「イエスの復活の真実」を読んで

私は若いころからイエスに関心があり、図書館で小学生向けの「聖書物語」をよく読んでいました。「聖書」そのものは難し過ぎたので理解しやすいものを選んだのです。生前のイエスが起こした奇跡や磔刑という悲劇、そして復活の物語に感動したものでした。誰もいない教会に一人で入り、十字架のイエスに手を合わせたものでした。別にクリスチャンでも何でもないのにです。イエスに何か偉大なものを感じていたのです。そして今、シルバーバーチによってイエスについての詳細を知るという幸運に恵まれました。

 キリスト教はイエスの復活から始まりました。「復活」という奇跡は、イエスが‶唯一神の子″であった証であり、それを信じた者だけがクリスチャンと認められました。聖書には、復活の他にもイエスによるさまざまな奇跡が記されています。その中で‶イエスの復活″を最大級の奇跡と考えます。しかしイエスの弟子やほとんどの人達には内心、信じられないことでした。弟子達は、イエスが生前の姿を取って現れ、直接対面し、言葉を交わして初めて「復活」が事実であることを認めました。その後2千年間にわたってキリスト教の歴史を刻むことになりました。

 現代の‶聖書学研究″の見解は、「聖書は多くの矛盾を含む人工的な書物」であることを明らかにしました。事実、歴史的事実の証拠と言える内容に乏しく、神話や他の宗教から取り入れられた記述が多く、実際には人間の手でつくられた人工の書物・後世の人間によって創作された書物であることが知られるようになりました。現代科学は、イエスの復活について「超常現象や臨死体験は脳内における主観的現象であって、実在しない」との立場に立っています。それから2千年後の現在、「シルバーバーチ」の出現によって真実が明らかになりました。シルバーバーチは「イエスの復活は事実である。復活は実際に発生した出来事である」と言っています。

 イエスの復活は、エクトプラズムによる「物質化現象」でした。スピリチュアリズムの心霊実験において、次々と他界者(死者)の生前の姿が再現されたことを考えると復活という現象は、イエスに限った現象でないことが分かります。シルバーバーチは「イエスの復活は‶心霊法則″を熟知していたイエスがそれを駆使して起こした心霊現象である」と言っています。当時イエスの弟子たちはイエスの復活が‶メシア″であることの証明と考え、弟子の一人であるパウロは、「イエスは人類の罪を背負い、十字架で死ぬことで贖罪を可能にした」としたのです。そして復活したイエスを、人類を救うメシアであると信じることによって、罪人である人間は救われるという「キリスト救済論」が形成されることになりました。

 イエスの真意は復活の事実によって、「自分は今も生きている。肉体の死後も生命は続く」ということを示そうとしたのでした。しかしイエスの願いに反して、「イエスの贖罪によって人類は救われる」という間違った考え方(贖罪説)がつくられ、それがキリスト教の正統な教えとして広まっていくことになりました。イエスは死後も霊界からの働きかけを続けますが、事態はイエスが思ってもみなかった方向に進んでいき、それがイエスに深い悲しみをもたらすことになったのです。

 イエスの本当の使命は、ユダヤ教の中に埋もれていた「基本的な霊的真理」を人々に示して、正しい生き方を促すことでした。「基本的な真理」とは「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」という利他的精神、すなわち‶黄金律″のことだったのです。そしてもう一つが「物より心(魂)を重視し、物的富より霊的富を優先する」というものです。これはシルバーバーチの教えの「利他愛の実践」と「霊主肉従の努力」と同じものです。

 イエスが示そうとした「神の国」は、人間の心の向上にともなって現れる内面世界(霊的世界)のことです。イエスの生前の教えは実にシンプルなものでしたが、当時の人々は「霊的無知」が過ぎたため、イエスの真意を理解できなかったのです。イエスが説いた‶愛の教え″は、イエスの死後、‶贖罪による救済論″によって片隅に追いやられ、その間違った教義が人々を‶霊的牢獄″に閉じ込めて、宗教戦争魔女狩りなどの凄惨な出来事を引き起こすことになったのです。

 現代に至ってシルバーバーチの出現により、イエスの復活の真意が明らかになりました。幸いなことに私達は、霊訓本や普及会ホームページや読書会によって2千年前イエスが示そうとした「霊的真理」を間違うことなく、正確に、詳細に学ぶことができます。私達は霊的真理を正しく学ぶことによって霊的成長が可能になります。この特権を無駄にすることなく、価値ある地上人生を歩み、イエスの願う「真の霊界の道具」を目指して参りたいと思います。

 ——シルバーバーチの言葉——

「イエスは霊界へ戻った後、再び同じ姿を取って地上で縁のあった人々の前に現れました。これをキリスト教では‶復活″と呼んでいます。イエス以前にも死者が生前の姿で現れた例はたくさんありますし、イエス以後にも数えきれないほどあります。」(教え上)

——イエスの言葉と思われる——

神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなた方のただ中にあるのだ。」(ルカ17章20節~21節)

 *「イエスの復活の真実」はスピリチュアリズム普及会ホームページのインフォメーションに詳細が掲載されています。なおこれら引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

イスラエルとハマスの戦闘の真実

日本は島国であるゆえに他国からの侵略から逃れてきました。しかし今後は分かりません。尖閣諸島や沖縄の領土を狙い、北海道の水資源を狙う中国があります。そして北方領土に関しては、ロシアは実効支配を強め、もはや日本に返す気はないようです。日本は礼儀を重んじ、外国人にも思いやりを持って接する国です。霊的にも良質な日本人ですが、他国の凶暴で強大な軍事力に勝てるとは思えません。アメリカとの安保条約に期待を寄せるのが唯一生き残る方法かと思います。しかし約束事にも変化が伴うのが人間の宿命です。日本にとって地理的に重要なのが韓国ですが、そこのトップ・指導者・有識者は愚です。そんな中、日本の国民性を高く評価し日本に接近してくるイギリスがあります。日本の同盟関係はどう変わるのでしょう。

 中東に目を向けますと、パレスチナ問題が長い間戦争に向かう危険のタネとなっていま す。この度のイスラエルとテロ組織ハマスの衝突は、トランプ大統領が聖地エルサレムイスラエルの領地として断言したことに発します。今年5月7日イスラムラマダン最後の金曜日のことでした。礼拝のため聖地に集まったパレスチナ人とイスラエル警察が衝突したのです。東エルサレムパレスチナ人が裁判所から、聖地からの立ち退き命令が出たのが原因です。その衝突でパレスチナ人200人以上が負傷しました。そして5月10日からハマスによるイスラエルに向けてのロケット砲撃が始まったのです。

 パレスチナハマスが支配するガザ地区と、アッバス議長代表のファハタ(穏健派)が支配するヨルダン川西岸との2つに大きく分けられます。地図を見ますと2地区は飛び地になっています。5月7日のイスラエル警察との衝突が発端でハマスイスラエルへの攻撃が始まりました。中東で一番の軍事力を持つイスラエルに攻撃を仕掛けたハマスの狙いは何だったのでしょう。この度の戦争はイスラエルハマスとの戦いです。ファハタ派の関与はありません。ハマスとはテロ組織です。中東最大の軍事力にハマスは正当な手段で勝てるはずがありません。

 ハマスは子供の遊び場や病院を発射台にしてイスラエルに砲撃をしたのです。イスラエルは民間人の犠牲を恐れ、反撃の5時間前に民間人に砲撃の通告をしました。しかしハマスは女性・子供が逃げられないように人間を拘束してイスラエルに攻撃を続けました。イスラエルは攻撃を受けるばかりなので反撃をするしか方法がなかったのです。そのためイスラエルの犠牲者は20人、パレスチナの犠牲者は218人との報道です。パレスチナの犠牲の多くが女性と子供でした。そうです、ハマスは女性と子供を「人間の盾」にしたのです。

 国際的に報道される内容は「イスラエルの犠牲者は20人、パレスチナの犠牲者は218人でその多くが女性と子供」ということになり、イスラエルは国際的非難を浴びることになりました。世界の人々は「人間の盾」については知ることはありません。当然イスラエルは悪者にされてしまいました。私自身はどちらの国が悪いとの判断ができるほど知識がありません。ただハマスの卑劣な手段に強い反発を覚えるのです。幸いにも5月20日、エジプトの仲裁を得てイスラエルは無条件で停戦を受け入れ、ハマスもそれに合意したということです。しかし本来の領地問題が解決しないかぎり、本当の平和はあるのでしょうか。

 人間を、それも女性と子供を盾にするとは、さすがテロ組織所以のなせる業です。しかもイスラエルを悪者に仕向けたのです。そのハマスの真の狙いは、イスラエルの残虐性を国際社会に訴えて、全パレスチナ人の指示を得ることでした。アッバス議長率いるファハタを倒し、ハマスパレスチナの実権支配を握るためです。ファハタは穏健派でありイスラエルと裏でつながりを持っていました。ハマスは汚い手段を使って実権を握ろうとしたのです。内情の核心部分を知れば、テロ組織の残虐性が浮き彫りになります。

 資源も食料も、知識も分け合い互助の精神が行き渡った世界となるためには、スピリチュアリズムの霊的真理の普及以外に方法がないことを改めて認識させられます。スピリチュアリズムの最終目的は、世界の天国化・霊的同胞世界の実現です。そのためには政治・経済・宗教・教育の全てに霊的真理を適用するしかありません。私は安全地帯に身を置いて、せめて真理を語ることしかできません。シルバーバーチの願う「たった一人の人に霊的に目覚めてもらう」ことを目標に、スピリチュアリズムに人生を捧げたいと思います。

 ——シルバーバーチの言葉——

戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。(教え下)

人間には大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残も留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです。動物性をむき出しにすると、戦争や紛争や殺し合いなどが起こります。反対に内面の神性を輝かせ互いに助け合うようになれば、平和と調和と豊かさがもたらされます。(教え下)

霊界側から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。戦争は、人間は地上界を離れる時期がきたときに肉体から去るべきであるという摂理に反することになるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。(教え下)

私たちのように地上圏に降りて仕事をしている者は、地上人が救われるためには、私たちがお届けしている霊的真理を受け入れる以外にはないことを痛感しています。(教え下)

霊的真理を知り、それを実行しようと決意したとき、そして日常生活においてあらゆる問題に奉仕と無私の精神で臨むようになったとき、地上界に平和と調和が訪れます。それはいかなる党派の主義・主張からも生まれるものではありません。大霊の子供たちが霊的真理を理解し、それを日常生活に、そして政治や経済や国際問題に適用していくことから生まれるのです。(教え下)

あなた方は国や民族の概念で考えますが、私は大霊とその子供という概念で考えることを、これまで何度も申し上げてきました。破壊のための兵器をいくら作っても、平和はもたらされません。平和を希求する声が高まり、人々が愛の奉仕にのっとって生きるようになったとき、平和が訪れるのです。私は、一つの国、一つの民族という概念はとりません。全人類が大霊の一部であり、大霊の子供であると考えているのです。大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争と破壊、混乱と破綻が尽きることはないでしょう。(教え下)

 *このブログの内容は私個人の見解によるものです。なお「シルバーバーチの言葉」の引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

「イエスの本来の使命と、生前のイエスの教え」を読んで

桜が花吹雪となって見事に空中を舞い、そして道路のチリとなってしまいました。代わりにさまざまな花が形と色を競っています。それとは反してコロナ変異株の勢いが増々威力を増して世界を混乱と恐怖に陥れています。皆様どうかご無事でこの難局を乗り越えていただきたいと思います。今回のブログは普及会ホームページのインフォメーションを読んで、イエスの本来の使命と教えに感動し、魂から納得できたことを取り上げました。

 キリスト教はイエスの真実を捻じ曲げ、人工教義によって人類を‶霊的牢獄″に閉じ込め、地球上にさまざまな悲劇を引き起こしてきました。聖書はイエスの死後につくられたものです。イエス使徒たちがイエスの教えを正しく理解できなかったことに加え、当時の聖職者たちの権力による聖書の書き替えが行われたため、聖書そのものの価値を失ってしまいました。つまり聖書を通してイエスの教えや使命を知ることはできないということです。

 イエスの本当の使命が明らかになったのは、シルバーバーチによってでした。イエスが人々に教えたかった「基本的真理」は、「神への愛」と「隣人への愛」でした。イエスは‶愛の実践″を最重視することで、民族宗教から人類普遍の世界宗教という領域に進んでいたのです。それを表しているのが「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」です。まさに民族を超えてすべての人間に対する人類愛の教えです。イエスのもう一つの使命に「物欲にとらわれない霊中心の教え」がありました。「物質中心の生き方」から「霊的真理(摂理)に一致した生き方」を説いたのです。このイエスの使命の2つはシルバーバーチが説いたのと同じ、「利他愛の実践(利他愛の摂理)」と「霊中心の生き方(霊優位の摂理)」に合致します。

 読書会に参加する人は皆、真実の探求者です。厳しい試練に耐え抜いて霊訓にたどり着いた求道者です。求道者が教えの中にラクなもの、欲望を叶えてくれるもの、一生不安のない人生を生きるための教えを求めるはずがありません。魂を磨き、霊性を高めるための教えにラクなどあるはずがありません。この物質世界で霊性の向上を求めるには当然、この世の宗教とは相たがえる教え、当然、厳しく苦しい教えになるはずと思います。今地上に「霊界主導の地球人類救済計画」が展開しています。その発祥元はイエスです。そのイエスが2千年前に人類に示した教えと、現在地上に展開しているスピリチュアリズムの、発祥元であるイエスの教えと違うはずがありません。摂理に変更などあり得ないからです。言葉の表現は違っていても内容はシルバーバーチの教えと同じであることが分かります。

 厳しい教えを、自己を高めていくための知識であると悟った者にとってはありがたい光明であり、人生の指針として厳しい道と知りつつ納得し、喜んで自分を律し克己努力するに違いありません。「霊中心の生き方」と「利他愛実践の生き方」によって霊的成長という宝を手にすることができることを知っているからです。——後に続く人たちのために少しでも道を平らにしてあげることができたら、地上人生は最高だったと言えます——これはシルバーバーチの言葉です。「シルバーバーチの霊訓」を学んでいるスピリチュアリストから見て、インフォメーションの内容に一つとして不信に思うもの、反発心を抱かせるものはありません。このたびのインフォメーションも霊界からの通信と思われます。疑う余地のない内容に普及会の信頼性も深まるばかりです。普及会とのご縁を得たことに感謝し、ますます自己の霊的成長を目指し、道具として精一杯働いてまいりたいと思います。

 ——イエスの教え——

「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなた方の聞いているところである。しかし、私はあなた方に言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなた方の父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからである。あなた方が自分を愛する者を愛したからとて、何の報いがあろうか。」(マタイ5章・43節~46節)

「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなた方は、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ6章・24節)

 ——シルバーバーチの言葉——

ナザレのイエスは、そんな目的(贖罪)のために降誕したのではありません。人間はいかに生きるべきか、いかにすれば内部の神性を顕現させられるかを教えるために地上へ降りてきたのです。キリスト教の神学は、地上世界にとってまさしく‶災いのもと″です。」(教え下)

「イエスには使命がありました。それは、当時のユダヤ教の教義や儀式や慣習、あるいは神話や伝説のがれきの下に埋もれて無視されていた基本的な真理のいくつかを掘り起こすことでした。」(The Seed of Truth)

「愛を最高のものとした教えは立派です。それに異議を唱える人間はおりません。愛を最高のものとして位置づけ、ゆえに愛は必ず勝つと説いたイエスは、多くの人生の師が説いているのと同じシンプルな真理を説いていたのです。」(The Seed of Truth)

「イエスには使命がありました。それは、当時の民衆が陥っていた物質中心の生き方の間違いを説き、真理と悟りを求める生活へ立ち戻らせ、霊的法則の存在を教え、自己に内在する永遠の霊的資質についての理解を深めさせることでした。」(Wisdom of Silver Birch)

 *なおこれらの引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

思念の現実化について

3月読書会では今期、2度目の「語る」の練習が終わりました。「語る」の発表のために参加者は、レジメやパネル作りに奔走され、日々語る練習に心血を注がれてきたと思います。その成果は発表当日の発表内容の濃さ、表現の豊かさで聞く人の心を虜にしました。まさにこれから霊界の道具として役立ちたいとの思いがいっぱいに込められた発表だったと思います。この企画はもちろん伝道に役立てるためです。今回発表を見送られた新参の方は次回の機会のために真理を引き続き学ばれていきますが、新参者といっても読書会とご縁を得る前にかなりの霊訓を読んでいる方ばかりです。それ相当の力を持っていることは霊界の導きによって証明されています。次回の「語る」の発表が楽しみです。

 こうして読書会を訪れて学びに参加されるということは、真理をかなり理解された上での道具意識の強さを表しています。今回の読書会で学んだシルバーバーチの言葉があります。「真理の理解を深めるごとに霊界からの影響力が増してくる」・・・道具を目指す者の魂を喚起し燃え上がらせる最高の言葉です。読書会参加者は道具意識への思念も強烈と思います。人間は思考が発端で思念が強まり、それが行動に移すことになります。思念の強さが現実化することになります。今回のブログは「思念の現実化」について書きたいと思います。

 10年ほど前、私は思念が現実化する現象を体験しました。テレビ番組で放送された内容に疑問を抱きながらも私自身が試してみたことです。——正座をして心を落ち着けて深呼吸を数回し、その後目を閉じて10秒位瞑想します。そして正座のまま人差し指をだけを立てて、人差し指で天を貫く思いでその腕を天に向けて突き刺します。人差し指に思念の思いのたけを集中して、天に向かう人差し指を凝視しながら「人差し指伸びろ、伸びろ、伸びろ・・・」と10秒位渾身の思いを込めて祈るのです。そして一気に気を抜いて間髪を入れずに正座の膝の上に両手を並べて人差し指の長さを比べました。念じた方の人差し指が別の手の人差し指より4~5センチ長くなっていました。私自身にその力はありませんので、当然霊界の影響があったものと思います。

 数秒後に元の長さに戻りましたが、比べた瞬間は本当にビックリしました。そして思念は現実化するということを自ら実現させ証明させてしまったこと、確信が得られたことに、私の後の生き方を変えるのに自信を持つことができました。霊は物質に優り、霊こそが思考を生み出し、その内容によって人間性を高めていくことも低めることもできるのです。私には多くの心霊体験があり、この思念の現実化の証明も他の霊的なことのすべて、シルバーバーチの霊訓が証明してくれていました。当然私は「シルバーバーチの霊訓」を人生の指針とし価値ある人生を歩むことに何の躊躇もなく突き進むことができました。真理を自分のものにしたいと強く思えば行動に表れ学び、自分のものになります。道具になりたいと祈念すれば道具としての行為に表れます。

 言動は思念から生まれます。善い思念は善い言動として、悪い思念は悪い言動として現れます。思念の内容によって魂の成長として現れる場合、あるいは病気や精神的苦しみとして現れることもあります。怒り・恨み・嫉妬という感情は相手を傷つけるとともに自分の霊性をも汚します。また人間は霊的存在である以上、善い思念は高級霊界につながり高級霊の援助が得られます。悪い思念は低級界とつながり低級霊の障りを受けます。それが摂理だと思います。人間は霊として物質の世界で生きています。肉体に覆われて思考は見えませんが、すべての思考も万物も神の摂理の支配によって管理統制されています。人間は摂理から誰も逃れることはできません。とすれば人間はおのずとどのような生き方がベストか、得なのか、が分かります。

 スピリチュアリストは恵まれました。永遠の進化向上の道を知っているからです。この世で霊的真理を実践努力した分、真の救いである霊的成長が叶うことを知っているからです。「霊界の道具として生きることは最も価値ある生き方です」・・・これもシルバーバーチの言葉です。スピリチュアリストは皆、強い道具意識を持って真理を実践し魂を磨いています。道具意識を持ち続けているゆえに読書会とのご縁を得、「語るの練習」という行動に結びついていると思います。そして思念が強い分、霊界の強い影響力を受けて確実に道具の道を歩んでいます。「霊的真理を説き聞かせることは神の愛を注ぐこと」というシルバーバーチの言葉通り、道具として奉仕の道を歩めることを誇りに思い、同志とともに利他愛を実践してまいりたいと思います。

 ——シルバーバーチの言葉——

「霊的真理を説き聞かせることは、神の愛を注ぐことです。その愛が魂の琴線にふれると、まず精神の視野が開けて人生観が変わり、あなた方が説く霊的知識のかけがえのない価値に気付くようになります。」(新たなる啓示)

「あなた方としては、1人ひとりが、できうる範囲内で霊的知識を広めることを心がければよろしい。自分自身が光明を見出したように、今度は、誰か自分以外のたった1人に光明を見出させてあげることができたら、それだけでこの地上生活は有意義だったことになるのです。」(新たなる啓示)

「ここに集まっている皆さんは、教義の牢獄から脱したことを喜んでください。そして、喜ぶだけでなく、今なお隷属状態にある人々を解放してあげるために努力してください。」(教え上)

「霊的真理を1つでも多く理解していくことが、あなた方の魂と霊的身体を霊界からのエネルギーを受けやすい体質にしていきます。これは地上と霊界を結ぶ磁気的な絆なのです。」(霊訓1)

*なおこれらの引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

霊訓を受け入れる時期

私は50代半ばで霊訓と出会いました。そしてシルバーバーチの言葉に惹かれ夢中で霊訓を学ぶようになりました。霊訓を目にして気に掛ける人と無関心の人がいます。その差は何でしょう。私は高齢者です。当然高齢者同士の付き合いが多くなります。誰もが長い人生を生きている間には、大変な苦労心労があったはずです。命にかかわる病気をしたり、経済的困窮に陥ったり、人間関係で裏切られたり、死にたいと思うことは1度や2度はあったと思います。そういう人生の中で「人間はなぜこんな苦しい世界に生まれてくるのか」「人間は死んだらどうなるのか」「あの世はあるのか」と疑問を抱く人と、何も考えない人がいます。その差はどこで別れるのでしょう。

 考える人は知りたいとの欲求によって本屋や他の宗教を探し回ります。そして霊訓と出会った時(実は偶然に出会うのではなく霊界の導きがあるのです)、感動を覚え、霊的に目覚めるキッカケになるのです。時期がきていれば夢中になって霊訓を学びます。そして更なる向上を願って、ネットを調べて読書会に導かれることになります。すべては霊界の導きであり配慮があったのです。しかし人生について深く考えない人が多いということは、大して苦労がなかったのでしょうか。知り合った人の話を聞くと、何度かの大きな手術を乗り越えたり、伴侶のDVから逃げてきた人、いまだに生活に支障をきたす難病を患ったり、家族に障害者がいたり、大変な苦しい人生が聞かれます。聞く側の私が苦しくなるくらいです。

 去年は伝道を意識した年でした。私は高齢者が何の備えもなく無知のまま次の霊界に渡るのが不憫でなりません。親しくなった数人に、救われるチャンスと思って「シルバーバーチの霊訓」の存在を、あるいは「人生について」「死について」「死後の世界について」話すことがありました。また私のブログを教えることもありました。殆どの人が一旦は興味を示し、話を聞いてくれたりブログを読んでくれたりしましたが、「良い話を聞いた」あるいは「信じられない」と思うだけでそれ以上の関知は望みません。なぜもっと知りたいと思わないのか不思議でした。ずっと考えていました。そしてやっと分かった気がします。

 皆長い人生の中での大変な苦労があっても、誰かがお世話してくれたり、相談に乗ってくれたり、頼れる人が傍にいたのです。また宗教に依存することで心が軽くなるのです。そのため魂の琴線に触れるところまで落ちることがなかったのです。幸いにというか、霊的には残念なことにどん底を経験する前に精神(心)が物質的次元で救われてしまったのです。その人は大変な苦労の人生だったと思っていても、霊的次元でのどん底まで落ちなかった・・それが人生の究極の探求心の芽を摘んでしまったのだと思います。そもそも宗教教義は間違いだらけであり、深刻な魂の病を引き起こします。そういう人たちは地上人生を台無しにし、霊的無知のまま次の世界へ赴くことになります。そういう意味でどん底まで落ちなかった人を気の毒に思います。

 地上人生において不幸のどん底を経験することは霊的覚醒に至るキッカケの一つです。大病にて、あるいは大事故で危篤状態に陥った時、昏睡状態になった時、誰もがその人間の精神(心)に関与することができません。本人の肉体能力は失っています。体力が落ちた時に霊能力が表面に表れ心霊体験をすることがあります。心霊体験は霊的なことに確信を持てる最大のチャンスです。この世的には不幸現象でも霊的には霊的成長の道に踏み入るチャンスを得たことになります。アメリカの脳神経外科医エべン・アレグザンダー氏は多くの患者の心霊体験を聞いて‶脳の錯覚“と思っていたことが、自ら大病を患い危篤になり昏睡状態に陥ります。そして幽体離脱体験をすることになるのです。氏は確信を得た霊的事実について本を書き、各地を講演して回ることになります。(プルーフ・オブ・ヘブン早川書房出版)要するに魂の窓が開くには並みの辛苦では達成できないことを証明しています。

 半面、若くして人生の半分に満たないうちに霊訓を手にする人もいます。しかし若くして霊訓にたどり着けたとしても、この世ならではの試練は当然あります。そういう人たちは前世の経験があと一歩で霊訓にたどり着けるまでの深いものだったのだろうと思います。そしてこの世で霊訓にたどり着くまでのあと一歩を、今世の試練によって達成することになったのだと思います。地上人生における苦難が魂の目を開く起爆剤になるのです。苦難の乗り越え方が霊的目覚めに繋がるかどうか、それが重要であることが分かります。前世・今世を通してすべての人に霊的覚醒のチャンスが訪れますが、霊訓を手にする人はほんの一部の人、時期のきた人に限られるということです。その現実を目の当たりにして、伝道に対する焦りを止めることができました。でも「シルバーバーチの霊訓」という重要題名だけは記憶に残って欲しいとの思いで、必ず手紙の中に記し、あるいはブログの題名「シルバーバーチの霊訓に学び価値ある人生を歩む」をお教えしています。

 また、この世の老若年齢で霊的成長度は測れません。霊的年齢は見た目では分からないということです。読書会の参加者の感想を聞いていても素晴らしく、全てのスピリチュアリストに対してレベルの高さを感じています。その中に私もいられることに感激と感謝の思いでいっぱいになります。「霊界の道具として生きることは、最も価値ある生き方です」というシルバーバーチの言葉があります。また「もっともっと多くの人材——これが私たちの大きな叫びです。いつでも自我を滅却し、犠牲を払う用意のできた、勇気と熱意と誠実さにあふれた男女が欲しいのです」とも言っています。読書会に導かれた人たちは霊界によって選ばれた人たちです。同志とともに道具の資質に磨きをかけて、ハイレベルスピリチュアリスト目指し、霊界の願いに応えてまいりたいと思います。

 *なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

免疫力をつけてコロナ禍を乗り切りましょう

皆様、新年あけましておめでとうございます。新年を迎えましてもコロナ感染はいっこうに収束の気配をみせません。それどころか幾つかの変異種発生により、より感染の危険性・重症化が懸念されています。地上人生は永遠の進化向上の出発点です。物質界ならではの試練による霊的成長のための大事な一時期です。どうか免疫力を高めてウイルスを寄せ付けず、最高に価値ある人生を歩まれますよう祈念いたします。またコロナ禍にあたりマスク着用・手洗い・3蜜を避けることは必須です。高齢に至った私も折角の残りの人生を無駄にしないよう、道具の資質を磨いてまいりたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

 スピリチュアリズムでは、「人間を構成する要素(霊・霊の心・霊体・本能・肉体)が全体的にバランスがとれているとき、人間は神と宇宙の摂理に一致し、本来あるべき最も自然な調和状態を維持し、健康を保つことができる」とします。「霊」は人間の本体我・真の自我であり、人間の構成要素の最も高次の部分です。宇宙に充満する霊的エネルギーが「霊」に取り込まれると、「霊」は霊的エネルギーによって充電され活性化するようになります。次に、その霊的エネルギーは下位の構成要素である「霊の心(霊的意識)」や「霊体」に流れ込み、それらのエネルギーレベルをアップさせることになります。さらに霊的エネルギーは「本能」「肉体」へとステップダウンし、肉体次元のエネルギーレベルをアップさせ活性化させます。

 霊的エネルギーは上位要素→下位要素へと流れますが、更にそれに対し、下位要素→上位要素への逆のエネルギーの流れもわずかではあります。しかし常に上位要素→下位要素の流れの方が大きいときに両者のバランスがとれ、宇宙の自然と調和状態に置かれることになります。流れの大きさが逆のときは、両者のバランスは崩れ、霊体と肉体がともに不自然な状態に置かれ、異常が発生するようになります。霊的エネルギーのステップダウンが正常(霊的エネルギー循環システムが正常に作動)に行われるなら、神が与えてくれた肉体維持のためのさまざまなシステム(ホメオスタシス・免疫システム・自然治癒システム)が健全に機能するようになるのです。それがスピルチュアル・ヒーリングの健康観の核心部分です。

 現代医学では、病気と言えば目に見える肉体の異常だけを指していますが、スピリチュアル・ヒーリングでは、上位の身体構成要素(霊・霊的意識・霊体)レベルでの異常さが、結果として肉体に現れたものと考えます。肉体の異常に先立って上位レベルでは、すでに異常が発生しているということです。そうした上位の霊的要素を健全に機能させるには、常に一定量の「霊的エネルギー」が必要となります。しかし現実には、大半の人々は霊的エネルギーを取り入れられなくなり、霊的エネルギーの枯渇状態を引き起こしています。その原因は、人々が物質主義一色に染まり、物質的な利益や本能的な快楽にしか関心を向けなくなっているためです。また現代社会を支配する物質文明から派生する不安感や恐怖・ストレスも、霊的エネルギーを取り入れる通路を閉ざしています。霊的存在として造られている人間にとって、霊的エネルギーの摂取は、毎日の食事のように不可欠なものなのです。祈りや瞑想は、霊的エネルギーを取り入れるための効果的な方法です。

 スピリチュアリズムでは、霊的エネルギーの取り入れ口を比喩的に「魂の窓」と表現します。物質主義に翻弄されている大半の現代人は、自らの「魂の窓」を閉ざし、エネルギーを枯渇させ、身体全体をアンバランス・不調和状態に貶めています。更に霊的エネルギーの取り入れについては、個人の努力の範囲を超えた大きな要因があります。その最たるものに「霊性(霊的成長)レベル」と「カルマ」があり、それが霊的エネルギーの基本的摂取能力を決定するのです。「魂の窓」の開いた人は、物質中心的な考え方をせず、常に霊的価値観にそった判断の仕方をし、自然と霊的世界を指向するようになります。そして意識的に祈りや瞑想・霊主肉従の努力をするようになります。「魂の窓」が開いている人は、少しの努力で多くの霊的エネルギーを取り入れることができる宝を持っているということなのです。スピリチュアリズムでは、誠実で忍耐強い「霊主肉従の努力」と純粋な「利他愛の実践」によって、少しずつ霊的成長がなされていくものとします。この二つの正しい努力によって、生まれつきの霊的成長レベルを引き上げることが可能になるのです。

 物質次元では正しい「食・運動・休養」の努力も必要となります。添加物や毒素の入った加工品を食し、運動もなく、仕事に追われ休養もままならない毎日を過ごしていて、健康を切望しても願い通りにはなりません。「食・運動・休養」も突き詰めて考えると、いずれも「霊的・精神的要因」によって支配されていることが分かります。そこで健康に与える影響の比率が「霊4:食2:運動2:休養2」となり、そのいずれも欠かしては、健康は望めないということになります。スピリチュアリズムの最終目的である‶地上天国化・神を共通の親とする霊的同胞社会″は、スピリチュアリストの存在なくしては実現しません。スピリチュアリストには3段階あります。心霊現象レベル・知識レベル・実践信仰レベルです。当然道具としては、実践信仰レベルに至ってこそ最高に役立つということです。スピリチュアリストには理想である実践信仰レベルに向けて、努力を続けることが求められています。

*詳しくは「スピリチュアリズムの健康観」、「スピリチュアル・ヒーリングとホリスティック医学」を参照されて下さい。

 ——シルバーバーチの言葉——

「病気・不快・異常の原因は調和の欠如にあります。健康とは全体の調和が取れている状態のことです。身体と精神と霊との間に正しいリズムとバランスが取れていることです。三者の連繋がうまくいっていない時、どこかに焦点の狂いが生じている時、自然の生命力の流れが阻害されている時に病的症状がでるのです。霊力が流れず、本来の機能を果たしていないからです。」(シルバーバーチ

*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

伝道を意識した一年

一年間ブログを読んでくださった皆様、ありがとうございました。星を付けて応援してくださった方、コメントをくださった方、メールで励ましてくださった方、心より感謝致します。新年もよろしくお願い致します。今年度最終の読書会では、参加者全員が一年を振り返っての感想を発表しました。さすがに霊訓に惹かれ真剣に学んでこられた方の感想だと思いました。霊的エネルギーに満たされた栄光あるこの場所に集まった人達は、霊界が選び霊界に導かれたスピリチュアリストばかりです。その末端に私もいられることに感謝の思いでいっぱいです。コロナ禍の難しい状況にもかかわらず読書会が開かれるのは、利他愛にあふれた主催者の熱意のおかげです。東京会場と埼玉会場とオンラインでの参加者と、私が初めて読書会にご縁があった時と比べると霊的光の拠点が拡大し、スピリチュアリストも増えています。そこには当然霊界の強力な働きかけがあったと思います。霊界人の喜びの声が聞こえてくるような充実した雰囲気でした。

 私のこの一年間は伝道を意識した年でした。私には多くの心霊体験があり、真理を理解するごとにその体験の裏付けがなされ知識に確信を持てるようになると、増々真理の勉強が面白くなりました。学力がなくても読書会に参加し、読み・書くことを続けていくと確実に知識に対する自信が増していきます。自信が付いてくると、他人様に伝えたいという意欲が頭をもたげ、ジッとしていられなくなります。会う友達・行き交う人達・あの人この人にも真理を伝え、人間の本当の幸せというものを知って欲しいと思う欲求が強くなっていきます。特に今年はコロナ感染の犠牲者が多く、伝道に焦りを感じていたこともあります。

 他人様が病気で苦しんでいる姿、体を揺らしてやっと歩いている姿、貧困に悩む姿、家族の不幸に手をこまねいている姿、他人様の不幸が気になっていると自分のことを考える余裕がありません。真理の理解を深めるごとに、また同胞への奉仕を意識するごとに自分の悩み苦しみには鈍感になっていくということです。振り返ってみると自分のことで誰かに相談を持ち掛けたことがこの何年もなかったことに気づきます。自分のことで苦しまず伝道に人生を捧げられることは、スピリチュアリストだけの醍醐味と思います。(最も苦難の程度にもよりますし、自分の家族やペットが病気のときはそれに集中し介護することも利他愛の実践と思います。)

 伝道のチャンスは、時期のきた人との出会いです。ここは辛いところですが時期のきた人との出会いを待つしかありません。大抵の人はこの貴重な知識を聞いても「良いことを聞いた」と思うだけでそれ以上の関知は望みません。時期がきていればもっと知りたいとの欲求が生まれてくるはずです。そういう意味で大抵の伝道は中途半端で失敗に終わります。‶真理を知れば地上人生を無駄にすることなく価値ある生き方ができるのに、次の霊界に渡る準備が整うのに、本当の幸福に至るレールに乗ることができるのに・・・″このように無念の思いになります。

 シルバーバーチは「真理をその人の足元にそっと置いてあげるだけでよい。そのあとはその人の責任である」と言っています。また「霊に関わることは早く片付けるということが不可能なのです。それ以上はその人が一日も早く時期の来ることを祈りつつ次の仕事に移すことです」とも言っています。その言葉で私の責任の範囲を知ります。それで私の気持ちはラクになり、待つのが長くなっても落ち着いて待つことができるようになりました。できることなら、地上人生を間もなく終えそうな高齢者全員に、この世にいるうちに真理を手にして準備を整えていて欲しいとの思いでいっぱいです。

 シルバーバーチ普及会の最新のインフォメーションに、アインシュタインが通信霊として交霊会が催されていることが掲載されていました。通信霊の身元証明が為された以上、交霊会は本物と確信でき、ひいては普及会そのものの信用性を確信します。日本は普及会を中心に霊界主導の大計画の先導国になっていることだと思います。地上の霊的同胞世界実現のため多くの道具が必要とされています。シルバーバーチは「地上の道具がなくては、われわれは何もなし得ない」と言っています。知識を獲得するだけでなく、知識を生活に活かし、道具としての資質を磨いて「どうぞ私をお使いください」と言えるようになっていたいと思います。

 ——シルバーバーチの言葉——

「案ずることはありません。あなた方は自分なりの最善を尽くせばよいのです。もうこれ以上はできないというところまで努力したら、それ以上はムキにならず、あとは私たちに任せる気持ちにおなりなさい。人間は自分にできるかぎりの努力をしていればよいのです。それ以上のことは要求しません。」(霊訓9)

「しかし忘れないでいただきたいのは、皆さん方のような地上での道具がなくては、私たちも何も為し得ないということです。皆さんは私たちに戦いのための武具を供給してくださっているようなものなのです。皆さんの力をお借りする以外に、地上には頼りにすべき手だてが何もないのです。

その道具が多すぎて困るということは決してありません。こちらの世界では、使用に耐えられる人物の出現を今か今かと待ちうけている霊がいくらでもいるのです。私たちの方から皆さんを待ち望んでいるのです。皆さんが私たちを待ち望んでいるのではありません。(中略)

もっともっと多くの人材——これが私たちの大きな叫びです。いつでも自我を滅却する用意のできた、勇気と誠意と率直さにあふれた男女——霊力がふんだんに地上世界へ降下して人生を大霊の意図された通りに豊かさと美しさと光輝にあふれたものにするためなら、いかなる犠牲も厭わない人材がほしいのです。」(道しるべ)

 *これらの引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。