霊界について

●人間観…人生観…死生観…死の直後…幽界…霊界…再生観(人間が今後たどる道筋)

人間は死後「幽界」の生活を通じて地上生活での物質臭を取り除き、純粋な霊的世界へと進んでいくことを学んできました。ここでは人間にとって本来の住処である霊界について学びます。

霊界もまた霊性によって住み分けられた無数の界層で成り立っております。そして一つの界層は霊性や性格・嗜好品の似た者同士が共同生活を営み、ともに霊的成長をしています。次元の異なる無数の界層が重複して一つの場に存在しています。高い界層ほどバイブレーションは精妙になり、低い界層ほどバイブレーションは粗雑になります。

そしてそれぞれの界層は一線を引いて区別されているのではなく、グラデーション的に連続し融合して繋がっています。地上では全員が同一平面上で生活し、しかも他人の霊性レベルの程度は知ることはできません。が、霊界ではそれぞれの霊性レベルに見合った界層に磁石のように引き寄せられて行きます。そしてレベルの違う界層との交流・コミュニケーションはありません。

霊は高い界層に入るに相応しい霊性が備わるまでは、自分の霊性以上の世界へ行くことはできません。宗教で言う終末における最後の審判によって、天国と地獄に行く者が振り分けられるということはありません。一人一人の霊性レベルに相応しい界層に自動的に落ち着くようになっています。(例外的なケースとして、霊性が一定レベル以上に達すると、下の界の霊や地上人を指導啓発するという目的と同時に、自分の霊的成長のため自分のバイブレーションを下げて下層界へ赴くことがあります。そして役目を終えると元の界層にもどります。)

霊界での生活を通じて霊的進化が促され、それまでいた階層が自分の霊性に合わなくなると、一種の眠りのような状態に入り、やがて完全な睡眠状態から目覚めるとすでに新しい界層に移動しています。霊界では霊性の進化向上を続ける中で幾度も階層を上昇していくことになります。その時の霊的身体は粗雑な状態からますます精妙化へと変化していきます。新しく移動する階層に合わせてグラデーション的に状態変化するのです。

幽界では地上で愛し合った家族・夫婦関係を維持できますが、霊界では地上臭が取り除かれ霊的に向上した場合、家族・夫婦・兄弟姉妹とはバラバラになり別々の歩みをするようになります。地上時代の関係を大切にしつつもそれ以上に「霊的成長」への願望と関心が強く心を占めるようになります。そのため地上世界のような愛にまつわる利己的感情(嫉妬)も存在しなくなります。霊界では「利他愛」という本当の愛だけが人間同士を結び付け、‶霊的絆″によって愛の関係が維持されます。

地上では血縁関係で一家を構成し生活しますが、霊界では霊性レベルの同じ者同士で霊的グループ(霊的家族)がつくられ、共同で霊的成長をしていきます。「魂と魂の結びつき」であり‶霊的愛″という「霊と霊の絆」の関係です。地上で言う性欲・独占欲・嫉妬という利己的愛はすでにありません。お互いが霊的成長のために奉仕し合う‶霊的愛(利他愛)″の結びつきであり、しかも霊性が一致する者同士のグループによる共同生活となります。

霊界では男性・女性の区別がなくなっていきます。地上での結婚も同性愛もありません。純粋な霊的・精神的要素が人間を規定するようになります。地上での同性愛者は特別の内面的苦しみ・葛藤を体験しますが死後、すべての苦しみから解放され清らかですがすがしい心境になります。霊界は同性愛者にとっては‶真の救い″の世界となります。

霊界は幽界の素晴らしさを一段と高めたところと言えます。その素晴らしさは階層を上がれば上がるほど、いっそう高められるようになります。飲食・睡眠は必要なく病気や痛みもなく、自由自在に移動でき、コミュニケーションは思念(テレパシー)により瞬時に伝達され、偽善もウソも通用せず、本性そのままが露わに知られます。そのため誰もが素直に生きざるを得ないのです。

霊界での仕事とは利他愛の実践であり、すべての人が厳格な適材適所のもと理想的な仕事に喜びをもって臨んでいます。そして奉仕の仕事を通じて霊的成長を続けていくのです。霊界全体に至純の愛が満ち溢れ、この愛がすべての霊たちの心を結び付け、全員が「霊的同胞意識」を実感し、まさに‶神″を共通の親とする「霊的大家族世界」が実現しているのです。

霊界の説明を終わります。次回は「再生について」をお送りします。最後にシルバーバーチの言葉を掲載いたします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「あなた方はまだ、霊の世界の本当の素晴らしさを知りません。肉体の牢獄から解放され、望むところへは自由に行け、心で考えたことが形を取って眼前に現れ、好きなことにいくらでも専念でき、お金の心配がない……こうした霊界の生活と比べることができるものは、地上には存在しません。あなた方はまだ霊的世界の喜びを味わったことがないのです。
地上の人間は、美しさの本当の姿を理解することはできません。霊の世界の光、色彩、景色、樹木、小鳥、川、渓流、山、花、こうしたものがどれほど美しいか、あなた方はご存知ありません。
地上の人間にとって「死」は、恐怖の最たるもののようです。が、人間は死んで初めて生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、実際にはほとんど死んでいるも同然です。霊的なことに対しては死人のごとく反応を示しません。小さな生命の灯火が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことにはいっこうに反応を示しません。ただ、徐々にではあっても進歩しています。私たちの働きかけによって、霊的な勢力が物質界に増えつつあります。霊的真理の光が広まることによって、暗闇は後退しつつあります。
霊の世界は地上の言語では表現できません。譬えるものが地上世界には見いだせないのです。あなた方が、‶死人″と言っている霊界の者たちの方が、あなた方よりも生命の実相について、はるかに多くのことを知っています。
こちらの世界に来て、芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることができるようになります。画家も詩人も大きな夢を達成することができます。与えられた才能を思う存分発揮することができるようになるのです。こちらの世界では、あらゆる才能や素質は、お互いに奉仕するために用いられます。霊界における以心伝心の素晴らしさは、ぎこちない地上の言語ではとても表現できません。心に思うことが霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。
こちらには、金銭の心配がありません。生存競争というものがありません。弱者がいじめられることもありません。霊界での強者とは、弱者に手を差し延べる力があるという意味だからです。失業などというものもありません。スラム街もありません。利己主義もありません。宗派もありません。経典もありません。あるのは大霊の摂理だけです。」(シルバーバーチ

「霊界には地理的な仕切りはありません。‶意識の状態″があって、魂が進化するにつれて意識が高まる、ないしは深まっていくことの連続です。一つの意識状態と次の意識状態とは自然に融合しております。そこに仕切り線のようなものはありません。進歩とか開発とか進化というのは、一足飛びにではなく、粗野な面が少しずつ取り除かれて、霊的な側面が表に出てくるということの連続です。」(シルバーバーチ

 

幽界について

●人間観…人生観…死生観…死の瞬間…幽界…霊界…再生観(人間が今後たどる道筋)の
「幽界について」をお送りします。

霊的世界は一つですが霊性レベルによって無数の界層ができ上っていて、幽界はその中で最も地上に近いところ(物質要素を最も多く残している)です。他界者が最初に生活する場所であり、次のより高い界層に行くための準備をする場所でもあります。しかしイエスのように特別に優れた霊性の持ち主は幽界を素通りして高級霊界へ行き、霊性の低い霊は幽界の最下層へ留まることになります。ここでは普通の人がたどるプロセスについて述べます。

幽界には地上のように山・川・湖・海があり、田・畑・街並みがあります。ただし全体的に地上よりずっと明るく美しく輝いています。幽界が地上に似ているというのは、神(大霊)のあたたかい配慮です。死の目覚めが起きた時、地上と全く異なる環境だとするなら大変なショック・衝撃を受け、大混乱を引き起こします。又多くの他界者が幽界に入ると景色も人間も見覚えがあるものばかりです。それは地上にいた時、睡眠中に「幽体離脱」をしてたびたび幽界を訪れていた経験があるからです。

幽界に入ると、地獄やサタンは存在しないことに気づきます。キリスト再臨の真の意味が、スピリチュアリズム(地球人類救済大計画)による霊的知識の降下であることを知ることになります。その大計画の総指揮官がイエスであることを知り、地上の全宗教の教義の間違いを悟ることになります。それでも信仰の間違いを悟れなければ‶地縛霊″として幽界の最下層界で、同じような狂信者の集団とともに信仰を続けることになります。が、いつかは間違いに気づき目覚めていくようになります。

幽界では物的肉体は無いので、肉体を維持するための飲食も寝る必要もありません。肉体の死とともに苦痛・病気も無くなります。そして意念を集中させるだけで、欲しいものが何でも手に入り、やりたいことも何でも出来るようになります。好みの家や庭も手に入り、それらに関心が無くなればいつの間にか消え去ります。又地上のような時間や空間がないため、朝昼夜がなく、行きたいところには意念で瞬時に行くことができます。朝昼夜があると思い込んでいる者には朝昼夜が展開し、電車や車で移動することもできます。本人の意識の問題です。

幽界ではお金が必要ないため辛い仕事から解放され、学問・音楽・芸術・旅行・スポーツなど夢や希望が完璧に実現するところです。まさに楽園・極楽浄土のようなところです。又地上時代に動物を愛し可愛がった人は幽界で再会し共に暮らすことも叶います。「神の分霊」を宿した人間には、霊的に劣る動物を愛し指導し、霊的成長を助ける義務があります。ペットとの再会同居は動物を愛した人間への神からのご褒美です。

いずれ何でも叶う幽界の生活に飽き・嫌悪感が生じてきます。すると精神的なものを求める(霊的目覚め)ようになり、霊界へと進入していくことになります。幽界とは純粋な霊的世界へ行くための準備をするところということです。

又幽界には地上のように人間の作った法律や規則がありません。霊界・宇宙・全生命体を支配し、維持・管理するための「神の摂理自然法則)」があるだけです。神の愛と叡知から造られた完全平等・完全公平な「摂理」があるだけです。地上のような冤罪や間違いや特別配慮などない、完璧な摂理です。

幽界についての説明を終わります。次回は霊界についてお送りします。最後にシルバーバーチの言葉を掲載いたします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「こちらへ来て、まだ霊的バイブレーションに順応していないうちは、地上時代と同じパターンの生活を営みます。低級界、いわゆる幽界は、いろいろな点で地上とそっくりです。これは、新参者にショックを与えないようにとの神の配慮なのです。いきなり環境が変わると、順応が難しいからです。
そこで、今おっしゃった方のように、こちらへ来てからも引き続き朝と夜の生活を営む者がいることになります。そういうものという固定観念を抱いているために、そうなるのです。こちらは、思念が実在となる世界です。意識の変化が生じないかぎり、その状態が続きます。それとは別に、地上に残した愛する者の面倒を見たくて、より高い世界への向上を望まない者もいます。
こちらにも庭があり、家があり、湖があり、海があります。それぞれに実体があります。実在なのです。フワフワとした、形態のない世界ではありません。住民はやはり人間的存在です。ただ、物的身体がないというだけです。霊界の自然環境は芸術的な美しさにあふれ、とても言語では表現できません。
家屋に住まうということは自然なことです。こちらでも家の中での生活がありますが、こちらの家は、地上時代にその人が培った霊性が反映して自然にこしらえられているという点が、地上と違います。その家に庭があるのも自然なことですが、庭木の手入れは、しなければならないと思えば、すればよろしいし、特に手をいれなくても、その人の霊性に応じて手入れがなされます。そのように霊の世界の仕組みができているのです。だからこそ、新参者もショックを受けずに霊的環境に適応していくのです。」(シルバーバーチ

「私の世界の言語は、思念の言語です。つまり、心と心の直接の交信によって通じ合い、地上時代の習慣から抜けきると、言葉は使用しなくなります。したがって、言語の違いによる混乱が生じないわけです。地上でフランス人だった人がスウェーデン人と、エスキモーだった人がイタリア人と、気軽に通じ合います。地上のように、思ったことをいったん言葉というシンボルに置き換えることなく、そのまま通じ合えるのです。」(シルバーバーチ

 

死の直後について

●人間観…人生観…死生観…死の直後…幽界…霊界…再生観(人間が今後たどる道筋)
前回は「死生観(死について)」をお送りしました。今回は「死の直後」について学びます。
肉体と霊体を繋いでいるシルバーコードが完全に切れて心臓が停止することが、本当の死です。そして肉体を地上に残して霊体は、人間本来の住処である霊界に赴きます。ですがその人の霊的成長度によって死から霊界へのプロセスが違ってくるのです。

人間は死ぬと霊界の下層である幽界の一番下にある休憩所のようなところで一旦眠りにつきます。その死の眠りから目覚めるところまでは皆同じですが、目覚めたところから人それぞれの過程を通ります。地上時代の生き方や思い込みによって、およそ三種類の過程に分かれます。
① 大半の地上人(霊的知識に無知な一般人)の場合
肉体と同じ形の霊体があるので自分が死んだことに気づかず混乱状態に陥ります。そういう人は再び眠りに着き霊界人の看護を受けます。先に死んだ人が出迎えに来ているのに、混乱状態が何も見えなくしてしまい又眠りに着くしかないのです。自分の死を自覚するまで何度でも眠ることになります。死の自覚ができるとやっと出迎えの人が見え、再会を喜ぶことになります。そして幽界へと進むことができます。
唯物論者や間違った宗教の狂信者の場合
死を頑なに否定し、いつまでも地上と同じ生活を続け、その状態が長く続くと同じ思いの者同士が集まって集団化し、地上人に働きかけ(憑依現象)悪事を働きます。地上の宗教の間違った教えに洗脳され、それが魂にまで染みついた人は狂信の中で地上と同じ信仰生活を続けることになります。霊的意識が目覚めるまで狂信的な地縛霊として過ごすことになります。しかしいつかは憑依が悪事であることに気づき、心の痛みとともに反省が芽生えます。そこから休憩所で長い眠りに着き霊界人の看護を受けます。そしてやっと「死の自覚」に至ると①の人より長い償いのプロセスを踏み、いずれ幽界へと進むことができるようになります。
③ 生前から霊的知識を知っている人の場合
始めの死の眠りから覚めるとすぐに自分が死んだことに気づきます。すると先に他界した人たちとの再会が叶います。その後は幽界へとスムーズに進むか、あるいは休憩所での短い眠りを経て幽界へ進むことになります。霊的知識を知っている人に魂の混濁は無く、霊界人の手を煩わせることもありません。

このように死の直後にたどるプロセスは一人一人の生前の生き方や霊的知識の有無によって違ってきます。生前に霊的知識を知り摂理にそった生き方をすることが、いかに大切かがわかります。霊的知識があると死後すぐに「死の自覚」が芽生え、次のプロセスへとスムーズに進むことができ、霊界人の手を煩わせることもありません。霊界人はすべて人間への愛から奉仕活動として働いています。

休憩所での眠りを通して地上的雰囲気から隔離し、霊的雰囲気になじませていきます。又この眠りの期間に地上人生を振り返り反省することになります。生前の行いがスクリーンの中に展開し、自分の行いの間違いに対しては反省し、正しかったことには胸をなでおろすことになります。行いの内容によっては恥ずかしさのあまり、いたたまれなくなります。

また眠りの期間中にすべての地上人が、睡眠中に幽体離脱をして幽界で体験したことを思い出します。それは生前から死後の生活のリハーサルをすることで、死後のショックが和らげられるようになっているのです。「死の自覚」は霊的視野(霊的能力)が開けることであり、先に他界した家族や知人の出迎えが見えるようになり、再会の喜びと感激を味わうことになります。そして幽界での新しい生活が始まります。

次回は死後の世界である「幽界」についてお送りします。終わりにシルバーバーチの言葉をお送りいたします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

——呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのでしょうか。
「魂に意識がある場合(霊性が発達している人の場合)は、霊的身体が徐々に肉体から抜け出るのが分かります。すると霊的な目が開き、自分を迎えに来てくれた人たちの姿が見えます。そしてすぐに新しい生活が始まります。魂に意識がない場合は、看護に来てくれた霊の援助によって適当な場所、例えば病院とか休憩所に連れて行かれ、そこで新しい環境に慣れるまで手当てを受けます。」(シルバーバーチ

「あらかじめ霊的知識をたずさえておけば、死後への適応がラクにできるのです。何も知らない人は適応力がつくまでに長期間の睡眠と休息が必要となります。知識があればすんなりと霊界入りして、しかも意識がしっかりとしています。要するに死後の目覚めは暗い部屋から太陽のさんさんと照る戸外へ出た時と似ていると思えばよろしい。光のまぶしさに慣れる必要があるわけです。」(シルバーバーチ

「それも霊的自覚の程度によります。程度が高ければ、それだけ調整期間が短くてすみます。忘れてならないのは、私達の世界は精神的な世界、霊の世界であり、そこでは自覚というものが最優先されるということです。精神が最高の権威をもち、支配しています。精神が指示したことが現実となるのです。」(シルバーバーチ

死について(死生観)の補足

今回は死に関するさまざまな問題を取り上げます。
① 自殺について
生命は神から与えられたもので、自分で勝手に捨て去ることは摂理違反となります。摂理に違反すると因果の法則が働き、それ相応の長い苦しみの中で罪の償いをすることになります。
② 死刑制度について
国家による公認の殺人行為であり摂理違反となります。神の分霊を宿している人間の命は神のものであり、死刑は大罪です。無期懲役にすべきです。死刑にすることで魂は低級界にて憎しみが増幅し、地上の人間に取り付いて(憑依)悪事を働くことになります。
安楽死について
治る見込みのない病人であっても医学的処置で死に至らせることは間違いです。あくまでもシルバーコードが切れて心臓の停止をもって死とすべきです。死の直後に影響します。霊は傷付きませんがショックで霊的目覚めが遅れることになります。
④ 延命治療について
死に至ることが明らかであっても寿命は決まっているので、死期を延ばそうとすることに意味がありません。無理に機械で生き長らえさせるのではなく、自然に死を迎えられる(尊厳死)ようにすることです。
脳死と臓器移植について
死の正しい判定はシルバーコードが切れる瞬間です。脳死状態でも霊的にいろいろな学びをしています。臓器移植自体が間違った医学です。人間にとって死は厳しく苦しい試練を卒業して、次の世界へ進級していくことです。生きる可能性がある限り相当の手当ては必要ですが、手段を尽くした後は医学で無理矢理、命を長らえさせることは間違いです。
⑥ 葬式について
時代によって、地域によって、宗教によって、さまざまな葬送儀礼が存在してきましたが、霊的観点からすればどれも的外れとなります。その多くに宗教が関係していますが、葬送儀礼の実態は人類の霊的無知を反映しております。人間は肉体の死後、霊界でいきいきと生きております。死は自由でありご褒美です。スピリチュアリズムの葬式とは、霊的事実に添った正しい葬式のあり方です。霊的事実に基づいて新しい人生の旅立ちを祝うときであり、この世的葬式の形式は一切不要となります。
⑦ 墓について
墓についても時代によって、地域によって、宗教によって、さまざまな埋葬形式が存在してきましたが、霊的観点からすればその多くが人類の霊的無知を反映しております。スピリチュアリズムの墓とは、この世の形式は一切不要であり、墓はあってもなくてもどちらでもよい…ということになります。

シルバーバーチの言葉を掲載して今回のテーマを終了します。次回は「死の直後」をお送りします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「大霊によって統制されている摂理の働きを妨げる権利を有する者はいません。もしあなたが、摂理に反して自ら命を絶つとするなら、その行為に対する代償を払わなければなりません。例えば、熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、あなたの霊に準備ができていないうちに霊界へ行ったなら、長い調整期間の中でその代償を払わなければなりません。愛する人々とも会えなくなります。自殺によって、あなたと周囲の人々との間に隔たりができてしまうからです。」(シルバーバーチ

——回復の見込みがない患者を安楽死させる権利を医者に与えるべきだ、という意見がありますが、どう思われますか。
「すべての生命は大霊のものだということです。肉体が衰えて霊がその肉体から解放される時がくれば、人間は自然の摂理に従って死を迎えます。(略)安楽死は、準備のできていない霊にショックを与え、影響を及ぼすことになります。それによって不要だったはずの調整を、いろいろとしなければならなくなります。」(シルバーバーチ
——人間には寿命を引き延ばす力が備わっているのでしょうか。
「延命のために努力することは間違っていません。しかし、霊が地上を去る時がくれば、あなた方はそれ以上何もできません。」(シルバーバーチ
——それでは、延命のための努力は無駄に終わるということでしょうか。
「あなたがおっしゃる医学的処置によって寿命を少しばかり引き延ばすことができたとしても、結局みんな死んでいくではありませんか。」(シルバーバーチ
——でも、患者は少しの間であっても生き続けることができます。
「患者が反応すればのことです。酸素を与えるという方法もありますが、それにも限界があります。魂が霊界へ行く準備が整えば、あなた方にはなす術はありません。」(シルバーバーチ

——移植手術についてはいかがでしょうか
「患者自身の身体の一部を他の部分に移植するのであれば、結構なことです。生理的要素も幽質的要素もまったく同一のものだからです。ですが、それを他人に移植するとなると、必ずしも感心しません。(人道上はともかくとして)その移植片そのものが問題を生み出すからです。肉体そのものには生命はなく、霊と呼ばれている目に見えない実在の殻または衣服にすぎないことを理解することが、この問題を解決するカギです。」(シルバーバーチ

死について(死生観)

●人間観…人生観…死生観…死の直後…幽界…霊界…再生観    
人間がたどる道筋の「死について(死生観)」を学びます。

霊的事実に基づいた「死」とは何か。人間について(人間観)のページで人間の構造を学びました。人間は肉体と霊体の重複構造になっており、その二つは半物質・幽質(エーテル)という接着剤のような役割をしているものによって融合しております。それは霊視をすると銀色に光っているのでシルバーコードと呼ばれています。そして毎夜、シルバーコードが紐状に伸びて二つの体が繋がったまま肉体を地上に置き去りにして、霊体だけが霊界を訪れています。それを幽体離脱といいます。

幽界での用事が済むと朝方、霊体は肉体に引き戻され二つの体は融合し、地上での生活を営みます。そのように幽体離脱は誰もが体験していることですが、変な夢として記憶に残っているだけで正確に思い出せる人は霊能のある人だけです。

死というのは二つの体を繋いでいるシルバーコードが完全に切れて心臓が停止した状態をいいます。脳死は物質である脳が故障しているため、肉体への連絡が遮断された状態をいいます。したがって脳死でも心臓が動いている以上、本当の死ではありません。脳死から回復し元気になった事例は世界中にあります。シルバーコードが完全に切れて心臓が停止すると、霊体は霊界へ赴き肉体は朽ち果てます。

霊体はその人の個性をそのまま携えたまま霊界で生き続けます。地上でいろいろな体験を積み霊的に成長した分、それに見合った霊界層に引き寄せられます。地上でいくら皆から慕われ偉い人物とされた人でも、霊界では内面の霊性が一目瞭然です。少しもごまかされません。地上でどのような生き方をしたか、どれだけ霊的成長を成したか・・・それだけが霊格を決めるのです。摂理(法則)はごまかせないのです。

また霊体には病気も身体の欠陥もありません。健康を取り戻しどこへでも自由に行けます。霊界では、先に死んだ両親や知人や愛した人との再会が実現します。地上でペットを愛し可愛がった人はペットとの再会、同居も叶います。そして霊界の一番低い界層である幽界でさえも、地上の絶景にかなわないほど美しい世界です。霊界を進化向上するごとに自由と美は増して行きます。

地上では死は、不幸なもの・悲しいものと忌み嫌っておりますが、実は死んだ人は霊界で幸せに生きていることが分かりました。物質世界ならではの厳しい試練の人生を卒業して自由で美しい世界の住人になったのです。霊界はこの世と重複していて同じこの場所にあります。「今、死んだ人がそばに居たような気がする」「死んだ人の声が聞こえた」という霊体験は山ほどあります。この世とあの世の二つの世界は現実にインスピレーションという形で交流しているのです。

したがって死を恐れ、悲しみ、忌み嫌うのは間違いです。シルバーバーチは、「死」は喜び・希望であり、地上人生を耐え抜いた「ご褒美」であり新しい人生の出発・霊界人生の始まりであり、祝福すべきことと訓えております。もっともそれは地上時代に普通善人といわれる人の例です。善人も極悪非道の人生を歩んだ人も同じとはいきません。摂理の法則が(因果律)働き、その人に見合った霊界層に住むことになります。摂理は完全平等・完全公平に数学的正確さで機械的に働きます。偶然も特別の免謝もありません。

これまでの宗教の教えや常識とは違いすぎて驚かれるでしょうが、地上人生を何度か再生しその後霊界人生を3千年生き、今は超高級霊となった霊からの現地報告です。地上人生も霊界人生も知り尽くした、高級霊の実体験を伴った訓えです。人間を始めたばかりの人類には知り得るはずはなく、霊界の低層界に住む低級霊にも知り得ない霊界の知識です。

「死について(死生観)」を終わります。次回は「死について(死生観)の補足」をお送りいたします。最後にシルバーバーチの言葉を掲載いたします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「死ぬということは、物的身体のオリの中に閉じ込められていた霊(真の自我)が自由を獲得することです」(シルバーバーチ

「死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく、別の生命を得ることなのです」(シルバーバーチ

「そもそも死というのは少しも怖いものではありません。死は大いなる解放者です。死は自由をもたらしてくれます。皆さんは赤ん坊が生まれると喜びます。が、私たちの世界ではこれから地上へ生まれていく人を泣いて見送る人が大勢いるのです。同じように、地上では人が死ぬと泣いて悲しみますが、私たちの世界ではその霊を喜んで迎えているのです。なぜならば、死の訪れは地上生活が果たすべき目的を果たし終えて、次の霊界が提供してくれる莫大な豊かさと美しさを味わう用意がこの霊に具わったことを意味するからです」(シルバーバーチ

人生の目的(人生観)

●人間観…人生観…死生観…死の直後…幽界…霊界…再生観  
今回は人間がたどる道筋、「人生について(人生観)」を学びます。

「地上人生の目的」(二つあります)はなにか、それを果たすための「正しい生き方」とはなんでしょう。地上のあまりの惨状に何とかしなければという愛の想いから、霊界ではイエスを指揮官として霊界あげての地球人類救済大計画が起こされました。その方法とは霊的真理を地上降ろし、物質価値観でなく霊的価値観によって人間の生き方を改めさせ、地上を霊界のような平和な世界にしようとするものです。これをスピリチュアリズムといいます。

人間は地上人生をスタートとして永遠の進化向上の道を歩む宿命があります。神の霊的子供としての宿命です。まず初めに神はご自分の完璧な叡知によって摂理(法則)を造られました。その摂理にそって霊界・宇宙・全生命体を創造され、摂理によってそれらの万物を支配、維持、管理されております。その摂理は「原因と結果の法則(因果律)」ともいいます。

摂理は機械的厳格さで働き、原因には必ずそれ相当の結果が生じます。自分で蒔いた種は自分で刈り取るという自己責任が生じるのです。善の種を蒔けば良い結果が、悪い種を蒔けば悪い結果が数学的正確さで現れます。宇宙の万物も霊界の全てに、極大から極微に至るまで摂理が働き、誰ひとりとして見逃されることはありません。万物を創造された神は摂理を通して木の葉一枚の動きもご存じです。

この地上人生は永遠の進化向上の道の、ほんの一時の試練による魂の学校なのです。この地上で学ぶべきを学び、個性を磨き、魂の成長をなして地上を卒業して霊界へと進級していきます。地上人生をどのように生きどれだけ成長したか、それだけが問われます。これを「霊的成長」といい、これが「地上人生の目的」の一つです。又摂理に反して物質中心主義・利己主義で生きればそれ相当の苦しみの現象(病気・不幸)が現れます。それをカルマといい「カルマ解消」が「地上人生の目的」の二つ目です。

カルマで現れる病気や不幸現象は、前世・今世で間違った生き方をしたための債務です。カルマからは決して逃げたり無視できるものではありません。大きなカルマが解消されない限り霊的成長のスタートラインに立てないのです。病気・不幸現象をありがたいものと受け止め、感謝で乗り越えることです。これを「苦難の甘受」といいます。

物欲に溺れることなく質素な生活を心掛け内部の霊性を高める努力をし、利他愛で生きることです。迷ったときは、自分が損をすることになっても心のセンサーが正しいと判断した方を選ぶことです。そのうち知らず知らずのうちにカルマ解消ができ、霊的成長が進んでいることに気づき感謝することでしょう。

人間は完全平等・完全公平で完璧な「神の摂理」にそって生きるしかないのです。物質中心主義・利己主義を霊中心主義・利他主義に変えて生きることです。これが地上人生の「正しい生き方」です。霊界は互助の精神が行きわたる愛の充満した美しい世界です。人間が死後に行く霊界には物がありません。霊界では物質(物・地位・名誉・権力・金力)の価値は皆無です。あるのは魂の成長度、霊格の高さによる高低差があるだけです。霊格の高い者ほど偉いとされる世界です。

お気づきと思いますが、死とは悲劇ではなく、厳しい物質世界での訓練を卒業して、霊界という自由で美しい世界へ進級していくことなのです。このような真実を知ることができたのは、シルバーバーチが自らを犠牲にして地上圏まで降りて来て、人類に霊的真理を啓示してくれたからです。人間は心掛け次第でこの地上を天国化することができるのです。

最後にシルバーバーチの言葉を載せて終了します。次回は「死について」を掲載いたします。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。


「大切なのは、人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実をしることです」(シルバーバーチ

「この世的な富を蓄積していると、それなりの代価を支払わされます。つまり地上的なものに心を奪われて、その分だけ霊としての義務を怠れば、地上的な富は増えても、こちらの世界へ来てみると、自分がいかにみすぼらしいかを思い知らされます」(シルバーバーチ

「本当の価値の尺度は霊的成長度です。それはその人の生活、日常の行為・言動によって、みずから成就していくもので、それがすべてであり、それしかないのです。お金で徳は買えません。お金で霊的成長は買えません。お金で霊格は高められません。そうしたものは各自が各自の努力で獲得しなければなりません」(シルバーバーチ

「困難・障害・不利な条件——これらは魂の試練なのです。それらを克服していくことによって魂がいっそう充実し、向上し、一段と強くそして純粋になってまいります」(シルバーバーチ

人間とは何か(人間観)

●人間観…人生観…死生観…死の直後…幽界…霊界…再生観
これは人間がたどる道筋(流れ)を示したものです。今後この流れにそって掲載してまいります。今回のブログでは、人間とは何か(人間観)を学んでいきます。

実は人間は肉体とともに霊体を合わせ持って地上生活を営んでいます。人間は肉体と霊体の重複構造になっており、肉体は霊体の表現器官なのです。霊体が主で肉体が従です。霊体があるから人間は考え判断し、決断し、魂の成長ができるのです。肉体から霊体が去ったとき肉体は死に、霊体は霊界の下層界である幽界へと進みます。人間の本体は霊であり肉体が死んだ後も霊体で生き続けます。人間はこの世で生きている今も、肉体という殻に包まれた霊なのです。

肉体と霊体は、物質と霊質の中間物質・幽質(エーテル)が接着剤のような役割をしていて、お互い融合しているのです。水を含んだスポンジのように融合しています。人間は半分は物質世界で生きていながら、半分は霊界で生きているようなものです。人間は夢を見ますが、その時肉体を地上に置き去りにして、霊体は霊界へ赴いているのです。その時の接着剤の役割をしているエーテルは、紐状に伸びて肉体と霊体は繋がったままです。

その紐状のものは霊視できる人には銀色に光って見えていて、いてシルバーコードと呼ばれています。霊的なものなので、いくら伸びても切れたり絡まったりしません。霊体は霊界で先に亡くなった懐かしい人達と再会を喜んだり、霊界のいろんなところを探訪したり、霊界人と仕事をしたりします。そして用事が終われば霊体は肉体に引き戻され、朝の目覚めとともに「変な夢だった」と思うのです。

霊界での出来事を正確に思い出せるのは霊能力を持った一部の人間だけです。しかし、肉体の死を迎えて霊体が霊界の住人になったときは、夢のすべてを思い出します。その体験は人間が死んで霊界へ行ったときに、いきなり知らない場所に放り出され混乱しないための霊界側の計らいなのです。

では人間の構成・人体の仕組みを見ていきます。肉体には「肉体の心(肉体本能)」がそなわっており物質的要素でできています。霊体には「霊」と「霊の心(霊的意識)」がそなわっており、霊的要素でできています。この中で一番の上位が「霊」、次が「霊の心(霊的意識)」、「霊体」、「肉体のこころ(肉体本能)」、そして「肉体」が最下位となっています。霊的要素が上で物質的要素が下です。「霊」が主で「肉」が従という関係になります。霊的要素の中でも「霊」がいちばん重要で霊性霊格の高さを決めるのが「霊」になります。しかし肉体が無ければ、この世での体験による魂の成長ができませんので、霊の宮である肉体も大切にし手入れをしてあげなくてはいけません。

私たちが普通、人間の心というとき、霊の心(霊的意識)と肉体の心(肉体本能)の合わせたものを言います。霊的意識とは慈悲心や道義心や利他愛などの崇高な思いを言い、肉体本能とは動物本能の名残である食欲・物欲・名誉欲・金欲のことを言います。そして霊的意識の方が多く心を占めているのが霊性の高い人・人格の優れた人ということになります。

また、霊的要素の「霊・霊の心・霊体」の中での上位が「霊」ですが、この「霊」こそが天地創造、万物創造、人間創造の「神」と同質のもので、程度の差があるだけです。人間の霊は神から分け与えられた「分霊(ミニチュアの神)」であり、それゆえ全人類は神の霊的子供となり、人間にとって神は霊的親となります。人間同士は国・民族・肌の色を越えて全てが神の霊で結ばれた霊的兄弟姉妹であり、霊的一大家族なのです。

地球上では神の子供同士が物欲(肉体本能)にまみれて、戦争、飢餓などの悲惨な地獄状態を引き起こしているのです。そういう人類の悲劇を見かねて、霊界の神庁といわれる超高級霊界からシルバーバーチ霊団が使命を受けて、地球人類救済のために霊的真理・霊的知識を降ろしてくださったのです。もはや物質的価値観では人類は破滅の道をたどるばかりです。物質界にいながら霊的価値観で生きるしか人類が救われる方法はないとの思いで、霊界では地球人類救済第計画(スピリチュアリズム)が起こされたのです。

最後にシルバーバーチの言葉を載せて人間観を終了します。なおこれらの引用にあたっては、スピリチュアリズム普及会さんの許可を得ています。

「霊とは、あなた方の言う神、すなわち大霊の一部であり、媒体(肉体)を通して自己を顕現しつつ、より高みを目指してどこまでも向上していくものです」(シルバーバーチ

「あなたはその身体ではありません。その身体があなたではありません。あなたという存在は霊をたずさえた身体ではありません。身体をたずさえた霊なのです。本当のあなたは鏡に写っているあなたではないのです。本当のあなたは肉眼には見えないものなのです。その身体は、あなたが自我を表現するための機械にすぎません。あなたという霊が引っ込んで(死んで)しまえば、その機械は動かなくなります。それを皆さんは‶死″と呼んでいます。これでお分かりと思いますが、あなたは死んでから霊になるのではありません。こうして生きている今から立派に霊的存在であり、だから死後も生き続けるのです」(シルバーバーチ