神観後半

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7月読書会では、神観の後半④摂理(法則)としての神、⑤究極の理想としての神…を学びました。‶真実の神″とは、神観①~⑤の「5つの神の定義を合わせて1つにした存在」です。高級霊は‶真実の神″をイメージして祈りを捧げています。どれだけ慕い、畏敬の念を持っているかが分かる、今回の学習です。

④摂理(法則)としての神…それが神の定義の中で1番重要であり、従来の宗教の教えを根底から覆す「画期的な神観」です。神は霊界・宇宙の創造に先だって、神の知性を発現させて「摂理」を設けました。万物の創造は、神の愛から始まっているのです。法則も神の愛がなければ存在できません。神は摂理を通して霊界・宇宙・万物を支配しているため、神はすべてを完全に認知・把握していることになります。摂理の支配は完璧で一辺の狂いもなく、厳格で、機械的正確さで働くため、何ものも摂理から逃れることはできません。

人間も神の愛の想いから造られたため、すべての人間は摂理の支配を受けています。神は摂理を通して全人類を‶完全平等・完全公平″に扱っているため、神と人間は摂理を介した‶間接的な関係″を持っていることになります。よって人間サイドから見ると‶神は摂理として表れる″ことになります。摂理の完璧性は‶神の完全性・全知全能性″の反映です。全知全能の神が造ったものだからです。しかし厳格な摂理の背後には、人類の霊的成長を願う‶神の愛″が存在しているのです。‶従来の宗教では、‶神と人間は直接的な関係″にあり、人間は真剣な祈りによって苦難から救われる…と教えられてきました。霊的無知にある従来の宗教の教えは、間違いだらけであり、スピリチュアリズムではすべての宗教は‶失格″であると断言しています。

⑤究極の理想としての神…人間は‶永遠の霊的進化の道″をたどる存在であり、それは終わりのない神への接近のプロセスを辿るという宿命にあります。人間は霊的成長とともに‶究極の理想″である神に一歩ずつ近づいて行きます。理想の神を目指し永遠に霊的成長を続けていくのです。神の分霊を授かった人間は、神の霊的子供であり、親なる神に向かって向上し続け、神に近づくにつれて神の愛を実感し、喜びと幸福感が増して行きます。人間は神の摂理である‶利他愛の実践″を通して、神に近づいて行きます。しかし、人間はいくら霊的向上をしても、神と融合し一体化することはありません。また人間は進化向上を極めても自我を失うこともありません。

シルバーバーチの神観の特徴は、摂理(法則)を強調していることです。従来の宗教の教えを根本から正そうとした、人類史上初めて明らかにされた画期的神観なのです。正しい神を示すことによって間違った宗教を一掃し、正しい宗教を確立することが霊界の願いです。人間が誕生した意味が明確に示された教えであり、人間の正しい生き方を示していく重要な法則です。一人ひとりが実践することで、神の願う世界「霊的同胞世界」が築かれていくことになります。

人間はこれまで自分や家族の不幸を取り除いて欲しい、幸せにして欲しいと願い神に祈ってきました。しかし真実は祈るだけで目的が叶うような簡単で甘いものではないことが分かります。人間の本当の幸せとは「霊的成長」を言います。それを実現するには「霊主肉従の努力」「利他愛の実践」「苦難の甘受」の実践努力が必須です。それを実践することがどんなに厳しい生き方であるかが、真理を理解するごとに分かってきます。真理を正しく理解し、正しく実践することで、自分で自分を救うという自力救済の本質が理解できるようになります。その中でも神の摂理を実践すること、それは「利他愛の実践」が最重要事項です。

霊的成長のための基本を身に付ける場所が、この地上人生です。神の摂理を学んで、永遠の中の、この一時の地上人生がどれほど大切か、決して無駄にしてはならないとの決意が生まれてきます。その真実を知ると、霊的無知にある人間が気の毒であり、哀れに思います。イエスの地上再臨・幽界降臨という霊的新時代の幕開けに居合わせ、貴重な霊的真理を授けていただいたことに感謝するばかりです。スピリチュアリズムの最終目的である霊的同胞世界・地上天国実現のために、道具の資質を磨いて、未熟ながらもイエスのお役に立ちたいと決意しています。

——シルバーバーチの言葉——

「大霊は全能です。なぜなら、その力は宇宙およびそこに存在するあらゆる形体の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。(中略)宇宙は、誤ることのない叡智と慈悲深い目的を持った法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは、間違いない事実です。

このことは、慈悲の要素が摂理の中に配剤されていることを意味します。ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。いかなる力をもってしても、因果律の働きに干渉することはできないという意味での機械性です。

いかに霊格の高い霊といえども、一つの原因が数学的正確さをもって結果を生んでいく過程を阻止することはできません。そこに摂理の機械性があります。(中略)

私がお伝えしようとしている概念は、全能にして慈悲にあふれ、完全にして無限なる存在でありながら、地上の人間がとかく想像しがちな‶人間神″的な要素の無い神です。」(シルバーバーチの霊訓)(福音)

「このように、人間が幸せになるためには「神の摂理」に合わせていかなければなりませんが、その「摂理」とは具体的にどのような内容を指しているのでしょうか。結論を言えば、「霊主肉従の努力」「利他愛の実践」「霊的視野に立った苦難の甘受」です。この3つの実践内容が摂理にそうための努力であり、地上人のなすべき正しい信仰実践ということになります。」(ホームページ『シルバーバーチの霊訓とは』の中の「神観」より)

*数々の霊訓は普及会出版DVDの神観をご覧ください。

*なお引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。