「祈り」とは

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5月読書会では、前半はインフォメーション№42霊たちの証言内容を学びました。各拠点の読書会には多くの霊たちが参加し、皆を鼓舞し霊的エネルギーを送ってくれていたことが分かりました。肉の目には見えずとも、霊界通信により霊界の動きが鮮明に証言されています。私が学ぶ読書会においても霊界からの援助を受けていたことを知り、感激の思いで学びに入りました。

エスの幽界降臨によって、スピリチュアリズムが地球人類救済計画であることを知った多くの元宗教信者は、宗教の別にかかわらず全員スピリチュアリズムに改宗したことは、知っての通りです。それによって幽界では地殻大変動が起きています。霊的真理を知らないと、信仰心が純粋で熱心に活動していた人であっても、地縛霊となって長い間苦しむことになります。真理を知ることは最高の栄誉であること、最高の宝を手にしたことになります。やっと救われた霊達は、これからはスピリチュアリズムにその純粋な信仰心を向けられるという事実に喜んでいます。

スピリチュアリストは自分流の真理ではなく、霊界の導きを信じて本当の霊的真理を学ぶ必要があります。世間では、霊的真理にゆるぎない信仰心のスピリチュアリストの姿を見て、本物の信仰に一歩踏み出す人も現れてきます。先に真理を学ぶスピリチュアリストは、正しい信仰心を持ち正しい実践者として、世間に示していく立場にあります。先に行く者として苦労しても苦労を厭わない生き方を示していかなければなりません。それが道具の道であり、地上人生を最も価値あるものにすることでもあります。

 

読書会後半は、「祈り」の実践について学びました。学習の目的は、霊的無知を一掃し、間違った教義・間違った神観を正し、霊的真理にかなった真の祈りで神に語りかけることを学ぶことです。

●「祈り」の原則

・祈りは神への直接的な語りかけ——祈りは、親なる神に語りかけることであり、神に対する魂の吐露です。神の前では心を開き、真心で語りかけることです。神の懐に飛び込み神と触れ合うことです。人間は窮地に陥った時、必死に親なる神を求めます。人間はどんな人間関係よりも、神を重視し神を信頼しているのです。祈りの対象は、大霊(神)のみ(イエスや守護霊・背後霊ではない)です。人間の魂は霊的本能によって神を求めるようになっています。

・正しい祈りには、霊的真理の理解が不可欠——祈りの大前提は、真理を正しく理解していることです。正しく理解していないと的外れな祈りになり大霊に失礼になります。そして、祈りが利己的になり心が醜くなります。それが元で宗教戦争が起きることにもなります。真理を正しく踏まえた祈りとは、神が造った摂理にそった祈りのことです。自分の幸せではなく、人々の幸せを思う利他性の祈りであることが正しい祈りです。そのためこの世の宗教の祈りは、あるいは個人での祈りは、お参り信仰・願い事信仰であり利己性につながります。霊的真理・摂理を知ることで、正しい祈り・正しい信仰・真理の正しい実践ができることになります。

・口先だけの祈りはしない——祈る時は、真理の正しい実践努力をしていることが前提です。そして祈りで述べたことは、必ず実行する、実行の努力をするべきです。そういう人は醜い自分の心と闘っている人です。心のこもってない偽りの祈りは純粋でありません。最高の誠意をもって祈ることが純粋な祈りです。祈れない時は「シルバーバーチの霊訓」を読むことで霊的意識を取り戻すことができ、心が高まって霊的視野をも取り戻すことになります。霊訓を読むことは、祈りのウォーミングアップになり、広い意味で祈りの一つと言えます。実行する気のない祈り、口先だけ・形だけの祈りは、神を侮ることになります。正しい祈りをすることで霊界の援助が得られ、道具としての道が開けてまいります。

●神の呼称については

 「正しい神」(正しい神観)のイメージを持っていれば、呼び方は自由です。シルバーバーチは神を「大霊」と呼び、イエスは「神」(正しい神をイメージして呼びかけている)と呼び、普及会や読書会では「天の親様」(神との情的な関係を重視した呼びかけ)と呼び掛けています。キリスト教の「天の父」「父なる天の神」は相応しくありません。これまでは勝手な神を想像し祈ってきました。その間違った神観を一掃し、正しい祈り方をすることを学びました。「シルバーバーチの霊訓」の中には祈りの手本がいくつも示されています。

学びの最後にそれぞれの思いで神への祈りの練習をしました。1日の始まりの祈り・1日の終わりの祈り・読書会の終わりの祈り…のどれか一つを選び実習しました。結果、皆さんの祈りは、神への真心からの語りかけであり、本当に感動するものでした。正しい祈りには、利他的思いが強くなり、道具としての準備が整うことになります。霊的真理の実践が伴わない祈りだけの修行は、霊的修練にならず霊的成長は得られません。今日の学びを通して、今以上に自分を磨いて、お役に立てる魂を目指したいと思いました。地縛から救われた元信者たちは、地上にいるうちに霊的真理を手にした私たちを羨んでいます。先に霊的真理を手にしたことを誇りに思い、霊界主導の地球人類救済計画に一身をささげるべく努力してまいりたいと思います。

   ——シルバーバーチの言葉(シルバーバーチの教え 上より)——

——祈るということはたいせつでしょうか。

「その祈りがどういうものであるかによって答えが異なります。目的のないきまり文句のただの繰り返しでは、空気に振動を起こすだけです。が、魂の奥底からの誠心誠意の祈り、大霊との一体化を深め、大霊の道具として有用な存在になりたいとの願望から出た祈りは、祈る者の霊性を強化し、大霊の道具としてより相応しい存在にします。そうした祈りは自我を顕現しようとする行為であり、心を開く行為であり、私たち霊界の者との結束を固めることになります。」(P112 7行目~後1行目)

「真実の祈りは、あなた方にとって奉仕(サービス)の準備を整えるためのものです。あなた方を、より高度なエネルギーと調和させるための手段です。本当の祈りとは、誰かがつくった祈りの文句を意味も分からずに繰り返すことではなく、全身全霊を込めて到達できる最も高い次元にまで魂を引き上げようとする行為のことです。そのとき、祈りの結果としてもたらされるインスピレーションによって魂が満たされ、霊性が強化されるのです。」(P113 4行目~9行目)

——祈りによって霊界の人々の援助を得ることは可能でしょうか。

「もしあなたが、真心を込めて祈るなら、それによってより高度なエネルギーを受け入れやすくなります。祈るという行為そのものが魂を開かせるのです。もちろん全身全霊を傾けた祈りのことです。単なる願い事は祈りではありません。真実の祈りは重要な霊的修練なのです。「祈りは、あくまでも目的に至るための手段であって目的そのものではない」——これが最も正しい祈りの定義です。」(P114 5行目~後4行目)

スピリチュアリズム普及会のホームページの——スピリチュアリズムの思想[Ⅲ][7]祈りの実践——をご参考にされてください。

*なお引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。