神について(神観)

肉体をまとい霊的感性が鈍くなっている地上人は、霊的世界のごく一部を知ることしかできません。地上の大霊能者・大霊覚者といえども、神認識能力は赤ちゃんのレベルと言えます。実は神に対する認識は、霊界の様子を知ることよりも、さらに次元の高いことなのです。高級霊からの霊界通信によって、私たちは神について、霊界について多くの知識を手にすることができました。

霊界の住人は‶霊的直感″において神を実感的に認識しているため、「神観(神の理解)」は常に統一されています。スピリチュアリズムの神観とは、霊界人に共有され、全ての霊たちにとって常識となっている神の共通見解・共通理解に他なりません。地球人類はスピリチュアリズムによって霊界人と共通の神認識を持ち、共通の神信仰へと踏み出すことになったのです。遠い将来、地球人類の霊性が今よりずっと進化した時には、人類はさらに多くの神についての霊的知識を得ることになります。

シルバーバーチの神観のポイント(神の定義)>
① 創造主としての神——神は霊界と宇宙、そこに存在する全ての生命体・存在物を創造しました。神は人間に自分の本質である霊を分け与え、人間を独立・個別化されました。分霊化された人間は神を「霊的親」とし、全ての人間は同じ神の霊的子供・霊的家族となりました。人間には「神の分霊(ミニチュアの神)」が内在しており、これが人間の本体であり人間は永遠に存在し神に近づく歩みをしていきます。人間の肉体能力や心の要素(知・情・意)のすべては元々神の内に存在していたものです。人間は未熟な形から出発し、霊的成長によって進化向上していくことになります。
② 大霊としての神——神は無形であり無限の存在であり、あらゆる区別・形式・概念を超越していて、すべてにあまねく偏在しています。神は霊界・宇宙のすべてを包み込むような広がりを持った大きな心のような存在、大きな意識体と言えます。神と無関係な存在は一つもありません。したがって、神から誰一人として切り離されることはありません。
③ 愛の始源としての神・究極の愛としての神——神は人間にとって「霊的親」であり、神と人間は「愛」によって結ばれています。人間同士を結び付けるのも神の愛によります。全人類は神を共通の親とする「霊的一大家族」です。神は被造世界と被造物を支配し維持するために「摂理」を設け、その「摂理」の背後には神の愛が控えています。‶愛″こそが根源的であり、愛があればこそ法則が機能するようになっています。
④ 摂理(法則)としての神——人間から見ると神は冷たい「摂理」として映りますが、人間は摂理に従い添って生きることで真の幸福に至ることができます。すべての人間が完全平等・完全公平に扱われ、例外というものはありません。従来の宗教の教えのように、人間中心の要求や願いが聞き届けられることはありません。神の完全性と偉大さは、摂理(法則)の完璧性を通して知ることができます。人間は摂理を通じて神と間接的に関係を持ち、人間サイドから見るなら「神は常に摂理として現れる」ということになります。従来の宗教の最大の欠点が「摂理」についての無知です。
⑤ 究極の理想・目標としての神——人間は永遠の霊的成長の道をたどりますが、それは終わりのない神への接近のプロセスです。人間は「利他愛の実践」を通して神を愛することになり、内部の「神性(霊性)」を拡大させ、神との愛を深めていくことになります。しかしどこまで行っても神と人間が融合することはありません。人間にとって神は、永遠に目指し続ける「究極の目標」であり「理想」です。

*真実の神とは①~⑤を合わせて一つにした大きな存在と言えます。この5つの定義の中で④の「摂理の神」がシルバーバーチの神観の最大の特徴であり最重要項目となっています。

次回は「摂理」についてお送りします。最後にシルバーバーチの言葉を掲載して終わります。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「神は人間を霊的にご自分に似せて創造されたのです。生命は霊であり、霊は生命です。霊的に似せて創造された以上、あなたは永遠に神とつながっており、神性を共有しているのです。ということは、必然的に人間は霊的大家族の一員であることになります。同じ神性が宿っているからです。ですから人間は、霊的に神に似ているのであり、姿が似ているというのではありません。」(シルバーバーチ
「神は万物の内側にも外側にも存在しています。神から離れては誰一人存在できません。神から切り離されるということはあり得ないのです。あなたの中にも存在しますし、雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他いかに小さなものでも、存在を有するかぎりは、すべてのものに宿っているのです。私が大霊と呼んでいるこの神の概念を伝えるのは至難の業です。あらゆるものを支配し、あらゆるものから離れず、存在するものすべてに内在している崇高な力です。」(シルバーバーチ
「宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく、血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差し伸べんとする同胞愛に燃えます。愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差し伸べさせるものです。全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間一人ひとりを通して地上に流れ込みます。そして、いつの日か、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるでしょう。」(シルバーバーチ
「物的世界は、他のすべての世界と同じく、絶対不変の摂理によって支配されております。その摂理は無限の過去から存在していましたし、これからも無窮の未来まで存在し続けます。予期しなかった事情が生じて改めざるを得なくなることは絶対にありません。その作用は完璧であり、停止することも、無効になることもありません。無限の知性によって考案されたものだからです。」(シルバーバーチ
「宇宙は、誤ることのない叡智と慈悲深い目的をもった法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは、間違いない事実です。このことは、慈悲の要素が摂理の中に配剤されていることを意味します。ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。」(シルバーバーチ

インディビジュアリティーとパーソナリティー

前回の再生観の補足をします。シルバーバーチによって明らかにされた再生の真実は「類魂」がキーワードです。これを知らないで再生についての事実は分かりません。霊界では霊的成長レベルが同じ者同士が引き合って、大小さまざまな「霊的グループ(霊的家族)」を形成します。この霊的グループを単位にして共同生活が営まれ、グループ全体で霊的成長を続けていきます。その一つの「霊的グループ」が一つの界層となり、無数にある「霊的グループ」がある分、無数の霊界層が存在することになります。

霊的グループは大小さまざまな複数の人数によって形成されています。その構成メンバーの心が融合して一つの大きな意識体(心・魂)が形成されます。メンバーの共有意識・共有魂を類魂(大きいインディビジュアリティー)と言います。単なるメンバーの心の寄せ集めではなく、それらが融合し一体化したもの、全体意識のことを言います。その中では他人の心を自分の心として共有し、まさに自他が一体化しているのです。それでいて個人としての意識もしっかり保持しています。再生とはこの類魂(大きいインディビジュアリティー)を土台として発生する共同成長のシステムのことを言います。

では一体何が再生するのか?シルバーバーチは「類魂(大きいインディビジュアリティー)」をダイヤモンドにたとえて、それには多くの面(相)があるとしました。その一つの面(共有意識体の一部分)が、一人の再生者の「霊の心(霊的意識・魂)」となって、地上に再生するのです。類魂という大きな意識体(大きいインディビジュアリティー)の分割部分(個のインディビジュアリティー)が「再生の主体」になります。個のインディビジュアリティーの大部分が「潜在意識」となります。そして、その一部が脳を通してにじみ出し、肉体本能と一緒になって顕在意識になります。この「顕在意識」によって形成されるのが「パーソナリティー」という物質的な人物像です。地上人は、このパーソナリティーを「自分」だと自覚することになります。

そうして一人のメンバーが地上人生を終え、死後は、パーソナリティーが大きいインディビジュアリティーの中に溶け込み、肉体の死とともに消滅してしまいます。次の再生時には今とは別の新しい、インディビジュアリティーの一部(個のインディビジュアリティー)が地上に現れ、これが新しい人格・人物像(パーソナリティー)を形成することになります。これを地上人(地上サイド)から見れば、今の自分は死とともに消滅し、再生時には別の人間が現れるということになります。霊的グループのメンバーの地上人生の体験の積み重ねによって、霊的グループは霊界層を進化向上していきます。これが類魂を土台とした再生による霊的向上の実態です。

その霊的グループの中でメンバーより一歩先んじて進歩する者が現れます。するとその者は一段霊性の高い別の霊的グループへと入っていき、新しいメンバーとともに成長を続けていくことになります。再生の問題は多くある霊的知識の中でも特に複雑で理解が困難なテーマです。

最後にシルバーバーチの言葉を掲載して終わります。なおこれらの引用に対しては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「あなたはそうした霊的本性に合った世界へ赴くのです。特別の使命がない限り、それよりも低い世界へは行きたいとは思いません。が、それより高い世界へは、行きたくても行けません。その時に発揮しているバイブレーションより高いものは発揮できないからです。そういう次第ですから、結局は霊的成長度と霊的能力において同等の人たちと交わることになるわけです。(中略)すべては霊的成長度によって決まるのです。その点が地上世界とこちらの世界との大きな違いです。今あなたが生活しておられる世界では、精神的にそれぞれに程度が異なる人々が同一平面上で暮らしております。が、こちらへ来ると、同じ程度の人たちと一緒に暮らすことになります。といって、たとえば大音楽家の音楽が聴けなくなるという意味ではありません。生活上で交わる相手が同格の霊性を身につけた者に限られるということです。絶対に誤ることにない霊的親和力の法則によって自然にそう収まるのです。」(シルバーバーチ
「パーソナリティーとインディビジュアリティーの違いを理解しないといけません。パーソナリティーというのは、物的身体を通して顕現した地上だけの人物像です。インディビジュアリティーというのは、魂の全体像です。その全体像を地上での70年や80年、あるいは90年の間に発揮することは到底不可能です。」(シルバーバーチ
「私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなく、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。それは、支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業(カルマ)を持った人が因果律の働きで戻ってくる場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命をもって降誕する場合もあります。その霊の持つ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。」(シルバーバーチ
「こうした問題はすべて、自然法則の働きのよって解決されます。再生すべき人は、自分でそう決心するのです。つまり、意識が拡大し、今度再生したらこれだけの成長が得られるということが分かるようになり、それで再生を決意するのです。再生専門の機関や霊団がいるわけではありません。すべて魂自身が決めるのです。」(シルバーバーチ

再生について(再生観)

●人間観…人生観…死生観…死の直後…幽界…霊界…再生観(人間が今後たどる道筋)

最後のテーマの再生観について学びます。再生の事実は進化した高級霊のみが知ることができ、シルバーバーチの登場によって最奥の真実が明らかになりました。人間は数回の再生を繰り返して学びの足りない分を、人生経験を通して霊的成長し、その後は長い霊界人生を歩みます。数千年後、数万年後には地上人生での体験が必要としなくなる境涯へ入っていきます。

幽界を卒業し霊界に進級すると、霊的成長レベルの同じ者同士が引き合って大小さまざまな「霊的グループ(霊的家族)」を形成し、そのグループを単位にして共同生活が営まれます。そこではお互いの利他愛の実践によって更に共同で霊的成長をしていきます。その霊的グループが一つの霊界の界層になります。霊的グループの中で構成メンバーの心が融合して一つの意識体(心・魂)が形成され、それが「類魂」と言われるものです。(*シルバーバーチは「類魂」をダイヤモンドにたとえて、それには多くの面(相)があるとしました。又これをインディビジュアリティーとも言います)集合化した霊的意識・共有意識・意識の一体化・個人の意識は全体の意識・個としての私は大きな私・・・というような状態になります。そして全体が融合していても個の意識もしっかり残っている状態です。

「類魂」のメンバーは自分と他人が一体化したような体験の中で、他人の心を自分の心として共有することになり、まさに自他が一体化しているのです。「再生」とはこの「類魂」を土台にして発生する共同成長のシステムなのです。「類魂」という大きな共有意識体の一部分(分割部分)が、一人の再生者の「霊の心(霊的意識・魂)」になって地上に再生します。再生の目的には、「類魂全体の霊的進化」と「個人のカルマの清算」という二つの主な目的があります。「人類救済の使命」を入れると三つになります。

<再生の目的>
●類魂全体の霊的進化——類魂のメンバーの一人が地上に再生し、そこでの体験を類魂   に持ち帰ることで、類魂全体の進化が促されます。次の再生時には別のメンバーが入れ替わり、別の地上体験を持ち帰ります。それを繰り返し、結果的に多くの種類の体験を 積むことで類魂全体が進化向上していきます。
●個人のカルマの清算——類魂のメンバーにかつて地上時代に犯した罪(摂理違反・カ ルマ)が清算されずに残っている場合、苦しみを通してその罪を償い消滅させ、霊的成長の足かせを取り除くことが必要となります。このために新たな地上体験(再生)を求めるようになるのです。指導霊に再生を願い出て許可されると、本人にとって最もふさわしい環境(人種・民族・国・社会・時代・性別・親など)を選択し、選ばれた親の元に子供として誕生することになります。そしてカルマを清算する人生が展開(苦しみの体験)し、死を迎えて、再び霊界の類魂のもとに合流することになります。
●人類救済の使命——人類救済の使命を受けて人生を懸けて働く場合があります。

*霊的なことを物質界の言葉で説明するのは極めて困難を要します。霊界と地上界では霊質と物質の大きな違いがあり、霊的なことを言語で表現できないのです。

地上への再生人生は物質中心主義・利己主義の支配する厳しい環境です。しかし物質世界でしか得られない体験による試練は、これから永遠にたどる人生の基本となる霊格形成に絶対必要です。生活に「霊的真理」を指針として営むことで霊的成長が可能となります。霊的真理を手にした者は真の幸福に至るレールに乗ったと言えます。とは言っても未熟な人間は、カルマ清算すると同時に新しいカルマもつくり続けていると言われています。進化向上には遅々とした歩みで、確実な進歩が要求されます。霊的なものこそ物質的宝を失った後も永遠に自分のものとすることができ、自分の内面を美しく磨くための必須の宝物です。

巷にあふれている宗教的常識には、真実とは遠くかけ離れたものが多く存在します。「今の私がそのまま再生する」も「同じ自分が何度も再生を繰り返す輪廻転生」も間違いです。再生の真実を理解するためには、今自覚している自分(パーソナリティー)と意識の総体(インディビジュアリティー)を知らないといけません。

最後にシルバーバーチの言葉を掲載します。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなく、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。
それは、支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業(カルマ)を持った人が因果律の働きで戻ってくる場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命をもって降誕する場合もあります。その霊の持つ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。」(シルバーバーチ

「霊界には、すでに地上生活を体験した霊が大勢います。その中には、もう一度地上へ戻って果たさねばならない責任、やり直さなければならない用事、達成しなければならない仕事といったものを抱えている者が沢山います。そして、その目的のためのチャンスを与えてくれる最適の身体を求めているのです。」(シルバーバーチ

「この世に再生する前の判断力と、再生してからの肉体器官を通じての判断力とでは大きな差があります。もちろん再生してからの方が肉体器官の機能の限界のために、大きな制限を受けます。しかし、大半の人間は、地上でたどるべき道程について、再生前からあらかじめ承知しています。」(シルバーバーチ

「カルマによる義務の遂行のために戻ってくる人もいれば、自発的に地上での貢献を目的として戻ってくる人もいます。男性として戻ってくるか女性として戻ってくるかは、格別に重大なことではありません。私たちの世界には性差別防止条例はありませんので!霊的進化の程度が唯一の基準です。男性であるか女性であるかは問題ありません。」(シルバーバーチ

霊界について

●人間観…人生観…死生観…死の直後…幽界…霊界…再生観(人間が今後たどる道筋)

人間は死後「幽界」の生活を通じて地上生活での物質臭を取り除き、純粋な霊的世界へと進んでいくことを学んできました。ここでは人間にとって本来の住処である霊界について学びます。

霊界もまた霊性によって住み分けられた無数の界層で成り立っております。そして一つの界層は霊性や性格・嗜好品の似た者同士が共同生活を営み、ともに霊的成長をしています。次元の異なる無数の界層が重複して一つの場に存在しています。高い界層ほどバイブレーションは精妙になり、低い界層ほどバイブレーションは粗雑になります。

そしてそれぞれの界層は一線を引いて区別されているのではなく、グラデーション的に連続し融合して繋がっています。地上では全員が同一平面上で生活し、しかも他人の霊性レベルの程度は知ることはできません。が、霊界ではそれぞれの霊性レベルに見合った界層に磁石のように引き寄せられて行きます。そしてレベルの違う界層との交流・コミュニケーションはありません。

霊は高い界層に入るに相応しい霊性が備わるまでは、自分の霊性以上の世界へ行くことはできません。宗教で言う終末における最後の審判によって、天国と地獄に行く者が振り分けられるということはありません。一人一人の霊性レベルに相応しい界層に自動的に落ち着くようになっています。(例外的なケースとして、霊性が一定レベル以上に達すると、下の界の霊や地上人を指導啓発するという目的と同時に、自分の霊的成長のため自分のバイブレーションを下げて下層界へ赴くことがあります。そして役目を終えると元の界層にもどります。)

霊界での生活を通じて霊的進化が促され、それまでいた階層が自分の霊性に合わなくなると、一種の眠りのような状態に入り、やがて完全な睡眠状態から目覚めるとすでに新しい界層に移動しています。霊界では霊性の進化向上を続ける中で幾度も階層を上昇していくことになります。その時の霊的身体は粗雑な状態からますます精妙化へと変化していきます。新しく移動する階層に合わせてグラデーション的に状態変化するのです。

幽界では地上で愛し合った家族・夫婦関係を維持できますが、霊界では地上臭が取り除かれ霊的に向上した場合、家族・夫婦・兄弟姉妹とはバラバラになり別々の歩みをするようになります。地上時代の関係を大切にしつつもそれ以上に「霊的成長」への願望と関心が強く心を占めるようになります。そのため地上世界のような愛にまつわる利己的感情(嫉妬)も存在しなくなります。霊界では「利他愛」という本当の愛だけが人間同士を結び付け、‶霊的絆″によって愛の関係が維持されます。

地上では血縁関係で一家を構成し生活しますが、霊界では霊性レベルの同じ者同士で霊的グループ(霊的家族)がつくられ、共同で霊的成長をしていきます。「魂と魂の結びつき」であり‶霊的愛″という「霊と霊の絆」の関係です。地上で言う性欲・独占欲・嫉妬という利己的愛はすでにありません。お互いが霊的成長のために奉仕し合う‶霊的愛(利他愛)″の結びつきであり、しかも霊性が一致する者同士のグループによる共同生活となります。

霊界では男性・女性の区別がなくなっていきます。地上での結婚も同性愛もありません。純粋な霊的・精神的要素が人間を規定するようになります。地上での同性愛者は特別の内面的苦しみ・葛藤を体験しますが死後、すべての苦しみから解放され清らかですがすがしい心境になります。霊界は同性愛者にとっては‶真の救い″の世界となります。

霊界は幽界の素晴らしさを一段と高めたところと言えます。その素晴らしさは階層を上がれば上がるほど、いっそう高められるようになります。飲食・睡眠は必要なく病気や痛みもなく、自由自在に移動でき、コミュニケーションは思念(テレパシー)により瞬時に伝達され、偽善もウソも通用せず、本性そのままが露わに知られます。そのため誰もが素直に生きざるを得ないのです。

霊界での仕事とは利他愛の実践であり、すべての人が厳格な適材適所のもと理想的な仕事に喜びをもって臨んでいます。そして奉仕の仕事を通じて霊的成長を続けていくのです。霊界全体に至純の愛が満ち溢れ、この愛がすべての霊たちの心を結び付け、全員が「霊的同胞意識」を実感し、まさに‶神″を共通の親とする「霊的大家族世界」が実現しているのです。

霊界の説明を終わります。次回は「再生について」をお送りします。最後にシルバーバーチの言葉を掲載いたします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「あなた方はまだ、霊の世界の本当の素晴らしさを知りません。肉体の牢獄から解放され、望むところへは自由に行け、心で考えたことが形を取って眼前に現れ、好きなことにいくらでも専念でき、お金の心配がない……こうした霊界の生活と比べることができるものは、地上には存在しません。あなた方はまだ霊的世界の喜びを味わったことがないのです。
地上の人間は、美しさの本当の姿を理解することはできません。霊の世界の光、色彩、景色、樹木、小鳥、川、渓流、山、花、こうしたものがどれほど美しいか、あなた方はご存知ありません。
地上の人間にとって「死」は、恐怖の最たるもののようです。が、人間は死んで初めて生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、実際にはほとんど死んでいるも同然です。霊的なことに対しては死人のごとく反応を示しません。小さな生命の灯火が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことにはいっこうに反応を示しません。ただ、徐々にではあっても進歩しています。私たちの働きかけによって、霊的な勢力が物質界に増えつつあります。霊的真理の光が広まることによって、暗闇は後退しつつあります。
霊の世界は地上の言語では表現できません。譬えるものが地上世界には見いだせないのです。あなた方が、‶死人″と言っている霊界の者たちの方が、あなた方よりも生命の実相について、はるかに多くのことを知っています。
こちらの世界に来て、芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることができるようになります。画家も詩人も大きな夢を達成することができます。与えられた才能を思う存分発揮することができるようになるのです。こちらの世界では、あらゆる才能や素質は、お互いに奉仕するために用いられます。霊界における以心伝心の素晴らしさは、ぎこちない地上の言語ではとても表現できません。心に思うことが霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。
こちらには、金銭の心配がありません。生存競争というものがありません。弱者がいじめられることもありません。霊界での強者とは、弱者に手を差し延べる力があるという意味だからです。失業などというものもありません。スラム街もありません。利己主義もありません。宗派もありません。経典もありません。あるのは大霊の摂理だけです。」(シルバーバーチ

「霊界には地理的な仕切りはありません。‶意識の状態″があって、魂が進化するにつれて意識が高まる、ないしは深まっていくことの連続です。一つの意識状態と次の意識状態とは自然に融合しております。そこに仕切り線のようなものはありません。進歩とか開発とか進化というのは、一足飛びにではなく、粗野な面が少しずつ取り除かれて、霊的な側面が表に出てくるということの連続です。」(シルバーバーチ

 

幽界について

●人間観…人生観…死生観…死の瞬間…幽界…霊界…再生観(人間が今後たどる道筋)の
「幽界について」をお送りします。

霊的世界は一つですが霊性レベルによって無数の界層ができ上っていて、幽界はその中で最も地上に近いところ(物質要素を最も多く残している)です。他界者が最初に生活する場所であり、次のより高い界層に行くための準備をする場所でもあります。しかしイエスのように特別に優れた霊性の持ち主は幽界を素通りして高級霊界へ行き、霊性の低い霊は幽界の最下層へ留まることになります。ここでは普通の人がたどるプロセスについて述べます。

幽界には地上のように山・川・湖・海があり、田・畑・街並みがあります。ただし全体的に地上よりずっと明るく美しく輝いています。幽界が地上に似ているというのは、神(大霊)のあたたかい配慮です。死の目覚めが起きた時、地上と全く異なる環境だとするなら大変なショック・衝撃を受け、大混乱を引き起こします。又多くの他界者が幽界に入ると景色も人間も見覚えがあるものばかりです。それは地上にいた時、睡眠中に「幽体離脱」をしてたびたび幽界を訪れていた経験があるからです。

幽界に入ると、地獄やサタンは存在しないことに気づきます。キリスト再臨の真の意味が、スピリチュアリズム(地球人類救済大計画)による霊的知識の降下であることを知ることになります。その大計画の総指揮官がイエスであることを知り、地上の全宗教の教義の間違いを悟ることになります。それでも信仰の間違いを悟れなければ‶地縛霊″として幽界の最下層界で、同じような狂信者の集団とともに信仰を続けることになります。が、いつかは間違いに気づき目覚めていくようになります。

幽界では物的肉体は無いので、肉体を維持するための飲食も寝る必要もありません。肉体の死とともに苦痛・病気も無くなります。そして意念を集中させるだけで、欲しいものが何でも手に入り、やりたいことも何でも出来るようになります。好みの家や庭も手に入り、それらに関心が無くなればいつの間にか消え去ります。又地上のような時間や空間がないため、朝昼夜がなく、行きたいところには意念で瞬時に行くことができます。朝昼夜があると思い込んでいる者には朝昼夜が展開し、電車や車で移動することもできます。本人の意識の問題です。

幽界ではお金が必要ないため辛い仕事から解放され、学問・音楽・芸術・旅行・スポーツなど夢や希望が完璧に実現するところです。まさに楽園・極楽浄土のようなところです。又地上時代に動物を愛し可愛がった人は幽界で再会し共に暮らすことも叶います。「神の分霊」を宿した人間には、霊的に劣る動物を愛し指導し、霊的成長を助ける義務があります。ペットとの再会同居は動物を愛した人間への神からのご褒美です。

いずれ何でも叶う幽界の生活に飽き・嫌悪感が生じてきます。すると精神的なものを求める(霊的目覚め)ようになり、霊界へと進入していくことになります。幽界とは純粋な霊的世界へ行くための準備をするところということです。

又幽界には地上のように人間の作った法律や規則がありません。霊界・宇宙・全生命体を支配し、維持・管理するための「神の摂理自然法則)」があるだけです。神の愛と叡知から造られた完全平等・完全公平な「摂理」があるだけです。地上のような冤罪や間違いや特別配慮などない、完璧な摂理です。

幽界についての説明を終わります。次回は霊界についてお送りします。最後にシルバーバーチの言葉を掲載いたします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「こちらへ来て、まだ霊的バイブレーションに順応していないうちは、地上時代と同じパターンの生活を営みます。低級界、いわゆる幽界は、いろいろな点で地上とそっくりです。これは、新参者にショックを与えないようにとの神の配慮なのです。いきなり環境が変わると、順応が難しいからです。
そこで、今おっしゃった方のように、こちらへ来てからも引き続き朝と夜の生活を営む者がいることになります。そういうものという固定観念を抱いているために、そうなるのです。こちらは、思念が実在となる世界です。意識の変化が生じないかぎり、その状態が続きます。それとは別に、地上に残した愛する者の面倒を見たくて、より高い世界への向上を望まない者もいます。
こちらにも庭があり、家があり、湖があり、海があります。それぞれに実体があります。実在なのです。フワフワとした、形態のない世界ではありません。住民はやはり人間的存在です。ただ、物的身体がないというだけです。霊界の自然環境は芸術的な美しさにあふれ、とても言語では表現できません。
家屋に住まうということは自然なことです。こちらでも家の中での生活がありますが、こちらの家は、地上時代にその人が培った霊性が反映して自然にこしらえられているという点が、地上と違います。その家に庭があるのも自然なことですが、庭木の手入れは、しなければならないと思えば、すればよろしいし、特に手をいれなくても、その人の霊性に応じて手入れがなされます。そのように霊の世界の仕組みができているのです。だからこそ、新参者もショックを受けずに霊的環境に適応していくのです。」(シルバーバーチ

「私の世界の言語は、思念の言語です。つまり、心と心の直接の交信によって通じ合い、地上時代の習慣から抜けきると、言葉は使用しなくなります。したがって、言語の違いによる混乱が生じないわけです。地上でフランス人だった人がスウェーデン人と、エスキモーだった人がイタリア人と、気軽に通じ合います。地上のように、思ったことをいったん言葉というシンボルに置き換えることなく、そのまま通じ合えるのです。」(シルバーバーチ

 

死の直後について

●人間観…人生観…死生観…死の直後…幽界…霊界…再生観(人間が今後たどる道筋)
前回は「死生観(死について)」をお送りしました。今回は「死の直後」について学びます。
肉体と霊体を繋いでいるシルバーコードが完全に切れて心臓が停止することが、本当の死です。そして肉体を地上に残して霊体は、人間本来の住処である霊界に赴きます。ですがその人の霊的成長度によって死から霊界へのプロセスが違ってくるのです。

人間は死ぬと霊界の下層である幽界の一番下にある休憩所のようなところで一旦眠りにつきます。その死の眠りから目覚めるところまでは皆同じですが、目覚めたところから人それぞれの過程を通ります。地上時代の生き方や思い込みによって、およそ三種類の過程に分かれます。
① 大半の地上人(霊的知識に無知な一般人)の場合
肉体と同じ形の霊体があるので自分が死んだことに気づかず混乱状態に陥ります。そういう人は再び眠りに着き霊界人の看護を受けます。先に死んだ人が出迎えに来ているのに、混乱状態が何も見えなくしてしまい又眠りに着くしかないのです。自分の死を自覚するまで何度でも眠ることになります。死の自覚ができるとやっと出迎えの人が見え、再会を喜ぶことになります。そして幽界へと進むことができます。
唯物論者や間違った宗教の狂信者の場合
死を頑なに否定し、いつまでも地上と同じ生活を続け、その状態が長く続くと同じ思いの者同士が集まって集団化し、地上人に働きかけ(憑依現象)悪事を働きます。地上の宗教の間違った教えに洗脳され、それが魂にまで染みついた人は狂信の中で地上と同じ信仰生活を続けることになります。霊的意識が目覚めるまで狂信的な地縛霊として過ごすことになります。しかしいつかは憑依が悪事であることに気づき、心の痛みとともに反省が芽生えます。そこから休憩所で長い眠りに着き霊界人の看護を受けます。そしてやっと「死の自覚」に至ると①の人より長い償いのプロセスを踏み、いずれ幽界へと進むことができるようになります。
③ 生前から霊的知識を知っている人の場合
始めの死の眠りから覚めるとすぐに自分が死んだことに気づきます。すると先に他界した人たちとの再会が叶います。その後は幽界へとスムーズに進むか、あるいは休憩所での短い眠りを経て幽界へ進むことになります。霊的知識を知っている人に魂の混濁は無く、霊界人の手を煩わせることもありません。

このように死の直後にたどるプロセスは一人一人の生前の生き方や霊的知識の有無によって違ってきます。生前に霊的知識を知り摂理にそった生き方をすることが、いかに大切かがわかります。霊的知識があると死後すぐに「死の自覚」が芽生え、次のプロセスへとスムーズに進むことができ、霊界人の手を煩わせることもありません。霊界人はすべて人間への愛から奉仕活動として働いています。

休憩所での眠りを通して地上的雰囲気から隔離し、霊的雰囲気になじませていきます。又この眠りの期間に地上人生を振り返り反省することになります。生前の行いがスクリーンの中に展開し、自分の行いの間違いに対しては反省し、正しかったことには胸をなでおろすことになります。行いの内容によっては恥ずかしさのあまり、いたたまれなくなります。

また眠りの期間中にすべての地上人が、睡眠中に幽体離脱をして幽界で体験したことを思い出します。それは生前から死後の生活のリハーサルをすることで、死後のショックが和らげられるようになっているのです。「死の自覚」は霊的視野(霊的能力)が開けることであり、先に他界した家族や知人の出迎えが見えるようになり、再会の喜びと感激を味わうことになります。そして幽界での新しい生活が始まります。

次回は死後の世界である「幽界」についてお送りします。終わりにシルバーバーチの言葉をお送りいたします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

——呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのでしょうか。
「魂に意識がある場合(霊性が発達している人の場合)は、霊的身体が徐々に肉体から抜け出るのが分かります。すると霊的な目が開き、自分を迎えに来てくれた人たちの姿が見えます。そしてすぐに新しい生活が始まります。魂に意識がない場合は、看護に来てくれた霊の援助によって適当な場所、例えば病院とか休憩所に連れて行かれ、そこで新しい環境に慣れるまで手当てを受けます。」(シルバーバーチ

「あらかじめ霊的知識をたずさえておけば、死後への適応がラクにできるのです。何も知らない人は適応力がつくまでに長期間の睡眠と休息が必要となります。知識があればすんなりと霊界入りして、しかも意識がしっかりとしています。要するに死後の目覚めは暗い部屋から太陽のさんさんと照る戸外へ出た時と似ていると思えばよろしい。光のまぶしさに慣れる必要があるわけです。」(シルバーバーチ

「それも霊的自覚の程度によります。程度が高ければ、それだけ調整期間が短くてすみます。忘れてならないのは、私達の世界は精神的な世界、霊の世界であり、そこでは自覚というものが最優先されるということです。精神が最高の権威をもち、支配しています。精神が指示したことが現実となるのです。」(シルバーバーチ

死について(死生観)の補足

今回は死に関するさまざまな問題を取り上げます。
① 自殺について
生命は神から与えられたもので、自分で勝手に捨て去ることは摂理違反となります。摂理に違反すると因果の法則が働き、それ相応の長い苦しみの中で罪の償いをすることになります。
② 死刑制度について
国家による公認の殺人行為であり摂理違反となります。神の分霊を宿している人間の命は神のものであり、死刑は大罪です。無期懲役にすべきです。死刑にすることで魂は低級界にて憎しみが増幅し、地上の人間に取り付いて(憑依)悪事を働くことになります。
安楽死について
治る見込みのない病人であっても医学的処置で死に至らせることは間違いです。あくまでもシルバーコードが切れて心臓の停止をもって死とすべきです。死の直後に影響します。霊は傷付きませんがショックで霊的目覚めが遅れることになります。
④ 延命治療について
死に至ることが明らかであっても寿命は決まっているので、死期を延ばそうとすることに意味がありません。無理に機械で生き長らえさせるのではなく、自然に死を迎えられる(尊厳死)ようにすることです。
脳死と臓器移植について
死の正しい判定はシルバーコードが切れる瞬間です。脳死状態でも霊的にいろいろな学びをしています。臓器移植自体が間違った医学です。人間にとって死は厳しく苦しい試練を卒業して、次の世界へ進級していくことです。生きる可能性がある限り相当の手当ては必要ですが、手段を尽くした後は医学で無理矢理、命を長らえさせることは間違いです。
⑥ 葬式について
時代によって、地域によって、宗教によって、さまざまな葬送儀礼が存在してきましたが、霊的観点からすればどれも的外れとなります。その多くに宗教が関係していますが、葬送儀礼の実態は人類の霊的無知を反映しております。人間は肉体の死後、霊界でいきいきと生きております。死は自由でありご褒美です。スピリチュアリズムの葬式とは、霊的事実に添った正しい葬式のあり方です。霊的事実に基づいて新しい人生の旅立ちを祝うときであり、この世的葬式の形式は一切不要となります。
⑦ 墓について
墓についても時代によって、地域によって、宗教によって、さまざまな埋葬形式が存在してきましたが、霊的観点からすればその多くが人類の霊的無知を反映しております。スピリチュアリズムの墓とは、この世の形式は一切不要であり、墓はあってもなくてもどちらでもよい…ということになります。

シルバーバーチの言葉を掲載して今回のテーマを終了します。次回は「死の直後」をお送りします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「大霊によって統制されている摂理の働きを妨げる権利を有する者はいません。もしあなたが、摂理に反して自ら命を絶つとするなら、その行為に対する代償を払わなければなりません。例えば、熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、あなたの霊に準備ができていないうちに霊界へ行ったなら、長い調整期間の中でその代償を払わなければなりません。愛する人々とも会えなくなります。自殺によって、あなたと周囲の人々との間に隔たりができてしまうからです。」(シルバーバーチ

——回復の見込みがない患者を安楽死させる権利を医者に与えるべきだ、という意見がありますが、どう思われますか。
「すべての生命は大霊のものだということです。肉体が衰えて霊がその肉体から解放される時がくれば、人間は自然の摂理に従って死を迎えます。(略)安楽死は、準備のできていない霊にショックを与え、影響を及ぼすことになります。それによって不要だったはずの調整を、いろいろとしなければならなくなります。」(シルバーバーチ
——人間には寿命を引き延ばす力が備わっているのでしょうか。
「延命のために努力することは間違っていません。しかし、霊が地上を去る時がくれば、あなた方はそれ以上何もできません。」(シルバーバーチ
——それでは、延命のための努力は無駄に終わるということでしょうか。
「あなたがおっしゃる医学的処置によって寿命を少しばかり引き延ばすことができたとしても、結局みんな死んでいくではありませんか。」(シルバーバーチ
——でも、患者は少しの間であっても生き続けることができます。
「患者が反応すればのことです。酸素を与えるという方法もありますが、それにも限界があります。魂が霊界へ行く準備が整えば、あなた方にはなす術はありません。」(シルバーバーチ

——移植手術についてはいかがでしょうか
「患者自身の身体の一部を他の部分に移植するのであれば、結構なことです。生理的要素も幽質的要素もまったく同一のものだからです。ですが、それを他人に移植するとなると、必ずしも感心しません。(人道上はともかくとして)その移植片そのものが問題を生み出すからです。肉体そのものには生命はなく、霊と呼ばれている目に見えない実在の殻または衣服にすぎないことを理解することが、この問題を解決するカギです。」(シルバーバーチ