新型コロナウイルスによる災禍について

(*スピリチュアリズム普及会ホームページ・インフォメーションより)
元々ウイルスなどの微生物は、人間や動物の体内で生息しており、共に共存・共生関係にあります。ウイルスは‶生態系″維持の陰の主役であり、人間をはじめとするあらゆる生命体が存続するために必要不可欠なパートナーなのです。有益なパートナーを有害な存在に変身させてしまったのは、人間の愚かで間違った行為(人間中心の政治・経済・科学などの営み)です。人間が「自然法則(摂理)」に一致した生き方をし、自然界と調和を保っていたなら、今回のようなウイルス禍は発生しませんでした。しかしこうしたウイルスによるパンデミックの悲劇は、「自然界との調和を取り戻し、微生物との共生関係を修復する作用」であると言えます。新型コロナウイルスは人間の利己的・自己中心的な生き方によって奇形化させられ、‶人類の敵″に仕立てられてしまった被害者なのです。
——シルバーバーチの言葉——
「人間が正しく生きているとき、こうした問題(微生物による病気の発生)は起きないでしょう。人間の生き方は、地上の環境のすべてに反映するのです。人間が生き方を正せば、克服できないような問題は生じなくなります。人間の行為と環境との間には密接な関係があります。」(LIFT UP YOUR HEARTS)

中国という地球人類の醜さを凝縮した国家から有害なウイルスが発生したのには、必然的な霊的理由があったのです。すべての病気は、自然法則に反した不自然で不調和な生き方から発生するものなのです。これが「人間の間違った生き方が、人間に害を及ぼすウイルスを発生させることになった。」というシルバーバーチの言葉の意味なのです。自然界とそこに存在するもののすべてが、「利他性の法則」によって支配されています。それに反した利己的・自己中心的な生き方をすれば、自然界との調和が崩れることになり、それによって自動的に人間に苦しみや痛みがもたらされるようになるのです。人間の利己性が自然界との調和を崩し、自然環境を破壊して‶生態系″という調和システムに悪影響を及ぼすのです。

また人類が肉食に代表される‶動物虐待″という利己的行為をしているかぎり、感染症はなくなりません。今回のウイルス禍が収まっても、必ず時をおいて別の感染症が発生するようになります。人間は、‶自然環境破壊・生態系破壊″の加害者であり、その結果‶自業自得″のツケとして、新型コロナウイルスの災禍に見舞われたのです。この20年の間に人類は、コロナウイルスによって3回も攻撃を受けているのです。そのうちの2回が‶中国発″の流行です。地球上で最も「神の摂理」に反した場所、利己性と強欲さが支配する地球の恥部というべき場所から、人類全体に波及するようになっているのです。

現在ウイルスの合成は医学的目的だけにとどまらず、‶生物兵器″として世界の多くの国家によって極秘裏に研究が進められています。「神の摂理」に最も反した行為であり、悪質であり、エゴの極みというべき行為です。新型生物兵器とワクチンを手にすれば、核兵器に匹敵する強力な軍事力を持つことになり、核兵器を使わずに世界を威圧する力を持つことが可能になるのです。‶モノとカネと軍事力″に訴え、他国を支配しようとする中国は、世界の中でも最たる‶エゴ国家″であり、自己中心的な国家です。新型コロナウイルス災禍が、地球上で最も摂理に反した利己性の強い国家から発生したのには、霊的な意味での必然性があります。

しかし「霊的観点」から見ると、人間が体験する苦しみの多くは、「神の摂理」に反した生き方のツケ(カルマ)として生じています。苦しみは生き方が間違っていることを教えるサインです。間違いを自覚し、改めるようになれば、苦しみには修正作用としての意味があります。これまで世界を支配してきた‶経済至上主義″によって‶弱肉強食″の醜い状況が展開し、‶貧富の格差″が拡大され、なりふり構わない経済活動によって環境破壊が進みました。新型コロナウイルス禍は、‶グローバルリズム″という狂気的な経済至上主義に強制的に急ブレーキをかけることになりましたが、それは見方を変えると「物欲追求に翻弄されてきた人類に‶警告″が発せられた」ことになるのです。

しかし本格的な経済的悲劇は、これからやってきます。新型コロナウイルス禍が収束した後には大規模な経済危機が到来し、世界恐慌や国家破産が現実となり、人々は苦しみのどん底に突き落とされるようになるでしょう。しかし「霊的観点」に立って眺めるなら、物質中心主義・利己主義を霊中心主義・利他主義の生き方に変えるチャンスと言えます。間違った生活を改善して、スピリチュアリズムが目指す「霊的成長至上主義」へと方向転換するチャンスです。地上人生は霊的成長を目的として生き、霊界へ進級するための準備をする場所です。「霊的成長を最優先する生き方」が神の摂理に一致した歩みであり、これが「霊的成長至上主義」です。

新型コロナウイルス禍は、人類が摂理から外れた生き方をしているところから生じた災禍であり、人間自身が招いた悲劇なのです。‶あらゆる出来事を霊的観点に立って眺める″それがスピリチュアリズムの最大の特徴であり、霊界人と同じ立場に立って考え・判断することです。霊的観点に立つことは、霊的真理を手にしたスピリチュアリストだけの特権と言えます。(*以上、詳しくはインフォメーションをご覧ください。)

ウイルスは生命体には悪いものと思っていましたが、‶すべては神が造られた″ことを思うと、ウイルスにもちゃんとした役割があるのだと思っていました。しかし、「ウイルスは‶生態系″維持の陰の主役であり、人間をはじめとするあらゆる生命体が存続するために必要不可欠なパートナーなのです。」、しかもウイルスを‶被害者″と言っていることにびっくりします。核兵器もそうですが、自然界にあるものをどのように使うかで、人間も環境をも破壊する兵器になりうることを考えますと、それを手にした人間の霊性にすべてがかかっていることが分かります。霊的に無知な国の同胞が引き起こした惨事が、世界にパンデミックを引き起こし、感染者数1000万を超え、死者数50万を超えました。更に収束の気配が見えません。それに、医療もライフラインも整わず、戦争に飢餓にコロナ感染という三重苦の途上国のあまりの惨状を思うと、同胞であっても一党独裁政治の中国の悪質な企みに憎しみが湧いてきます。本格的な経済的悲劇はコロナ感染収束後にやってくるとのこと。生まれてこの方、経験したことのない事態が起ころうとしています。霊的真理普及とそれにそった生き方が、どれほど大事で急がれるかが身に沁みます。しかし、すべてはスピリチュアリズムの最終目的に向かう一過性の出来事です。どんな時でも霊的観点に立ち、冷静な行動が取れるよう自分を律していくのがスピリチュアリストなのだと思い、心が引き締まる思いです。

*これらの引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

 

地上は永遠の進化向上の出発点

地上人生を歩む上で、誰もが何らかの困難・苦難に出会い、時にはそこから逃れたいため‶死にたい″とさえ思うことがあります。実は、地上人生は苦難の体験を通して霊的覚醒に至り、霊的成長の基礎作りをするために生まれてきたのが本当の目的です。現在、身体的・精神的に大変な苦痛の最中にある人は、霊的覚醒のチャンスに至っているのかもしれません。至らなくても、少なくとも重要な実りの一環を体験していることに違いありません。

霊的覚醒にはそれなりの苦痛体験ではたどり着けません。命にかかわるほどの重く危険な苦しみを乗り越えて、初めて手にできるものです。あるいは前世にそこまでの経験に達し、今世すでに霊的成長に向かってスタートしている人もいます。霊的に目覚めた人は、地位・名誉・財力・権力とは無縁に「霊的宝」を手にすることになります。そして人間は、物質的存在だけではなく霊的存在であるという、霊的最奥の秘密を知ることになります。その人はシルバーバーチの言葉を読んで、自分の過酷な人生と兼ね合わせて、魂が震えるほどの感動を覚えることと思います。

——シルバーバーチの言葉——
「人生の出来事——時には辛く絶望的であり、時には苦しく悲劇的であったりしますが——その一つひとつが、これからたどり行く道に備えて、魂を鍛える役割を果たしているのです。困難・障害・不利な条件——これらは魂の試練なのです。それらを克服していくことによって魂がいっそう充実し、向上し、一段と強くそして純粋になってまいります。」(道しるべ)
「地上のいかなる体験も、それに正しく対処し正しく理解すれば、必ずや人間にとってプラスになるものを有しております。いったい何の困難も、何の試練も、何のトラブルも、何の苦痛も、何の悩みもない世界が想像できるでしょうか。そこにはもはや進化向上の可能性がないことになります。克服すべきものが何もないことになります。ただ朽ち果てるのみです。」(道しるべ)

スピリチュアリズムにたどり着いた人は、厳しい試練を果敢に乗り越えてきた人です。「霊的覚醒」に至ったことがそのことを証明しています。その人は、これまでの体験を無益ではなく、有益な試練の人生を歩まれてきたのです。良かったことも失敗したことの全て、スピリチュアリズムに出会うために必要な体験でした。自分を見直し人格形成するために必要な試練だったのです。そして事実、これまでの試練を人格形成の基礎作りにしてきました。すべての経験から学ぶことで、これまでの人生は無駄ではなかったのです。

その当時は辛くて苦しくて痛くて・・・そういう人生を恨んで涙にくれたかも知れません。ですが、その経験があったからこそ霊訓に出会い、確信を得、学びと実践によって霊界に認められる存在になれるのです。その意味でその人のこれまでの地上人生は成功でした。これからは永遠の霊的進化向上の道へと導かれます。そして「霊的真理」という手引書を手に、さらなる厳しい学びと実践の努力で、霊的成長を重ねていきます。魂に輝きを増すための旅路であり、理想とする「神」に向かっての、永遠の霊的進化向上の旅路です。それは自分で自分を救うという克己の努力による、自力救済の旅路でもあります。

しかし、決して孤独な寂しい一人旅ではありません。私たちには、地上に生まれる前から深くて純粋な愛で守り導いてくれる守護霊が付き添ってくれています。目には見えなくても摂理の範囲内で、励ましと勇気と援助を与えてくれています。また霊界では、霊的成長をなした私たちを心待ちにしている類魂がおります。肉親よりも親和性の強い仲間たちです。厳しい地上人生を終えた後は、利他愛の充満する美しい霊界へ進級します。自分のためだけの地上人生でないことを心して、一緒に価値ある人生を歩んでまいりましょう。

霊的成長のための必須項目には「霊主肉従の努力」「利他愛の実践(周りの人たちへの利他愛)」「利他愛の実践(真理の伝道)」「苦難の甘受」があります。
*詳しくはニューズレター42号・43号と、思想Ⅲ実践項目1・2・3・4をご覧ください。

——シルバーバーチの言葉——
「人間は、自己との闘いを通して自らの不完全さを克服し、神性の開発が可能になるのです。」(教え上)
「地上の人間は一人の例外もなく、自分の努力で人格を形成し、自分の努力で霊的進化を達成するために地上界へ来ているのです。」(教え上)
「人間は霊的に成長することを目的として地上に生まれてくるのです。成長、また成長と、どこまでも成長の連続です。それは地上だけでなく、こちらへ来てからも同じです。」(教え下)
「他方において忘れてならないのは、人間は無限の可能性を秘めていること、人生は常に暗黒から光明へ、下層から上層へ、弱小から強大へ向けての闘争であり、進化の道程を絶え間なく向上していくものであるということです。闘争もなく困難もなければ、霊にとって征服すべきものが何もないことになります。
人間には神の無限の属性が宿されてはいますが、それが発揮されるのは、努力による開発を通してしかありません。その開発の過程は黄金の採取と同じです。粉砕し、精錬し、磨き上げなければなりません。地上にも、いつかは邪悪の要素が大幅に取り除かれる時が来るでしょう。しかし、改善の可能性が無くなる段階は決して来ません。なぜなら、人間は内的神性を自覚すればするほど、昨日の水準では満足できなくなり、明日の水準を一段高いところにセットするようになるものだからです。」(スピリチュアルメッセージ)

*これらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

スピリチュアリズムの実践の真髄‶道具意識″

(*ニューズレター4号の学習内容です。)
道具として最も重要な資質が「道具意識」です。霊的な高さを示すものは、愛の深さと同時に謙虚さであり、魂の成長と謙虚さは比例します。高級霊は、自分は神とより高い世界の僕であり、それに仕える道具であり、マウスピースであると断言しています。地上人の救いのために働けるだけで十分であるとし、そこには個人主義や自己主張のひとかけらも存在しません。私達はすでに、最高の真理と最高の貢献をなし得る立場を与えられており、霊的世界における最も強力で純粋な軍団の仲間入りをしたのです。ゆえに当然のこととして、それに見合った人格的努力と実際の貢献が期待されています。高級霊のようにはできなくとも、具体的な見本として近づく努力が必要です。その際何よりも見習うべきは、高級霊の‶道具意識″であり、‶謙虚さ″なのです。

霊的真理の実践を通じて、私達は地上で魂を成長させることができるようになります。‶霊主肉従の努力″‶苦難の甘受″‶利他愛の実践″さらに、瞑想・祈りの実践を通して「自己の魂の成長」と「霊的真理の普及」という人生目的を達成することができます。ところがこれらは、「道具意識に徹すること」によって全て成し遂げられるのです。すなわちスピリチュアリズムの実践努力は、純粋な霊界の道具を目指す中に集約されるのです。「この世の利益も、名声も、評価も何も求めません。自分は道具として、ただ与えるだけに徹します。高級霊と同じように働けるだけで、役に立てるだけでうれしいのです。それだけで十分なのです。」ということになります。

道具意識に徹すれば、暗い考え方をする必要はなくなり、今日一日の心のもち方が、道具として正しかったかどうかを振り返るだけでよいのです。また私達は、他人の事について責任を感じたり、悩んだりする必要はありません。人間は自分のことだけに責任をもつというのが宇宙の法則なのです。魂の成長については、たとえ自分の子供であっても、魂の成長のすべてに責任をもつことはできないのです。高級霊の道具として働いているなら、他人の反応、他人の不道徳に心を痛める必要はありません。私達のなすべきことは、道具としてただ与えることだけです。それで全てなのです。それ以上のものは、高級霊から要求されていません。

道具としての意識は「自分を最大限に用いてください」と祈る純粋さと一途さが、何より大切です。伝道はその大半が霊界によって進められて行きます。高級霊の援助を得られるようになるなら、自分一人の能力に頼った伝道の、何十倍・何百倍もの結果が出るようになるのです。高級霊を信頼し、委ね、可能なかぎり精一杯やるだけでよいのです。自分の心に「純粋な道具意識を確立する」ことが、結果的に自分の心を高めることになり、同時に最高の貢献をすることになります。「自分の魂の成長・救いと、人々への救済が一致し同時進行して行く」のです。自分の成長と貢献が最高次元で一致し得るのは、委ねる相手が高級霊であるスピリチュアリズムだからこそなのです。
*詳しくはニューズレター4号をご覧ください

地上人生を道具としてスピリチュアリズムに捧げることは、人間として最高に価値ある人生を歩むことになります。スピリチュアリストはスピリチュアリズムとは無縁の人よりも、もっと厳しい自分との闘いの人生となり、予想以上の苦しい試練の人生であり、尽きることのない学びの人生となります。高い霊性を求めるのに楽で安穏な生活などあり得るはずはありません。しかし地上人生を終えたあとの霊界では、きっと魂に輝きが添えられていることに喜び、安堵されることと思います。百年にも満たない地上人生を、永遠の霊性進化向上の基礎を築くために、無駄に過ごしてはならないとの決意をしています。

——シルバーバーチの言葉——
「わたしの世界には大霊の使者の大軍が控え、いつでも地上世界のために手助けをする用意を整え、あなたのような‶道具″が‶私はいつでも用意ができております。どうぞお使いください″と言ってくださるのをお待ちしている事実を、この目で見て知っているのです。」(シルバーバーチ
「案ずることはありません。あなた方は自分なりの最善を尽くせばよいのです。もうこれ以上はできないというところまで努力したら、それ以上はムキにならず、あとは私達に任せる気持ちにおなりなさい。人間は自分にできるかぎりの努力をしていればよいのです。それ以上のことは要求しません。」(シルバーバーチ
「私達はあくまでも謙虚に献身してくれる道具が欲しいのです。何度も申し上げていることをここで改めて申し上げますが、献身こそ霊の正貨です。大義のために献身することこそ気高いのです。」(シルバーバーチ
「わたしたちは大霊の使いにすぎません。ですから、賞賛も栄光も祈りも感謝も、わたしたちが戴くわけにはまいりません。あなたもわたしも、一つの大きな目的のための道具であり、その目的をより容易に、より立派に、そして人をより幸せにするために、お互いの役割を果たそうと努力しているところであることを忘れないように致しましょう。」(シルバーバーチ

スピリチュアリズム普及会ホームページ思想Ⅲの‶より高次の霊的人生を歩むための秘訣——道具意識″も合わせて参照ください。
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

霊性進化の低い惑星地球

*ニューズレター13号の学習内容です。

シルバーバーチは「人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれてきます。成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です」と述べています。この成長の歩みは地上人生ばかりでなく、霊界においては永遠に進化向上の歩みを続けることになります。なぜ人類がどこまでもおしまいのない進化する存在として造られたのかは、シルバーバーチ自身も分からないと述べています。また地球は全宇宙に数え切れないほど存在する惑星の中で、霊的進化のレベルにおいて下から二番目の低さであると言います。シルバーバーチやインペレーターという最高レベルの高級霊が同様の内容を述べているところから判断して事実だろうと思われます。(太陽系の中で地球より劣る惑星は火星だけです)

地球上に蔓延する戦争・飢餓・動物虐待・環境破壊はまさに地獄さながらの様を呈しています。地球人はその霊性の低さゆえにそれに見合った不完全で進化のレベルが低い地球に生を享けたのかも知れません。地球という惑星は「霊の光」の届かない、「物質中心主義・利己主義」の支配する暗黒の世界です。人類の霊性における根本的な変革が必要です。「霊中心主義・利他主義」の確立には、スピリチュアリズムの「霊的真理」の活用による「霊性革命」以外にありません。それが唯一の方法・最終手段なのです。

スピリチュアリズムの到来によって地球は初めて本格的な霊性進化の道を歩み出すことができるようになりました。多くの霊感者・予言者によって言われてきた「古い世界が滅び、新しい世界が到来する」「イエスの再臨によって新しい世界がもたらされる」といった言葉の真意は、スピリチュアリズムが地球上に普及することによって、地球全体が霊主肉従の状態に進化するということなのです。5千年先・1万年先の地球上に存在するものは霊的真理にそった生き方・霊的進化という不変の歩みだけです。地球上において唯一、永遠性・永続性のあるものは「神の摂理」と「霊的真理」だけなのです。

現在の大半の地上人にとって「霊的真理」が圧力と感じられるのは、地球全体が「霊中心主義・利他主義」が当然とする環境になっていないからです。誰もが認める殺し合いという野蛮で最悪の行為さえやめられないのが地球の現実なのです。地球より霊性の高い惑星は、「霊中心主義・利他主義」が当たり前であるため「霊の光」が行き届いた明るい世界となっています。真っ先にスピリチュアリズムに出会った私達スピリチュアリストは、惑星地球にあっては暗黒の世界を照らす‶灯台″のような存在ですが、十分な「光」を放つにはまだまだ力が乏しいことも事実です。周りはいまだ深い闇に包まれているために、その光が地球全土を照らすには、さらに多くの時間が必要とされます。私達は今この時代に地上世界にあってスピリチュアリズムという「霊的光」をさらに広めるための使命が与えられているのです。時代を切り開く者としての貴い犠牲が私達に期待されているのです。

しかし高級霊は極めて霊性の低い地上人に、高い理想を説いても実行できないことを知っています。その上であえて高いハードルを示しているのは、地上人に「可能な限り成長してほしい」という親心のような深い愛情があるからです。「霊的真理」を指針とし、常に高い目標に向かって努力することが必要です。私達スピリチュアリストは「霊的真理」を手にしたことによって、特別な「霊的視野」を持つことが可能となり、霊的成長への道を正しく歩むことができ、ひいては霊界の道具としての使命を果たすため、霊界からの援助を得ることができるのです。

真剣になればなるほど、スピリチュアリズムの道を実践すればするほど、内面の闘いに疲れ果て、自分の弱さ・足りなさを強く自覚するようになります。何度も失敗を繰り返すことになっても、闘って負ける者は闘いを避けて逃げる者より、はるかに崇高な霊的人生を歩んでいるのです。このように私達の現実の歩みは聖と俗との間を揺れ動きながら進んでいくものです。私達に求められているのは失敗しないことではなく、失敗から学びそれを糧とし、一歩また一歩と上昇していくことです。より高い目標に向かって努力を始めようと決心することが重要なのです。

一人一人の霊的人生が拡大することで、地球の霊性は向上していきます。シルバーバーチは「あなた方のような道具がなくては私たちも何もなし得ないのです」と言っています。地球の霊性向上のためにはスピリチュアリストの働きが絶対必要ということです。今地上ではコロナウイルス感染が爆発的拡散を続け、人類の存続が脅かされています。この危機的状況にあたりスピリチュアリストは、霊的成長とともにウイルスを寄せ付けないよう、肉体の質向上の努力(ホリスティック健康学、スピリチュアル・ヒーリングの健康観を参照)も必要と思います。自分自身の霊的未熟性を痛感する私には、コロナ感染予防と自粛要請にも協力して難局を乗り越え、道具としての役割を果たすことが霊界から求められていると思っています。死後、後悔しないように道具として価値ある人生を歩んで参りたいと思います。

——シルバーバーチの言葉——
「完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活で目指すべき最高の理想なのです。」(霊訓 5)
「私たちも、どうせ今すぐには実現できないと知りつつ、理想を説いております。もしも私たちが努力目標としての理想を説かずにいたら、与えられた使命を全うしていないことになります。目標の水準は高めないといけません。低くしてはいけないのです。」(愛の摂理)
「過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯し、それから学ぶために地上へやって来たようなものなのです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。今、人のためになることをするのです。」(霊訓 9)
 

*詳しくはニューズレター13号をご覧ください
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

肉食について

古来日本はコメを主食とし、魚介類と野菜といった神の意図された質素で健康的な食事をしてきました。それが戦後GHQの来日によって日本の食生活が大きく変わりました。今では肉食が当たり前であり、経済成長とともに贅沢三昧の食事をし、食べ残しを捨てるという悪態にまで至っています。特に霜降りの牛肉は高級であり、各地がブランド肉にこだわり宣伝することで、高値で売られています。先進国ほどブランド肉に食費をかけ、贅沢三昧の結果、肥満で苦しむという皮肉な結果になっています。その一方で毎日の食事にもありつけず、骨と皮だけになって飢え死にしていく多くの子供たちがいます。

先進諸国の人々が肉食をするためには、多くの家畜の餌を生産しなければなりません。それには人間の食べる穀物の10~20倍もの餌が必要とされます。貧しい国の人々は、先進諸国の人々の肉食を支えるために家畜の餌を生産します。その穀物は自分たちが丹精込めて作ったにも関わらず、自分の口には入らず、地主によって先進国に輸出されます。先進諸国の人々の口に入れる家畜の餌にするために・・・です。人間が肉食を止め、その分の穀物を貧しい国に回せば、地球上の飢えの問題はいっきに解決すると言われています。

‶人間は万物の霊長″と勝手に間違った優越感を抱き、平気で生命ある動物を殺しています。殺される家畜は人間と同じく‶痛みも苦しみも感じている″のです。賭殺場に運ばれる家畜は自分が殺されることを知って怯えているのです。狂牛病鳥インフルエンザや豚コレラ口蹄疫等の伝染病・感染症の被害者は家畜業者でも消費者でもなく、家畜自身なのです。それによって損害を被る業者は、生命ある動物を殺したという摂理に背いたことの、当然の報いということになります。

人間は地球上で唯一、永遠の霊的個性が与えられ、他の創造物よりも進化しています。その事実は、人間はそれ以下の進化の低い生き物を愛し、援助し、霊的進化に貢献するという使命があることになります。進化の上位にある人間が先に動物を愛することで、人間の子供がそうであるように動物も人間に愛を返してくれます。こうして地上に愛の世界が拡大していきます。神によって造られた動物を人間に殺す権利はありません。動物に対する残虐さや肉食習慣は、地球人類の霊性のレベルの低さを表しています。

シルバーバーチは「肉食はアルコールやタバコと同様、人体の質を低下させる」と言っています。地上では、霊は肉体を通じて自我を表現しています。肉体の質が高ければ高いほど、当然‶霊″の表現も大きくなります。永遠の生命を持ち進化し続ける人間は、地上にいるうちは肉体の質も重要な意味を持っていることになります。肉体の質が向上すれば多くの病気はおのずと減少していきます。神は人間を本質的に‶ベジタリアン″として造られています。

私はかつてパグ犬を飼っていました。家族同然で可愛らしく、よくなついて、私の心労を癒し孤独から救ってくれました。愛犬家・愛猫家はどなたも動物を家族と思って共に暮らし、ペットが病気になれば心底心配し病院に連れて行きます。そういう環境で育った動物は野生の動物よりも霊的に成長しています。その証拠にペットは主人である人間の危機を救ったり、他人に助けを求めたり……というニュースをよく見かけます。ペットは人間の愛によって霊的進化向上を助けられているのです。家畜もペットと同じく人間の愛によって進化するように造られています。肉食がなければ人工的に家畜の数を増やす必要もありません。その分の穀物で貧しい国の人々が飢えることもなくなるのです。

人間の常識・地上の宗教では地球上の悪幣が無くならないのは現状を見れば分かります。物質中心のこの世では物・お金・権力・地位がものをいいます。当然それらの奪い合いにより戦争・飢餓が生じ一部の金持ちと、多くの貧困者の格差が大きくなります。人間はもはや神の摂理にそって生きる方法しか残されていません。その最良の見本が霊界です。霊界はお互いがお互いのために奉仕し合う美しい世界です。それが霊界通信によって地上に降ろされた「シルバーバーチの霊訓」によって知ることができます。正しい霊的真理・霊的知識を学び、それにそった正しい生活によってでしか本当の幸福は得られないのです。

今地上は‶新型コロナウイルス″が拡散し、パンデミックを引き起こそうとしています。原因は中国武漢市場に売られているコウモリであるとか、武漢近くの生物化学兵器研究所からウイルスが漏れたとか、情報が錯そうしています。いずれにしても、霊的無知から生じる人間の思念・言動が招いた結果と思われます。人類は霊長類と自負するなら、いい加減肉食を止め、動植物を含めた地上の平和を希求するべきと思います。コロナ感染もいずれ収束を迎えると思いますが、一日も早く「霊的真理」が人類の常識となることを望んで止みません。

——シルバーバーチの言葉——
「理想をいうならば、霊媒(*スピリチュアリストは、みな神の霊媒です)は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます。」(霊性進化の道しるべ)
「人間は動物を食するために地上に置かれているのではありません。(人間の)身体的構造を見てもそれが分かります。全体としてみて、人間は肉食動物ではありません。」(新たなる啓示)
「動物を殺して食べるということに罪の意識を覚える段階まで魂が進化した人間であれば、いけないことと知りつつやることは何事であれ許されないことですから、やはりそれなりの報いを受けます。その段階まで進化しておらず、いけないとも何とも感じない人は、別に罰は受けません。知識には必ず代償が伴います。責任という代償です。」(語る 230~231)

*なおこれらの引用についてはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

 

追記

——赤ちゃんさんからの‶鶏肉はどうなのでしょう?″というご質問に対して——

基本的に生命は全て神が造られた以上、神のものです。人間に動物を創造できません。ですが、人間は物質世界に生まれた以上、物質で栄養を摂取して生きていく宿命があります。そこで、殺して食する動植物に対して、動植物の霊性の程度で食するものを決めるしかありません。人間に飼われ生活を共にした動物は、愛情を注がれることにより、霊性が向上することになります。ペットの犬や猫は、人間の心を癒したり、時には人間の命を救うといったことをします。それが霊性の向上を意味します。一般に霊性の高い動物を順に並べると、犬・猫・牛・豚・鶏・小鳥や魚・・・となります。あくまで人間に飼われて愛情を注がれ、自らに愛情の芽生えが生じた動物に限ります。野生の動物は人間の愛情を知らないため、人間を恐れ牙をむき襲ってきます。霊性の芽生えた動物とは、性格が穏やかで愛情には愛情で返すようになった動物のことです。そのため、犬・猫が人間のペットとして多く家族同然として生きたため、霊性が高くなりやすいということです。ちなみに私は鶏肉も野生動物も食べません。魚肉は有難くいただきます。いずれにしても魚でも植物でも生命を食することになりますので、感謝の思いでいただくのが神へのマナーでありベストと思います。また命を捧げてくれた動物への感謝も大事と思います。   ご質問ありがとうございました。

 

赤ちゃんさんへ

鶏は哺乳類ではありませんが、生命あるものは全て万物創造者である神のものです。霊性の上下に関係なくです。しかし人間は物質世界で生きる以上、物質世界にあるものを食して生命を維持するしかありません。野菜を多くし魚を少しいただくのが理想的と思います。抗生物質やストレスを与えられた動物を食するのは、人間にとって健康が心配ですし、動物そのものに苦痛を与えることになります。いずれにしても鶏でもスッポンでもなるべく食べないように心掛けるのがよいと思います。でもこの世で全ての肉を拒絶することは無理と思います。鍋にした時に出る肉のエキスや、餃子に入っているひき肉などは、感謝でいただくしかないと思います。家族と同居の場合はある程度の肉食は仕方ない時があります。バターや乳製品を食べても動物に苦痛はありませんので、人間の健康を考えて量は控えた方がよいと思います。食された動物が死後成仏できないということはないと思います。動物の霊はその種の類魂に戻るだけです。摂理に反するのは人間の考えと行為です。その知識を知っていながら反すれば、摂理違反の度合いも大きくなります。野生の動物は生命の維持と、種の繁殖という動物本能で獲物を食べますので、それ以上の捕獲はしません。地上世界で霊的に上なのが人間です。霊性の優れた人間は、霊性の低い動物を愛し導くのが使命です。シルバーバーチは今世の人間にすべての肉食を禁じるのは無理なのをご存知です。その上でせめて、知性の優れた哺乳類の食を禁じたのです。後は食する人間の霊性による判断で決めることです。‶ホリスティック健康学・栄養学″‶ホリスティック健康医学入門・ホリスティック健康学入門”(ホリスティック医学・健康学研究所出版)をご参照いただけたらありがたいです。また‶スピリチュアリズム普及会″‶東京スピリチュアリズムサークル″にご質問されたらご納得いただけると思います。以上がこれまで学んできたことをお伝えしました。説明が不十分であれば申し訳ありません。

守護霊との二人三脚の歩み

守護霊とはどのような存在で、何の目的で個人を守り導くのでしょう。物質の世界では見えず聞こえない守護霊を、人間はどのように認識できるのでしょう。地上で生きる人間は試練の大きさにうんざりし、孤独の中で生きています。次元の違う世界で生きる人間と守護霊との強い絆は、どのようにして築けばいいのでしょう。地上の人間は守護霊の援助で、スピリチュアリズムに「霊界の道具」として大きな貢献をなすことができるのでしょうか。

実は私と「守護霊」は、一対一の個人レベルにおける関係を持っています。誰もが地上に生まれてから今日に至るまで、ずっと一人の「守護霊」によって守り導かれてきました。そして私達が地上人生を終えるまでその関係はずっと続くことになります。守護霊は私達の性格・気質・前世の姿・霊的な因縁、さらには今後の人生行路から寿命に至るまで、当人に関するありとあらゆることを知り尽くしています。地上人生における隠れた行為についても一部始終知り尽くし、その上で私達の魂の成長にとって最も適切な導きをしてくれる、まさに完璧な教師的存在です。(人生の目的によっては背後霊の援助も受けることになります)

守護霊は私達の再生人生の、選択した試練の内容にも熟知しています。そしてその内容に基づき、私達がカルマを清算して霊的に成長していくための必要な状況をつくり出します。魂の成長をなすにふさわしい困難や厳しい道を用意するのです。その一方で私達がその困難を乗り越え成長できるように陰から応援し、私達の願いと祈りに耳を傾け、霊的摂理の範囲内で可能なかぎりの応援をしてくれるのです。又、睡眠中には、あの世のいろいろな所に連れ出し、さまざまな体験をさせ、死を迎えた時には真っ先に迎えに来て、新しい人生の手引きをしてくれる、「生涯の個人教師」「専属の霊的教師」なのです。

誰もが、そうした守護霊の愛と導きを得て個の地上人生を送っています。一片のエゴも含まない純粋な利他愛で包んでくれている存在を実感できるなら、今までの孤独感は消し飛んでしまうでしょう。守護霊の霊界からの働きかけ・指導は、すべて霊的摂理にそって進められていきます。しかし人間には‶自由意志″が与えられており、どこまでも地上人自身が自分の判断に基づいて行動します。その結果として魂を成長させることができるように導いていくのが守護霊の愛です。何の見返りも求めず、一方的に利他愛を与え続けるという、まさに労多く報われることの少ない奉仕を、この私一人のために継続してきてくれました。

守護霊の多くは、地上へ再生する霊の「類魂の一員」から選ばれます。魂の成長度が同じで、霊的な親和性によって結ばれている霊的兄弟の一人が「守護霊」となります。一方、霊的成長レベルの未熟さゆえに、幽界から直接、カルマの摂理・働きによって自動的に地上へ再生するケースも存在します。その際、守護霊となるのは、その再生する霊の霊的レベルに見合った低い霊です。(「類魂」ではなく、地上時代の血縁・先祖がなることが多い)一般的なケースは、類魂の中から一人の霊が中心霊から任命され、その役目を通じて守護霊自身も悪いカルマを清算し、同時に魂の成長をなす道を歩むことになります。守護霊の場合、再生とは違った形で「魂の成長」と「罪の清算」を果たすことができるのです。

同じ類魂の仲間であっても、地上人と守護霊では霊的視野・霊的真理の理解度、そして霊的純粋さにおいて、大人と赤ちゃんほどの違いが生じることになります。守護霊の実情を知り、その働きかけと導きを正しく受け止めるようになれば、守護霊と地上人の関係は、ずっと強固で緊密なものになり、霊界と地上をつなぐ霊的エネルギーのパイプは強く太くなり、守護霊からの導きや影響力をもっとストレートに得られるようになります。守護霊の導きを無にするのは、すべて地上人サイドの問題なのです。

そのために私達がなすべき努力目標は——守護霊が常に自分の背後に付き添い、愛し導いてくれていることを知ること。瞑想・祈りを通して受容的姿勢をとること。分からないことは守護霊に尋ねることで、インスピレーションで答えを得られること。守護霊のこれまでの守護と導きに感謝すること。——です。そして何よりも大切なことは、日々、霊的真理にそう努力をすることです。つまり心身を清らかに保ち、「良き霊界の道具」となれるよう努め、少しでも自分の人生を「霊的真理普及」のために捧げようとすることです。人間の力で及ばないことは、守護霊の援助で何倍もの力を得、スピリチュアリズムに貢献できるのです。そのおかげで私たちは、この地上人生を価値あるものにすることができます。

*守護霊の身元にこだわる行為は幼稚で愚かなことです。そのような程度の悪い好奇心に合わせて軽々しく守護霊の身元を教えるような霊は、全て低級霊のからかいです。

——シルバーバーチの言葉——
「母胎内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。」(霊訓 1)
「私も、人間が苦しむのを見て涙を流したことが何度かあります。でも、ここは絶対に手出しをしてはならない、と自分に言い聞かせました。それが摂理だからです。その時の辛さは、苦しんでいる本人よりも辛いものです。しかし、本人みずからの力で解決すべき問題を、私が代わって解決してあげることは許されないのです。」(霊訓 4)
「必ず任命によって行われます。こちらの世界にはこちらなりの法則があり、それは地上よりはるかに厳格です。守護霊と人間との関係がうまくいくのは、当初において霊の資質のすべてが知れているからです。学校と同じです。学校長はあずかった生徒の潜在的資質を知りつくし、教師の才能を知りつくせば、どの生徒はどの教師のクラスが適切であるかが適確に判断できます。」(霊性進化の道しるべ)
「各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚がなければ、無意識の心霊能力をもち合わせていないかぎり守護霊は働きかけることはできません。霊の地上への働きかけは、それに必要な条件を人間の方が用意するしかしないかに掛かっています。」(霊訓 2)
「両者の関係がどこまで親密になるかは、地上の人間の霊的成長しだいで決まることです。」(霊的新時代の到来)

*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。

幽体離脱体験

皆様、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今回のテーマは幽体離脱について掲載致します。これまでの宗教を捨て、真実探求のきっかけになった出来事です。

今から15年前の2月のことです。北国は12月から雪が降り積もり、晴れては雪の表面だけを溶かし、溶かしては降り……を繰り返し、それまでの積雪が氷のように固く締め付けられた極寒の最中の深夜のことです。私は初めて幽体離脱を体験しました。広大なパノラマの雪景色を見ているような感じでした。しかしすぐに気づきました。私は雪山の上空を飛行していたのです。雪に閉ざされた深い渓谷を眺め下しながら……暑くもなく寒くもなく心地よい飛行でした。

気が付くと緑の丘に囲まれた平地に立っていました。すると丘のあちらこちらから人が湧くように現れ、私の周りに集まりました。老若男女のその数50以上と思われます。その時私は「あぁ、私にはこんなに仲間がいたんだ」と喜びに満たされました。そして瞬時に場所が変わり、そこは何もない所で白い幕の前に立たされていました。幕は天高くから垂れ下がっているかのように感じました。影に誰かの気配を感じていると幕は一瞬にして消え、目前に若い男性が一人現れました。私はなぜか不覚にも、いきなりその男性に「戻りたくない‼」と言って縋り付こうとしたのです。途端に私は別の場所に移動されてしまいました。

次に立たされたのはきれいな緑の草木が茂る場所で、一本の木には4~5個の白い花が咲いていました。私は‶梅の花だ″と思いましたが、なぜ花が少ないのだろうとも思いました。そしてまた瞬時に移動され、そこは白い空間で、まるで雲の中にいるような感じがしました。近くに誰かがいる気配を感じましたが見えません。その場所でしばらく何かに腰掛けたり立ったりしながら一人待たされていました。長く待たされるなか、私は何かの審査を受けていて、その結果を待っているような気がしていました。そしてやっと結果が出たようで、私は‶合格した″と直感し歓喜したのでした。そして愛犬の吠える声で現実の世界に引き戻されました。とても清々しい目覚めでした。

<解説>
その後その夢のような、しかしハッキリ細部まで記憶している不思議な出来事の意味を考えました。幽体離脱で幽界を訪れたことは間もなく分かりましたが、そこで出会った人たちや梅の花や、最後に試験に合格したことの意味は想像の域を出ません。それからは、以前から気がかりになっていた「シルバーバーチの霊訓」を読み始め、さらに関連書を読み漁ることによって、幽体離脱で訪れた霊界での出来事の意味を知ることになりました。また内容については、歪な表現になっているところもありますが、真実のままにします。

霊界で会える人たちは、私と深い関係のある人だけです。それが分かると、緑の丘で私を囲んだ多くの人たちは私の類魂たちということになります。私は類魂たちの願いを背負って地上に誕生しました。苦難の人生を通して精一杯の霊的成長をして、多くの体験を類魂に持ち帰ることが目的です。地上で私は人間関係に辟易し、病気続きで身も心も疲れ果て、やっと生きている状態でした。そして家族に囲まれながらも、孤独という恐怖のただ中にいました。類魂たちはそんな私に‶一人ぽっちじゃないこと、仲間がいて常に応援を受けていること″を教えてくれたのだと思います。類魂とは、地上の家族よりも霊的親和性が深く、自分と共に霊的成長を続けていく仲間のことです。

若い男性との対面は、深い縁を考えますと私が流産した私の子供以外に考えられません。「ベールの彼方の生活」(オーエン著)の中で、受胎しながら誕生できなかった子供たちが、霊界人のお世話によって成長していく姿を描写しているところがありました。また私は若い男性との対面の時、冷静でいられたなら会話が出来、いろいろ聞けただろうとの思いで悔やまれてなりません。次の場所で、梅の木に4~5個の花しか咲いていなかったことの不思議は……私の霊的知識はほとんど無知に等しく、これから花が一つ一つ増やす如く知識を蓄え、いつか満開にするようにとの霊界の願いを表しているように思います。

最後に私は何に合格したのか?私の人生は酷いものでした。しかし地上人生の目的は、多くの試練を乗り越えることで霊的成長します。実はその酷い人生体験が幸いして、やっと霊的真理を手にすることができる時期に達したのだと思います。‶やっと学べるスタートラインに立てた、やっとそこに至る資格を得た″ことの‶合格″だったのだと思い至りました。私を幽界探訪に導いて、ずっと付き添ってくれたのは守護霊であることが分かりました。又霊界にて移動する時、いつも瞬時に行われていることは、霊訓の内容と一致しています。病気や苦難で体力が弱ると一時的に霊力が表面に出てきて、その結果幽体離脱体験に繋がることがあります。死んで霊界へ行ったら全てがもっと明らかに分かることになります。それが今から楽しみです。

幽体離脱体験は、昨日のことのように今でも細部にわたって覚えています。霊体験は自分の内で起こるもので、客観性がありませんので他人様には理解されません。が、私自身にとっては、霊界実在の確証を得るには十分すぎるほどの出来事です。この霊体験には少しの作り話も混入していません。が、信用できないという多くの人がいることを承知で書いています。しかし霊体験がなくても、霊的なことを信じられる人もまた、事実おります。霊体験や霊能力があることと、霊性の高低差には何ら関係ありません。(私は霊能力者ではありません)私がこの霊体験を書いたのは、‶霊的なことが信じられないのは、霊体験がないから知らないだけであって、知らないからといって霊界が存在しないことにはならない″ということを知っていただきたかったからです。

シルバーバーチは驚いたことに、「人間は誰もが毎晩のように霊だけが霊界を訪れ、さまざまな体験を繰り返している」と言っています。記憶がなくても誰もが幽体離脱をしているのです。その目的は死後に、見知らぬ環境に混乱しないようにとの霊界側の配慮があります。また、さまざまな娯楽施設を巡ったり、学びのため訪れます。あるいは霊界での仕事をするために訪れる人もいます。死後はそのすべてを思い出します。地上人生も死後の霊界人生も、目的は人間の「霊的成長」です。霊的成長は、正しい霊的真理・霊的知識に基づいて正しい生き方をすることでしか成立しません。霊的真理・霊的知識を受け入れられないうちは、霊的成長のスタートラインに立てないことになります。この体験が誰かの霊的覚醒のきっかけになれたら幸いに思います。私はやっと霊的成長のスタートラインに立ったばかりです。皆様と共に本当の幸福へ向かって歩んで参りたいと思います。

——シルバーバーチの言葉——
「実は、すべての人間が睡眠中に霊界を訪れています。これは霊的身体を死後の環境に適応しやすくするための大霊の配慮の一つなのです。その体験は、いよいよ肉体との縁が切れたときにショックを和らげてくれます。そして地上時代に霊界を訪れたときの記憶が徐々に蘇り、新しい環境への適応が促進されるようになるのです。それはちょうど地上生活の中で、子供の頃の体験を思い出すようなものです。」(教え上)
「物質界での生活のあとから始まる仕事にとって役に立つような勉強をするために、あちらこちら(幽界)へ連れて行かれるのです。そうしておかないと、いきなり次元の異なる生活形態の場へ来た時のショックが大きくて、その回復に相当な時間を要することになります。」(道しるべ)

*個人での学びには限界があります。もっと学びたい方のために全国に読書会が点在しています。「東京スピリチュアリズム・サークル」ホームページの「お勧めサイト」をご覧ください。
*なおこれらの引用にあたってはスピリチュアリズム普及会の許可を得ています。