。そして愛犬の吠える声で現実の世界に引き戻されました。とても清々しい目覚めでした。

<解説>
その後その夢のような、しかしハッキリ細部まで記憶している不思議な出来事の意味を考えました。幽体離脱で幽界を訪れたことは間もなく分かりましたが、そこで出会った人たちや梅の花や、最後に試験に合格したことの意味は想像の域を出ません。それからは、以前から気がかりになっていた「シルバーバーチの霊訓」を読み始め、さらに関連書を読み漁ることによって、幽体離脱で訪れた霊界での出来事の意味を知ることになりました。また内容については、歪な表現になっているところもありますが、真実のままにします。

霊界で会える人たちは、私と深い関係のある人だけです。それが分かると、緑の丘で私を囲んだ多くの人たちは私の類魂たちということになります。私は類魂たちの願いを背負って地上に誕生しました。苦難の人生を通して精一杯の霊的成長をして、多くの体験を類魂に持ち帰ることが目的です。地上で私は人間関係に辟易し、病気続きで身も心も疲れ果て、やっと生きている状態でした。そして家族に囲まれながらも、孤独という恐怖のただ中にいました。類魂たちはそんな私に‶一人ぽっちじゃないこと、仲間がいて常に応援を受けていること″を教えてくれたのだと思います。類魂とは、地上の家族よりも霊的親和性が深く、自分と共に霊的成長を続けていく仲間のことです。

若い男性との対面は、深い縁を考えますと私が流産した私の子供以外に考えられません。「ベールの彼方の生活」(オーエン著)の中で、受胎しながら誕生できなかった子供たちが、霊界人のお世話によって成長していく姿を描写しているところがありました。また私は若い男性との対面の時、冷静でいられたなら会話が出来、いろいろ聞けただろうとの思いで悔やまれてなりません。次の場所で、梅の木に4~5個の花しか咲いていなかったことの不思議は……私の霊的知識はほとんど無知に等しく、これから花が一つ一つ増やす如く知識を蓄え、いつか満開にするようにとの霊界の願いを表しているように思います。

最後に私は何に合格したのか?私の人生は酷いものでした。しかし地上人生の目的は、多くの試練を乗り越えることで霊的成長します。実はその酷い人生体験が幸いして、やっと霊的真理を手にすることができる時期に達したのだと思います。‶やっと学べるスタートラインに立てた、やっとそこに至る資格を得た″ことの‶合格″だったのだと思い至りました。私を幽界探訪に導いて、ずっと付き添ってくれたのは守護霊であることが分かりました。又霊界にて移動する時、いつも瞬時に行われていることは、霊訓の内容と一致しています。病気や苦難で体力が弱ると一時的に霊力が表面に出てきて、その結果幽体離脱体験に繋がることがあります。死んで霊界へ行ったら全てがもっと明らかに分かることになります。それが今から楽しみです。

幽体離脱体験は、昨日のことのように今でも細部にわたって覚えています。霊体験は自分の内で起こるもので、客観性がありませんので他人様には理解されません。が、私自身にとっては、霊界実在の確証を得るには十分すぎるほどの出来事です。この霊体験には少しの作り話も混入していません。が、信用できないという多くの人がいることを承知で書いています。しかし霊体験がなくても、霊的なことを信じられる人もまた、事実おります。霊体験や霊能力があることと、霊性の高低差には何ら関係ありません。(私は霊能力者ではありません)私がこの霊体験を書いたのは、‶霊的なことが信じられないのは、霊体験がないから知らないだけであって、知らないからといって霊界が存在しないことにはならない″ということを知っていただきたかったからです。

シルバーバーチは驚いたことに、「人間は誰もが毎晩のように霊だけが霊界を訪れ、さまざまな体験を繰り返している」と言っています。記憶がなくても誰もが幽体離脱をしているのです。その目的は死後に、見知らぬ環境に混乱しないようにとの霊界側の配慮があります。また、さまざまな娯楽施設を巡ったり、学びのため訪れます。あるいは霊界での仕事をするために訪れる人もいます。死後はそのすべてを思い出します。地上人生も死後の霊界人生も、目的は人間の「霊的成長」です。霊的成長は、正しい霊的真理・霊的知識に基づいて正しい生き方をすることでしか成立しません。霊的真理・霊的知識を受け入れられないうちは、霊的成長のスタートラインに立てないことになります。この体験が誰かの霊的覚醒のきっかけになれたら幸いに思います。私はやっと霊的成長のスタートラインに立ったばかりです。皆様と共に本当の幸福へ向かって歩んで参りたいと思います。

——シルバーバーチの言葉——
「実は、すべての人間が睡眠中に霊界を訪れています。これは霊的身体を死後の環境に適応しやすくするための大霊の配慮の一つなのです。その体験は、いよいよ肉体との縁が切れたときにショックを和らげてくれます。そして地上時代に霊界を訪れたときの記憶が徐々に蘇り、新しい環境への適応が促進されるようになるのです。それはちょうど地上生活の中で、子供の頃の体験を思い出すようなものです。」(教え上)
「物質界での生活のあとから始まる仕事にとって役に立つような勉強をするために、あちらこちら(幽界)へ連れて行かれるのです。そうしておかないと、いきなり次元の異なる生活形態の場へ来た時のショックが大きくて、その回復に相当な時間を要することになります。」(道しるべ)

*個人での学びには限界があります。もっと学びたい方のために全国に読書会が点在しています。「東京スピリチュアリズム・サークル」ホームページの「お勧めサイト」をご覧ください。
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。